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2006-03-16

冬眠から醒めたような話

K_05 今年に入って、見事に人生でこれほどの経験はないなあというくらいに、精神的にまいってしまった。
実に驚くべきことで、田舎に居て人が良くなって対人免疫がなくなってしまったろうかと思うくらい。
仕事のストレスがたまっていたようで、底が抜けたように何も出来なくなってしまい本当にくたばってしまうところでした。びっくりだね。


それにしても今回で痛感したのは、ヒトはコミュニケーションを介してこそ人間であり、人間と仕事することの大事さを感じ入りました。
う ちのように過疎な地域で事業を計るには、都会的な「誰でも入れ替わり可能」なマニュアル仕事で済ませられる人的余裕に割ける人件費なんぞないのよ。「○○ さんじゃないと」的なコミュニケーションをベースとした仕事で「何でも絡んでください」な相互扶助でやらないと十全には事は進まない。というか思わぬ仕事 ができたりするものだ。
そんなところで困ってしまったのは、誰でも出来る与えられた仕事を自分の出来る範囲で限定してるだけなのに、さも「出来る 人」のように振る舞うような動物的パターンのヤツ。そういうタイプであからさまなのはたまーに居るので無視すればよいのだが、天然でそれをするというパ ターンは非常に扱いがややこしい。これ自体観察対象としてはいいサンプルなのだが、正直、与えられた役割を無自覚にこなすだけなら犁を載せた牛でもやれる んだよなぁ。
それを「出来る人」と自己完結して振る舞う「牛」に過ぎない仕事っぷりでは、「人間」のやることとは違うことに気付かない限りどうしようもなかろう。成程、「イヤな人」「気位の高い人」と言われるわけですなぁo(´^`)o

で、2ヶ月も経つとようやく復活してきて、指図するのを止めて放牧していた牛もハイランドにお帰りになられるし新たな戦力確保も目処が立った。目処が立たないのはセレッソの今季の闘い方くらいのものだ。
ようやく仕事も原稿書きもウェブログも復調してきた次第。
新たな3年に人生の全てを投下し、6月のドイツ行き目指して着々と準備するわけです。

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