2010年3月10日 (水)

「岡山の戦国時代」展

岡山県は岡山城に隣接した後楽園の隣にある岡山県立博物館に寄ってきました。
岡山駅から岡電バス藤原団地行きで140円で後楽園前のバス停まで行けます。なんとピタパが使えます。

今回の目当ては「岡山の戦国時代」展です。一部屋構成ですが時間が限られていましたので40分程度で観てきました。
岡山県の戦国・織豊期の古文書が中心となった構成。赤松氏から浦上氏・宇喜多氏そして小早川氏まで。
あの有名な宇喜多能家肖像も宇喜多忠家肖像もでてました。
これまで先行研究で紹介されてきた古文書もけっこう出てました。
これらを含めて、なかなか実見する機会もないので興味深く拝見させていただきました。
天神山城跡の表採瓦(軒平瓦と軒丸瓦)と天目茶碗などもありましたが、

一応、城郭研究の立場から言うと城跡も取り上げて下さいよ、と注文しておいて(^^ゞ

惜しむらくは図録がなかったこと。せっかく翻刻もしていろいろと解説があるのにもったいない。
私もほしいし絶対に売れるのにもったいないなあ。。。

3月14日までです。
次回はぜひとも、図録付き、城跡をとりあげた「岡山の戦国時代」展をおねがいしたいところです(._.)オジギ

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2010年1月 4日 (月)

年末年始に読んだもの、生涯学習な話し。

年末年始は社会科のおさらいをしようといくつか書籍を仕入れてみた。
ひょんなことから、歴史系の家業をしている割には案外「社会科」系がおろそかになっているなと思ったのでまとまった時間に実家で読んでみることにした。
じぶんの専門とする時代はよいのだが、案外、日本史や世界史の他の時代の「基礎的」なことや社会科学的な知識、哲学倫理的な基礎知識が抜けているもんだなと気付いた次第。
さすがに高校時代のような暗記力は抜けてしまっているので、せめて思い出した際に確認できる図書を仕入れておこうというわけだ。

で、日本史。
最近の「歴史ブーム」もあり、いろいろと教科書のリフォームや概説書が出ているけどさすがにイマイチなので買わない。
ジュンク堂に行って、山川出版社の『詳説日本史研究』のペーパーバック版を仕入れてみた。2500円なり。
大学受験に必須とあったがかなりのボリューム(^^ゞ。出版社的には参考書という扱いのようだ。
も一度読むもあったが文字が大きくて一般書みたいなキレイなレイアウトだったので「バツ」。あれなら高校教科書の方がまだよい。

『詳説日本史研究』は教科書のような詰め込み方。他の体系とかは論文調なのに対して、あくまでも教科書調で事項を細かく概説する。
図版もなかなか。先史時代から古代・中世・近世・近現代まで把握でき、これはなかなか満足なものでした。
参考書扱いなので専門書というべきか悩ましいが、とりあえず何かの折に見直す時には足がかりになるものでした。

ついでに世界史。
こちらも
いろいろと教科書のリフォームや概説書が出ているけどさすがにイマイチなので買わなかった。
これも教科書で十分じゃないかと思ってしまう。
書店には見当たらなかったが
『詳説世界史研究』というのがあるみたいなので、何かの折に中身を見てから仕入れるか考えてみよう。
とりあえず今回は保留。→追記:買いました。内容はひたすら詰め込み型なんですけど地図も図版もキレイでかなりウハウハ。

そして、政経・倫理。
これだけ政治や経済や社会問題に注目が集まっているのに、個別専門書は多かれども一般的に概説書が読まれない不思議な分野。
みなさん、歴史もいいけど、政治・経済、哲学倫理の基礎を概説本で読んでから新聞とかみた方がリテラシー的によいと思う次第。
日本史や世界史はどちらか選択でもいいから、市民社会の後継者を育てるには、政治・経済や哲学倫理は必修の方がいいと思う。
そこで、書店でみてみたら、やはり哲学や政治、経済では、専門書が個別化しすぎて見当たらない。
仕方ないので参考書のところを行ってみると。。。
文英堂の『理解しやすい政治・経済』ってのがあった。
いわゆるΣベスト。。をを、懐かしい。数学シリーズではかなりお世話になった。
帯をみると、あの佐藤優氏推薦とある!!(^^ゞ。
確かに開いてみると、基本的なことが背中にかゆいところに届くかのように丁寧に書かれている。
たしかに推薦するだけのことはある。これを読んで某幹事長の豪腕ぶりの矛先もみえてきそうな感じである。
なので、仕入れてみた。1890円なり。
当たり前だが参考書なので、専門的なことよりもどういう仕組みかという概説が淡々と整理されている。
特定の専門領域に踏み込む前に基礎的な仕組みを抑えておくには、とりあえず一般人的に座右の書にしてはよいのかもしれない。
会社的には、一般人にも読んでほしいというメッセージのようだが、さすがに大学受験参考書コーナーには来ないのではないか。。。と思う。

でも、コスト的にもこれはオススメと思う。
ついでに、『理解しやすい倫理』も開いてみて、たぶんソフィーの伝言や知の教科書よりコッチを抑えた方がよいと思った(^^ゞ。ので、購入(^^ゞ。こちらも1890円とリーズナブルなのでオススメかも。
ちなみに政経でも山川出版社は『詳説政治経済研究』なるものを出していた。2500円なり、さすがである。
悩んだけど専門までしないので文英堂で済ませた。

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ということで、これらの書籍を開きながら年越しをしたのでありました。
いやー。なかなか灯台下暗しで面白かったですよ。
歴史系でちょっと物足りない方で論文調はキツイという方は、詳説シリーズはチラチラ読みにはよいと思います。
あと、案外文英堂のΣベストは文系でもあるんだ!!というのは収穫でした。
いずれも専門書コーナーではなく、参考書コーナーの中に置かれているので要注意。この手はもっと売り方考えれば一般書でもイケると思うけどなあ。

ちなみにどちらの出版社のまわしものではないのであしからず。いや、それはダメ、こちらがよいと言うのがあればご教示下さい(._.)オジギ。

とりあえず今回は社会科系でしたが、自分的には、物理や化学、数学系の理系分野も教科書にΣベストの参考書まで抑えてみるとかなり面白いと思っている。
数字や数式、記号で宇宙からミクロの世界まで表現しようと言う人間の試みは、文字で表現しようとする世界と同じくらい、いやそれ以上に面白い。
数式をおいかけたりグラフにしたり。。。これをプログラミングすれば情報科学の世界ですからね。
子ども騙しな「理系離れ」引き留め科学実験イベントより、数字を扱って世界観を語る方がはるかに大事じゃないのかな。


ということで、みなさん。
生涯学習はえらいひとの話を聴く座学よりも、高校生までの学問体系を蛍雪の中「学び直し」しましょう!

2009年12月21日 (月)

岡藩の中川氏老職4兄弟。

今年の〆の長文をつれつれ書いてみたが、年末にとっておくことにした。

さて、最近調べているのが中川氏のこと。北村清士『中川史料集』とその改訂版の市教委版『中川氏御年譜』、
それに「金城秘鑑」や「不染斎随筆」を部分的に補いながら編纂史料であれこれ調べている。
豊後岡藩も調べられるが案外摂津の国衆も調べることが出来て二刀流ができる。
原文書では神戸大学中川家文書はウェブでも公開されて(豊後岡藩中川家文書は一般には閲覧が難しい)便利。
でも、かゆいところまで届かせるには、編纂史料は現地歩きや絵図類と重ねて使い方次第で重宝できる。

今のテーマは、3代藩主中川久清のこと。彼が自分の子どもたち4人を老職(家老のこと)にした経過について。
久清が長男の久恒に藩主を譲り、自分の隠居屋鋪として熊田と戸伏の屋鋪を立ち退かせて築いたのが西ノ丸の始まり。
その久清が自分の子どもの内、成長した男子4人に知行と屋敷を与えることにし、没後に自らの隠居領を分割するよう遺言したようだ。
4人の子どもは、中川求馬久豊、中川図書久和、中川右近久旨、中川主馬久周。天和2年に老職となった。
久豊が2000石、久和1500石、久旨1500石、久周1300石。これは久清の隠居領から出たと思われる。
ということは、藩主の蔵入地がそれだけ減ったということになる。この内、図書久和が久恒とウマがあったのか実力者になったらしい。

蔵入地から切り出すカタチで、彼ら4人が岡藩でははじめて中川氏直系の老職となった。
元々、中川氏の家老は田近・古田・熊田・戸伏。この内、熊田氏は勘気を被り脱落。残りの三家が非中川氏系の元々の老職。
これに対して、久恒の代に立った中川老職四家。いきなり倍増で多数派形成という案配である。
しかし四家は早世が多くて結局、右近久旨の系統(中川右近家とでも言えるか)と主馬久周の系統(中川主馬家か)のニ家に統合されることとなった。
蔵入地から割いたこともあり享保・延享頃は断絶したままという場合もあったりしている。

右近家の久休が図書家を相続した中川右近家(1750石)とでも言える系統が幕末まで続いた家のひとつ。
城内西ノ丸横の「民部屋敷」と現在の呼び名になっている場所に屋敷を構えている。
右近家は久旨からこの屋敷を拝領している。その前は久清の娘兼姫の婿になった田近喜八郎良武(田近氏の有力分家)の屋敷。
久旨の代から居るので「中川右近屋敷」とでも呼べば良いのかも知れない。

もうひとつ、主馬家の久屋が求馬家を相続した中川主馬家とでも言える系統がふたつめ。
こちらは3000石とNo.2の地位を保った。
主馬家は城外上角の現在はそうぞうの丘と呼ばれる丘に屋敷を構えた。
これは西ノ丸に居た求馬家の中川氏が上角に移転した屋敷を主馬家が後に相続したものらしい。
幕末に勤王の藩士を支援した中川土佐を輩出した老職の家です。

かなりレアなネタだけど、抑えておくと良いです。2つの屋敷跡(ひとつは城内、ひとつは城外)は何もないけど現在でも訪れることが出来ます。

2009年12月18日 (金)

髙山右近展で髙山重清の史料に出会う。

Poster_ukon21 11月8日に高槻市しろあと歴史館の中西さんがご担当の「高山右近展」に行ってきました(その後長居に行ったのはナイショだ)。
大阪に所用(長居はオマケ。。。のはず)があったのでその途上。

高山右近はそもそも名前もはっきりしない人(父も高山飛騨守ですし)のように現物資料となるとかなり難しい。
それでも、展覧会は中規模ながら渋いセレクト。
図録もしっかりしていて、小粒でピリリ系な活動の多い高槻らしい展覧会。


高山右近もさることながら、こちらの関心は隣接する茨木城主だった中川清秀、それと神戸大学中川家文書や茨木市から出たキリシタン遺物がいくつか出展されていたので、それらの現物を拝見することも目当ての旅。
大阪城天守閣蔵の賎ヶ嶽合戦図屏風も拝見。城門の前で母衣を背負って闘う清秀が描かれているものです。
そして、茨木市・梅林寺蔵の中川清秀肖像画にもご対面。
岡藩で描かれた碧雲寺・西光寺本では武骨な人として描かれていますが、こちらは割とダンディな感じ。
そして、衝撃的だったのは高山重清の署名が入った古文書があったこと。
ケースの前で思わず「ををー!」とうなる。高槻、GJ!!という感じ(^^ゞ

というのも、高山重清は、中川清秀の実父とされる人。同じ高山氏でも右近の家系とは別のようです。
『中川史料集』の改訂版『中川氏御年譜』などの中川氏系譜では、清秀の祖父、中川清村の子清煕が戦死したため高山氏から婿となった人物とされます。
清村が森田氏(守口の国人らしい)に嫁いでいた実娘を戻して、高山重清を婿に迎えて継承させたとあります。
生まれた子が瀬兵衛清秀と淵兵衛重継。兄が中川氏家督を、弟の重継の系統が高山氏の名跡を継承することになります。
2人して賎ヶ嶽の戦いで大岩山で戦死し瀬兵衛・淵兵衛兄弟として名を馳せたのは有名な話。

その重清の出自、高山氏は常陸国出身とかかなり曖昧なので「この辺で家系操作があったのかな?」と思っていました。
その重清が実在の人物、しかも北摂で代官職などをする土豪かとわかったことが実に大きな収穫でした。

豊後国に転封した中川氏において、高山氏はそれほど高い地位は占めないものの近い関係を保ち続けます。
老職にはならないが中川姓を受け当初は岡城近戸門近くに屋敷を構えていたとあります。
文政年間の『三宅山御鹿(しし)狩り絵巻』にも中川熊之助という当主が出ています。

ちなみに、森田氏に嫁いでいた実母には連れ子が居て、異母兄なのですが、森田氏を名乗って中川家中に加わっています。
豊後国にも従い当初は1000石近くの石高で岡城内に屋敷を拝領するなど近い関係を持っています。
但し、森田氏は老職になったり中川姓をもらったりはしていません。

やはり、中川氏家中は摂津国の在地領主層の同族連合として成長したことがわかって興味深くありました。
北摂の史料をみながら、高山右近と同様に、中川清秀が荒木村重、織田信長、羽柴秀吉らと結ぶことで周辺の国衆たちを糾合しながら大名として成長した勢力であることを確認できました。
摂津国の国衆たちは織田・羽柴氏から同盟勢力になるなどしていますが、荒木氏や高山氏などは改易されたり関ヶ原で没落したりとなかなか生き残ることは難しくあったようです。
その中で中川氏は清秀が秀吉と義兄弟の契約を結ぶなどしぶとく生き残っていったレアな部類にはいります。

岡藩を形成した中川氏家中を把握するには織豊期の摂津・播磨を知っていないといけないということをあらためて再確認しました。
大分だけでは、近世中川家を把握したことにはならないので要注意。きちんとルーツを抑えないといけません。
高槻市の他にも茨木市、三木市からも可能な範囲で抑えてみたいと思っています。

2009年2月23日 (月)

夜は浅草。

P1000732 22日はおわったあとでお誘いもありましたが先約があったので、夜は2ヶ月ぶりに歴史研究家のW氏と浅草で再会。アートのミーティングの後で、歴史の世界へシフト。

宿は某バンダイの隣だったので荷物を置いてから時間があったので両国の江戸東京博物館に行ってみました。見ての通りの建築家菊竹清訓氏の1970年型モデルなデザインです(^^ゞ これは十分アートです。

古くは出雲大社に隣接したRC打ちっ放し建築にはじまり、新しいのでは九州国立博物館設計した先生ですが、いやーキテますね。江戸東京博物館のロゴがさらにキッチュ感を爆発させています。
うーん、感嘆してきました。足元?の吹き抜けフリースペースの挑発的な大空間はなにものにも代えがたいですね。
メタボリックバンザイ!20世紀のすばらしい財産です。
で、肝心の江戸東京博物館。ミュージアムショップだけみてみましたが、品ぞろいは九博のような感じでした。江戸城図版品切れでした(ノ_<)

で、隅田川を歩いて浅草へ戻り、の安飲み屋でWさんと再会。近況についてや、歴史研究のこと、出版な世界のことなど談論風発。
とても面白かったです。
歴史屋の執筆のお話などなどあれこれも交えていろいろとお話を楽しみました。
また、よろしくお願いしますね。

それにしても、食えない日本史研究者が売れない本をお金を出して出版して、食えない日本史研究者が1万円近い本を購入するという摩訶不思議な慣習はいつから生まれたのでしょう?
80年代末からバブルになりましたよね、日本史研究論集。
昨今は、研究者は就職するまでには一冊くらい出してないと、ってなっている様子、クレイジーだ。
昔の御代が若い頃に論文集など出してましたか。大学の先生とかになって生涯2〜3冊くらいと思うのですが、いつからこんなふうに乱発されるようになったのでしょうか?

さて。23日は朝から八王子へ遠征して北条氏照の居城だった滝山城を見学。アート→歴史→お城とつづくのでした。

2009年2月 4日 (水)

大友家文書録

大分県教委が以前に行った古文書調査事業として、『大分縣史料』の編纂があります。
九州では熊本県教委も『熊本縣史料』、佐賀県も『佐賀県史料集成』という編纂事業を行っています。

大友氏研究では、その中に収録されている高家大友氏に伝わった「大友家文書録」が有名なのですが、最近個人的に関西方面から問合せがありまして、この刊本が案外関西方面の府県級図書館にないことを知りました。。

「大分縣史料」は京都から大友氏などに宛てられた古文書も多数収録されており、発給先では東の上杉や西の毛利だけでなく、大友氏関係にも近畿系の研究者には「使える史料」があるんだそうです。大友氏は確かに西日本に大きな影響を及ぼしている勢力ですからさもあらん。でも、大分県では著名な「大友家文書録」のある『大分縣史料』が、関西に出回っていないのはちょっと驚き、でした。関西と九州と往来している身にはあるんだろうと当たり前のように思っていましたが、研究者の多く居る関西方面に案外九州系の中世史料集成がないのは意外でした。

そりゃ、大友氏研究が全国級にならず、大分県界隈の「地域史」で留まるわけですね。。。。(´・ω・`)

なので、手元のコピーを郵送しました。
ちょっとはお役に立てるかも?

各地で編纂してきた史料集成のDB化と横断化を積極的に官学連携で事業化して、研究者が仕事を持てる環境をこしらえてほしいですね。

2008年11月 9日 (日)

岡山県古代・中世史研究の最前線に行ってきました。

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いつも「アート」ネタばかりですが、本業は「お城屋さん」です。
ということで、8,9日は岡山県立博物館の「岡山県古代・中世史研究の最前線」に行ってきました。
吉備地方文化研究所・美作大学地域生活科学研究所・岡山県立博物館の共催で、岡山県の古代史・中世史の現状を確認しようと言うシンポジウム。大阪と岡山と大分を往来する身としては、知っている方々もおられる岡山県の中世史研究がどんな現状かとリサーチを兼ねての帰省。


お城屋さんとしては、備前・備中・美作は戦国・織豊・近世城郭の様相が複雑に絡み合う場所。
中近世移行期から17世紀初頭までの様々な権力と城郭の関係を読み解くには魅力あるフィールド。縄張り図をきちんととってみたいと思う城が備前・備中・美作にいくつかあります。。。山陽地方は腰を据えて調査する人がほとんど居ないので魅力的なんですけどね。


初日の8日はシンポジウム、2日目の9日は研究発表でした。初日のシンポジウムはM氏のような提言型の斬込みがもっとあれば良いんでしょうけど、まあいろいろと言えない部分はありますよね。その日の懇親会ではいろいろな方にお会いしてお話をお伺いする。当たり前だけど知らない人も多いし門外漢なので突っ込んだことまで話すわけではない。そして、2日目の研究発表は京芸の争い・毛利氏の備中進出と清水氏のこと、そして宇喜多氏の家臣団編成。かなり面白かったし興味深く拝聴。中世から近世へつなぐ視点を以ていろいろ質問。宇喜多よりも池田・森を抑えることが肝要と思うので。。。

岡山県の研究環境は、当たり前ですけど岡山県も大分県と同じく博物館や大学、研究環境をめぐるものはあんまり様相は変わらない。ただ、違うのは関西圏に近いこと。その違いは大きい。タコ壺な九州で居てはまず確かめられない、中央の研究会の動向が聞き及べる環境と言うのは大きい。だから、タコ壺の中でも意欲的なシンポジウムを展開する研究者が集う場所が生まれるわけで。
と思いながら、いろいろリサーチできた2日間でした。

今回は前例もなく試みという面があって慎重に進めたことと思いますが、主催者側がもっと「戦略的」に見据えて仕掛けていってもよいのではと思いました。仮にボクが県博にいたら大学とのコラボレーションは願ってもないシチュエーションです。何せ所蔵文書の読解と調査報告書、展覧会事業までのコラボはとても魅力的。直接言わなかったけれどももっと仕込んで「変化」や「リアクション」をみるのもおもしろいと思うんだけども。。。その積み立てが、つまらないと言われる中世史もかなり面白く斬込めると思います。

とはいえ、当方の現状も、アイデアはあるものの、金だけ持ってる掘り屋と学生を持たない元師範学校系大学のビジョンなきコラボにショバを占領されてしまっているわけで。。。困ったものだ。

岡山もそうでしょうが、魅力的なフィールドの中にさまざまな研究者が活動する環境をこしらえられないものかと思う次第。如何に地域と行政と資金元をまきこんで「事業」を組み立てるかを見通し、そのためにどういった企画を立てて事業化を目指すのかを日々考えつつ行動。観光的産業振興でもない、学校教育事業でもない、第三の道としての文化政策視点が不可欠。

ローカルで研究者が集まり研究費を獲得するにはどういった器とシステムが必要なのかを考える素材として、九州より周回遅れな財政難に面した行政が問題視されている岡山県界隈をもう少し広く見てみたいと思いました。とりあえず、美作の城郭跡探訪から着地して「研究者」として認めていただくところからですね。

2008年10月18日 (土)

「21世紀の正体」とたけた(10年後のための備忘録)

ところで。

緊急取材決行!高城剛が考える「21世紀の正体」

なるほど、至極納得。たけたで住んで10年になるけど、住んでいる実感として多分あり得る未来像だろうと思った次第。ちょっとワクワクした気分です。

続きを読む "「21世紀の正体」とたけた(10年後のための備忘録)" »

2008年10月12日 (日)

日本史研究会の大会に行ってきました。

11日は津山から高速バスで京都へ寄って泉州の実家へ。そして、12日は再び京都へ足を伸ばして日本史研究会大会の中世史部会に行ってきました。場所は花園大学。
この日はえらい寒かった。京阪神周遊キップを使ったので実家から和泉府中乗り換えのはるか号で大阪での乗り換えなしで京都まで、ラクチン。そして円町で降りて花園大学。
とあれ、何年かぶりの日本史研究会で、九州からでは知り合いがいるよしもなくひとりで行ったので昼の弁当はさみしくキャンパスで(ノ_<)。

この日の目当ては、戦国期研究がテーマの中世史部会。村井良介氏の報告を拝聴する。
毛利氏分国から現在の戦国史研究の大きな枠組みを知ること、そのついでに歴史学の業界での研究討論のやりとりやコトバの応酬、議論の進め方、どういうかたちで質疑応答が進むものなのか、歴史学研究の業界での雰囲気と慣習めいたものを見学してきました。お城屋さんがもっとも相手するのは歴史学の業界。こちらがどのような議論を積み重ねているのかを把握することは常に必要な作業。迎合するのではなく常に対峙する姿勢を保つためにも。。。

そして、関西方面からみた西日本の戦国史研究の現状と位置取りについて見学するのも目的。
ホントに密度濃いですね。九州では味わえない内容をじっくりと研究報告1時間強と質疑応答2時間強、拝聴してきました。とてもいい勉強になりました。

座席はみんな前へ座らない。後ろに固まる。なんでかな?と思ったけど、多分質疑応答で誰が話すのかは上からの方がわかりやすいからかもしれません。質問は最初から討って出る人はいない。多分ヘタな質問は相手にならないか空気を乱すからだろう。しばらくは司会が促しても質問が出ない。。のは消極的ではなく仕掛けと流れを読みながら構えているからの様子と思われ。。。その証拠に30分くらいから主力級の方々が口火を切り始めて議論が熱を帯びていきましたもの(^^ゞ 

質疑応答は議論の意味がつかめていないと参加できないゲームのようなもの。報告者は今日の動向を踏まえて用意周到に準備を重ね、あらかじめ課題設定を提示した上での問題提起をするわけですから、押っ取り刀な質問や、シロート的な場違いな質問は、「問題提起」を意図する大会報告ではかなり空気を読まない人になってしまう様子。フムフム。なので、質問者もある程度の「議論の流れ」をわかる人でないとうかつな質問はできない感じ。こちらは分野が違う門外漢なのでゆるりと観てましたが、司会進行が進むに連れて主力級の方々が関東と関西からの切り込んで議論が進むが、それ以外の地域から乏しいのはちょっと惜しいかも。ちなみに、九州は大友系も島津系も皆無です(ノ_<)。

そして、学会と言えば、書籍販売。2割引なので歴史系の書籍と史料集を軸に、泉州方面と中国方面、織豊期にしぼって城郭史に絡む部分でピンポイントでいくつか購入。かなり散財しましたがこれも先行投資。

2006年12月20日 (水)

歴史となった「昭和の教育基本法」

Snow1222asa_2 誰も頼んでいないのに全面改正されたので、歴史となった「昭和の教育基本法

学習権の保障や地域主権における教育行政の実施などといった基本的な問題は
修正や追加条項でも済んだ性格のもの。そういった「現実的方法論」を議論する方々もおられたような気がするけど、条項修正もしくは追加法で昭和の教育基本法はより磨かれた良い基本法となったことだろうに。。。

東大総長南原繁氏の名文で昭和以来60年も続いたにも関わらず、伝統を重んじるとかおっしゃる政党によって「革命」のごとく、戦後の伝統は廃棄されてしまった。(ちなみに同じ手法を憲法全面改正でやると、政権交代じゃなくて政体交代となります。)
むしろ、この名文の根底に流れる理論を読み取ることで、教育の真理を明示する作業が欠かせないでしょう。教育はこの社会とは何か、自然とは何かを、生まれてきた未来の者に現在生きている者が伝えるもの。
それを、ヤラセまじりの我田引水で書き換えて「教育とは」と宣うのだからどうしようもない。

代りに、官僚の作文に原文がパッチワークされた継ぎはぎの「平成の教育基本法」ができたわけだけれども、
それを実施する側が、生ぬるいと締めつけてもどんどん裾野が落ちこぼれ、わずかばかりのエリート層がセキュリティウォールの中にひきこもるような社会を再生産するのでは、未来の日本人の「国際競争力」は資本のピンハネに再生産の道を断たれて落ちていくばかりだ。日本国内の過疎地よろしくアジアの過疎地の道は加速されるだろう。

で、昭和という時代を明治に始まった帝政が破綻した20年分の「戦前」ではなく、その後44年の古き良き?「戦後」と位置づけるなら、歴史的に「昭和の教育基本法」を位置づけ、そのリベラルさとその後に訪れる無作為と足りなかったものを総括する必要がある。
その作業は、「平成の教育基本法」が如何に使えないかを歴史的に立証するためにも必要だと思うね。

2006年8月17日 (木)

今週のマル激

マル激トーク・オン・ディマンドのスペシャルリポートは、この5年間、我が国のリーダーが固執した8月15日な内容
それぞれの熱心な主義主張を外して、敗戦後の経過を踏まえるとこういった図式になると思いました。その上で、今日の私たちの公と私の位置づけについての課題(ついでに言うと独立回復の手打ちの踏み倒し問題もあるが)であるという指摘はなるほどと思う次第。
根底には、明治の近代国家成立以降のあいまいな公と私。その背景には、元来、民間信仰であり年中習俗だった神さまの世界(仏教などと兼ねてよい信仰世界)と国王?たる天皇を直結させることで、近代日本における臣民の公とするという妙な国民統合を設計した明治初年の国家思想にあるから難しい。

2006年8月 8日 (火)

歴史となったナガノ革命

Book_yasuo都道府県という政官財官&地元新聞がコングロマリットした閉じられた世界の中で、前知事が新幹線と言う風穴を開けたら東京からやってきたパンダがこの人。パンダで居てほしいと言う周囲の期待を裏切りレッサーパンダの如く自律して2足歩行した田中康夫知事のナガノにおける業績は、我が国の地方自治を考え、検証するための有益な資料になると思っている。
ソフトパワーが決定的に不足しハードパワーが先行する田舎行政で如何にソフトパワーへシフトさせるかは至難の業であるからだ。コングロマリット相手に四面楚歌になる上に、味方のはずの支援者も簡単に転んでしまうからだ。その中でどのような理念で行動し、その行動に対して周囲がどのように考え行動したかが8月でガラリと変わるであろうホームページには詳細にアーカイブズとして記録されている。ぜひとも記録集を編集して出版してくれる書店が現れることを望む次第。


てなわけで、長野県知事選挙前の6月に総括するように刊行された「日本を-ミニマ・ヤポニア」を知事選前には買いたいなと思っていたら、何たることか康夫チャンは落選してしまった。本人は上の本で在職中から知事には固執していないと書いてた人なのでわたしの成果を受入れなかったのも県民の選択(戦後チャーチルではなくアトリーを選んだ英国の如く)として受け止めるだろうけどね‥‥それにしても、2004年には財政再建団体に落ちる予定の瀕死の県を何とか黒字経営にしてきた矢先だったのに長野県民は知らんよ。目先の利益で選んだ新知事の任期中に確実に破綻してしまうだろうに‥‥合掌。

ということで落選した次の日に大阪でようやく仕入れた「ミニマ・ヤポニア」。新幹線で斜め読み。
前から読めば6年間のナガノ革命を通しての活動理念と行動が記され、後ろから読めば代表を務める新党日本を通しての国政への活動理念と設計図が記されているという構成。
ナガノ革命の足跡はいつものこととして、印象深いのは、後ろからのミニマ・ヤポニアは単なる新党日本のマニフェストでなく、過去から現在、そして未来へ向けての考察が歴史学的考察を盛り込んだ論文として読める点でした。
大雑把にみて、共産党や旧社会党などの左派系とは対称的に、今日、文藝春秋辺りなどに載っている保守政党系の文章は伝統を重んじる割には歴史的考察の欠落したひとりよがりの説をより合わせた駄文が多い(だから田舎のオヤジや社長、管理職の愛読雑誌になるのかもしれん)。このことを思えば、引用元が記され歴史的考察をバックボーンに論文として読める構成となっている政治理念の文章は我が国では希有なものと言えるだろう。
後ろからのミニマ・ヤポニアは是とする立場からも非とする立場からも一読を奨める単行本です。1900円は十分もとが採れます。

昨今、首相候補という人たちのポンチな「文庫本」が平積みされてますけど、ほんまもんの政治理念の文章というものを一度読んでみたらよいです。

2006年4月13日 (木)

琉球の文化と「我々の文化」

Ryukyu今度、九州国立博物館で琉球王国を採り上げた特別展「うるまちゅら島琉球」が開催されます。
今日の日本国内にあって、かつて独立した文化圏を持った地域を如何に捉えることができるのか、「国立博物館」という近代国家の産物の今日のあり方を九博がどのように捉えているのかお手並み拝見というところです。琉球王国の文化はそれそのものが魅力的であり、沖縄県にいけば本屋で『高等学校琉球・沖縄史』が手に入るように、近代化の過程で日本国に含まれながらも独立した文化圏の認識を持つ地域です。
一方、日本の美術を扱う側としては、常に琉球王国の文化をエキゾチシズムで消費してしまいやすい側面と、日本列島の文化と彼我の関係が常に問われる他者の文化を「われわれ」と括ってしまいやすい近代的枠組みの誘惑に引っかかってしまう、またその代案を見出しにくい難しいテーマです。日本史でもしばしば周縁(どこの周縁と言いたいのだろう?)と扱い、列島史と琉球史を相対化するといった視点は抜け落ちやすいのが現状です。

少々厳しく言うならば、第一弾が田舎者の九州人に「日本の美術」を紹介する日本版中華思想な代物だったし、第二弾が中国といっても米国で開催された特別展の組み直した輸入巡回展(図録みたらわかる)で、どこに九博があるんだ(便乗企画くらいか?)という代物だったので、第三弾となる琉球で九博らしさが問われることになるわけですから注目です。

‥‥東アジア世界の中にあって、海を舞台に繰り広げられた多彩かつ多様な交流の歴史を持っていたのです。その 独自性というのも、琉球の地理的あるいは歴史的な事情を反映して、日本や東アジア諸地域の文化の様々な要素を養分として芳醇に実ったものでした。展覧会に 来ていただく方々が、作品を前に、あるいは親しみをおぼえたり、あるいはエキゾチシズムを感じたりするとすれば、こういった琉球の歴史的な背景が関係して いるのでしょう。とはいえ、これはやはり独立したひとつの文化です。
 アジア史的な観点から琉球を見つめることによって、われわれ自身の文化が一面的なものでなく、多面性をもっていることを改めて認識したいと思います。
 日本と中国の間に位置した琉球の文化が、東アジアの激動の歴史の中で形成されつづけてきたことを、総件数150件の優れた美術品と歴史資料をとおして紹介し、来観される方々に、豊かで力強い琉球の世界への旅をお楽しみいただきたいと思います。
‥‥

と言う(日本と中国の間の琉球って!)説明をみるにつけ多分「ベタ」に扱うだろう予感がするけれども(そうでなければ、さすが九博!と思うけど)、それも含めて今の我が国の美術史、歴史学の現状を示すサンプルとなることでしょうから注目です。

琉球もいいのだが、肝心の「九州」はいつまでたっても出てこない。次こそ期待して待っておきたい。

2006年3月24日 (金)

【資料】憲法そして国民投票制度を論じるための共通認識

2年ほど前か、村山元総理の講演を聴く機会がありまして、
その際に「護憲・改憲といった議論がなされているが、昨今の国会のあり方を見ていると、立憲主義がそもそも機能しているのか多いに危惧する。(社民党が)従来の護憲論の枠組み以前に、憲政擁護というレベルから発言しなければならない事態になっていないでしょうか」と質問したことがあります。(本人はどうやら連立内閣を組んだことを批判されたと思ったようです(笑))

我が国は近代憲法を持っている国家でありながら本当に憲法精神に沿った議論がなされているのか?と言った立憲主義の観点からの疑義と危惧について、上で薄々と思っていたことと似たような観点で、図らずも憲法調査特別委員会の辻元さんの基調発言に簡潔にまとめられています。
憲政擁護の意味での護憲論として興味深い内容ですので党派に関係なく一読してみてください。
つじともWEB「憲法そして国民投票制度を論じるための共通認識」

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2005年7月15日 (金)

チャングムから学芸の話まで


left_menu_titleimg01ヘルペスで安静を申し付けられたので仕方なく、夜は何もせずにBSでアンコールしてた
「大長今(邦題「チャングムの誓い」)」という韓国ドラマしていたので無音声(音声が壊れてるため)で観た。
このドラマ、うちの事務のおねーさま方がみーんな注目しているとのことで、ちょっと前に後半編スタート用のガイドブックもみせてもらってたヤツなんだけど、何せ時代が朝鮮王朝中期の
第9 代王成宗(在位1469〜1494)と異母兄弟の燕山君(在位1494〜1506)と中宗(在位1506〜1544)という、対外交流史をウリとする九州史学在籍の中世史研究者としては看過できない時代ですので、観てみたわけですよ。その朝鮮王朝実録に載っている実在の女 医長今(チャングム)を主人公とした宮廷ドラマだそうな。といっても長今は実録にチョロっとしかでないので有名な歴史上の人物というわけでもないみたい。

予備知識もまるでないのであるけど、ファーストインプレッションは大河ドラマと朝の連続ドラマ(+東海テレビの昼からドラマを加味。)がうまく融合した感じ の韓国ドラマだなぁという感じ。いやぁ、歴史上の有名人を出して空振り続ける大河ドラマと似たようなおねーさんの人生ドラマでマンネリ化しつつある朝の連 続ドラマの反面教師と違うか?と思うくらい要点を抑えたドラマ(とりあえず、こちらのテレビブログ『大長今ストーリーガイド』が参考になる)。

アンコール放送でみた回などの前半の料理人編というのは全くのフィクションらしいのだが、 料理→医学へ向かわせることで往時の食文化と医学を再現してみせる、という学芸的にも興味深い構成。考証は朝鮮王朝実録がベースだろうが、わからないとこ ろやドラマの演出上ある程度アレンジしてるものと思われる。日本と違い、王朝がきちんと記録を録るのでこうした生活文化の考証はやりやすい。(追記:公式ページみてみたら同時代の具体的記述が乏しく難しいらしい。生活誌復元はこの辺が難しい。それで、王朝はあんまり様式を変えないという前提で考証してるよう。)

物語としては、ほとんど記録のない人物を 主人公にすることで自由に構成が可能となるメリットも見逃せない。うまいよねー。ドラマ仕立ては韓国ドラマらしい軽さと重さがうまくマッチしていて観る方 を飽きさせないし感情移入もしやすい。フィクションな人物を中心に物語を進めるので自由なシナリオが組めるのだろうか観ていて面白い。去年の三谷幸喜脚本の「新撰組!」もフィクションを絡めてこういうテイストでしたかったんだろうなとも思う。
日本で置き換えるならば、おあむから観た「おんな太閤記」とか、宮廷女官からみた「栄花物語」とかいう感じになるのだが、朝鮮王朝のような王朝システムがなかった日本では、大奥でもこうは作れないので、アアやられた!(+_+)という感じですね。

この時代は、日本の室町幕府や大内氏などが朝鮮貿易船を派遣し、対馬が窓口となり博多などが貿易港として栄え、商人や禅僧が活躍する時代です。対外交流史ではこの時期の朝鮮王朝実録をよく引用するんですよ。なもので、成宗や中宗はなじみ深い(;゚∀゚)オイオイ? まもなく開館の九州国立博物館や、九州大学文学部の朝鮮史学研究室と日本史(中世)研究室が観たら泣いて喜びそうなドラマなんですよ、「チャングム」は。わたしが国博や九大に居たら、迷わずNHKと韓国MBCに談判して「チャングムと朝鮮宮廷文化」で展示とシンポとセミナーとツアーを組むけどね(ノ´∀`*)テヘッ。
日韓中の「オジサン・オバサンの大文字物語」に代表されるイデオローグやプロパガンダとしての歴史(おおよそ20世紀の歴史学ですな)の余韻が未ださめやらぬ状況なのですが(。・ω・)(・ω・。)、歴史学の現在としては、
宮廷文化や生活誌などの比較的身近な歴史的事象から当時の人々を知り、さらに大文字の歴史的事象へ誘うという、教養としての歴史学の面白さを伝える方法論を如何に鍛えるかが課題なので、こうしたドラマで仕掛けてきたムーブメントを博物館的にもしっかり受け止めてやらねばならないテーマなんですよ。
日本と韓国が違いを意識するのは朝鮮出兵時以降なので、その前の比較的緩めのこの時代はかなり面白い発見ができること請け合いですよ。それをしてこそ、はじめてアジアの玄関たる国立大学と国立博物館じゃないですかね。

と、ヘルペスを患いながらチャングムを観てみたのでありますよ(笑)。
うちでやろうかな?パネル展示くらいさせてくれそうなものだが。

2005年6月27日 (月)

福岡に行ったら‥‥

hinatameずーっと南で停滞していた梅雨前線がなぜか急に北上してあっという間に通過したため、月曜日はむちゃくちゃヌルい天気でした。気圧配置は「梅雨明け」モードらしい。
ということで、
水は豊富にあるが人とお金がまるでない竹田市から、水はないが人とお金は豊富にある都会の皆様へ暑中お見舞申し上げます。
筑後川から給水するのでは足りなくなりそうなので、ローマ帝国よろしく阿蘇・久住辺りから水路橋を引っ張るのはいかがでしょう?
え、水を運ぶなんてとんでもないって? いやいや、なんのことはない。温泉だったら武雄と由布院の「お湯」を毎日福岡へ運んでペイしてるじゃないですか。水も同じようなものですヨ。まぁ交付税のようなものと思って我々から水資源を購入してやってくださいませ。

と、戯れ言はおいといて。
地図を仕入れに鳥栖→九大と出かけました。鳥栖は南風が突風で何度車が揺さぶられたことか、そして、福岡暑すぎ。5度くらい気温差のある竹田市から福岡市に出るとほとんどぬるま湯につかっているような感じになります。
ぬるま湯でゆったり。。。はリラクゼーションのお約束ですが、全然体が対応できませんでした(;´Д⊂)

用事を済ませて、久々に大学生協の書店をみてみたら、書籍の内容がかなり軽くなっているのに驚く。最近はやりの隣国批判の煽りものでも平気で店頭に並んでいたりする。本気で読んだらバカになりますよ。。。と言う感じで、研究論集や練られた文章、翻訳本などよりも、トピックに飛びつくかたちで一次加工で編集された企画モノっぽい書籍が店頭を賑わすようになっている。
最近のこの手の本はネタ本としては使い物になるかもしれませんが、本当に大学で学ぶ人が必要なのはそうした表層的な一次加工処理されたネタの背景を読み込む作業であり、そうした分析と出会うことが肝要なので、あまりこの手の本が大学生協に氾濫するのは好ましくないなぁ。
隣国(って韓国。)のアホっぷりを書いた身内本(所謂自己批判的分析モノ)なんぞも、こちらからみてアホっぽい態度がどういった価値観から生じてどういった背景がそこにあるのか、それと我々(わたし)との関係。。。まで思いを馳せねば、ええ具合に最近の「煽り本」に頭を染められてしまいますネ。

前韓国大統領を拉致・逮捕・投獄した跳ねっ返り分子の元、元締めで元首相キム・ジョンピル氏に名誉学位を与える大学だけのことはあるから、ここにも工作員の魔の手があるのか?(笑)

まぁ、近代の歴史も一次加工の書物で書かれた内容をコピペして居直るのが昨今の教養人のやることですから、大学の書物(書き手のレベルも含めて)もこんな感じなのでしょう。逆に言うと教養主義が見事に解体されつつある今日は、コモディディ化された知識人にとっては既得階層を崩し新規開拓のチャンスかもしれません。長文をまとめる能力と洞察力が問われますね。

変化するのはわたしが大学に居た時に先輩世代から同じように思われていたのでしょうが、都度変わると変わるものですね。ここ5年で思うのは学生の質はかなり高いポテンシャルを持っているのです(一応、腐っても旧帝大ですからな)がサポート側がおそろしいくらいに官僚組織なところがイタイ。というか、大学の先生が急速に「文部官僚化」しているような気がするね。かつては独立性の高い「学部」連邦的な性格が強くマイスターな先生が割拠していたものですが、昨今の産学協同や学際的云々で学部から研究室が引き抜かれ組替えられするので、それを仕切る中枢層(マネージャー化した教授達)が肥大化してかなり中央集権的体制になっているよう。それでいて巨大組織なので究めて官僚的組織になっていてウェブをみても空虚な謳い文句があちこちに点在しているわけですな。大丈夫かな???

で、そんなわたしがかなーり恥ずかしい思いをして購入したのが、九大の理工系研究室の研究はこんなですよ的PR書籍(愚)、さる筋から質問を受けたのでわかりやすいものとして資料を入手。どうもシステム情報工学系らしいのだが、さて、使えるかな?

ついでに、いろいろ検索していたら、我らが竹田市大字九重野をかの高野孟さんがいらしてたらしい。
題して、「
大分県の山奥に「人民公社」があった!」( ̄□ ̄;)
まぁ、そうですけど。あんまりな表現ですなぁ。。。大分県の山奥というより九州のど真ん中なんですヨ。

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