2008年4月30日 (水)

美作一宮の御田植祭

Nakayamasha Otaue1













29日は御田植神事の取材に同行するお誘いがあり、美作一宮の中山神社の御田植祭を見てきました。
御田植神事をみるのは初めてでしたが、今昔物語や一遍絵詞にも登場する美作一宮と16世紀頃の建造とされる中山神社の本殿を拝めたのはありがたい。入り母屋と唐破風の妻入りなのが印象的なもので中山造と言うそうな。
正面の神門は薬医門で津山城から移築してきたものです。
猿神が祭神だったそうですが、この辺は詳しくないので今昔物語を読み直してみます。

宮川の上流をおさえる立地は、条里が残る津山盆地との関係の深さを思えばなるほど一宮かと思う次第。

御田植祭の踊りもさることながら、宮司、禰宜さんたちの配列の仕方、拝殿と本殿の並び方やご神体の取り扱い方などを遠くから拝見してとても興味深いものがありました。写真を撮らしていただきました。
近世・近代にかなり祭礼の仕方は変わっていると思うので、中世の様子を把握するのは難しくありますが、建物をどのように使うのかという視点では非常にいいチャンスを拝見できて満足でした。

2007年1月12日 (金)

京都アートツアー〜京都駅に降りる〜

週末は、関西へ帰省。岸和田での1617会例会に参加するのが目的。朝からの例会だったので前日から関西入りして京都での展覧会を拝もうと考えました。

P1060384 それで、12日は早朝6時に竹田から福岡へ出発。車を置いてから博多駅からひかりレールスターで新大阪へ。
のぞみでもいいんだけれども、ひかりレールスターの指定席にはオフィスシートがあるので、そこを抑えて3時間PowerBookで原稿書き(なーんて)
ドイツ鉄道の超特急は全ての座席にコンセントがついてて、みんなノートブックでいろいろ遊んでいるというのに、我が国の新幹線には壁にしかないのはどういうことでしょう?ドイツ旅行の際には重宝したものですが、せっかくの電車なんですから2列指定のレールスターならもっと増やして欲しいものです。
指定席の前後にしかないオフィスシートを確保できたのでやれやれですが、何とかならないものでしょうか。
PowerBookは机に載せると思いっきり揺れますが、膝にのせて打ちこめばけっこう使えます。


ひかりレールスターは新大阪止まりですけど、特急代がかさむので新大阪で在来線に降りて新快速で京都に13時15分に到着。6時間以上の旅で上洛できるのは便利なんですけど、できれば寝台で起きたら7時に関西、帰ったら7時に大分ってのが楽でよい。朝イチで出ても昼前とかなるのは案外しんどいですから。

P1060640さて、現在の京都駅はすばらしい建築家、原広司氏設計の建物です。大きな階段と吹き抜けコンコースが印象的な作品です。
外観やコンセプトはどうぞご自由に。。とは思うのだけど、面白いのはまるで戦艦ポチョムキンのような荒技が出来そうな広くて大きな階段(お上りさんが不謹慎?な目的で見上げたりしてます)と巨大吹き抜け空間のコンコースに反比例するように、おそろしく狭いトイレしか用意されてないのがこの建築の醍醐味。

きっと、建築家先生は雲の上で外観デザインばっかり考えていて「一般ユーザー」的使い勝手なんてどうでもいいような暮らしをされていることがよくわかる逸品です。原先生だけでなくたいていの建築家先生はハードワークと徹夜な方々なので、普通なライフスタイルには疎いのではないでしょうかしら。。。
設計費でデザインは意識しますが、駅とは何か?どういった人たちが集まり利用するのか?といった部分は依頼するJR側の仕事と思っているのかスルーする傾向があります。でも、せめてその数パーセントでよいから、トイレという空間の意味を噛みしめて衛生設備にまわしてもらえればよかったのですけどね。

そんなことを思いながら、京都国立近代美術館のある岡崎公園を目指します。ホントなら三条京阪か阪急河原町で降りるのが便利なんですけどね。

2006年4月 9日 (日)

佐賀城本丸歴史館へ出かけた

Tosu Sagajo3 鳥栖の勝尾城調査の仕上げが早く終わったので、鳥栖スタに間に合わなかったこともあり、佐賀にできた佐賀城本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館を見学してきた。17時までだろうと大慌てで鳥栖から佐賀へ飛ばしたら20時まで空いているので余裕で見物した。

佐賀城本丸には国指定重要文化財となっている藩政時代からのホンモノ「鯱ノ門、及続櫓」と不思議な?天守台跡と石垣が残っているのは案外知られていない。その内側の空間を整備して本丸御殿を復元し、藩主の御座ノ間が公民館として現存していたので元の位置に移設してあわせて「佐賀城本丸歴史館」としてオープンしている。
隣には博物館・美術館があり、近くには大隈記念館やかつての武家屋敷エリアなどが残っていてけっこうこじんまりとまとまったエリアが整備されつつある。佐賀城は現存建造物と天守台、再現された復元施設と移設先から戻したかつての建物があって見学するにはちょうどいい組み合わせになっている。
福岡都市圏には手頃な大きさで城と城下町がセットになった都市はないと思っていたけれども、知らない間に文化財や博物館行政的には後進と思っていた佐賀がコジャレた整備がされているとは思わなかった。。。侮り難し(^_^;;;

Sagajo1 Sagajo2 Sagajo4 その佐賀城本丸歴史館は写真の通りで、史跡の上に再現するのはどうかという気もするのだが、復元された本丸御殿の式台や外御書院部から、藩政時代の御殿と言うものが想像以上に巨大な木造建築物であったことが直接体感できる。
藩政時代の御殿建築は名古屋城本丸御殿が戦前まで残っていたが空襲で破壊された以外は、ほとんどが小藩のものや部分だけというものなので、その巨大空間さを実際に体感することは難しい。その意味では部分とは言え大藩の御殿建築の空間体験が出来るのは、近世の藩政というものが何であるのか、どういった空間で生活と公務に勤しんでいたのかがわかり興味深い。
庇の空間でさえ畳敷き。通路も畳敷きなので、通路でもあり仕切ってしまえば控えの間にもなってしまう。現存する御座の間はこじんまりとした規模であるが書院としてはどのように使っていたのか想像の翼を広げることができる気持ちの良い空間だった。

ただ、注意しないといけないのは、こうした書院風の空間や御殿が現在イメージされている「伝統的な日本の生活空間」や日本間というものとは似ているようで全く違う代物ということだ。今のイメージされているものはこれらの建造物にみられる近世的な生活空間を否定した後に明治・大正期に再構成された「伝統的な生活空間」である。

佐賀城本丸歴史館は、今日すっかり失われ近代的解釈による伝統的空間イメージにスポイルされてしまった近世的な生活空間を再帰的に感じ取るのに好都合な施設となっている。立って歩き回るのではなく座った視線でその大きさ・広さを体感してもらいたいものだ。

そして展示はといえば、10代藩主鍋島直正の藩政改革とそれに伴う雄藩としての幕末佐賀藩とそこから輩出された人物の紹介がメインとなっている。けっこうコジャレていて「あるじゃん、佐賀」と言いたくなるくらいネタが揃っていて興味深かった。今まで博物館・美術館が地味にやっていたものが観光テイストを加えて前面に出てきたのはいいことなんだろう。鍋島報效会や県内各機関の所蔵史料も多くレプリカで展示してあった。長崎県は指定管理者制度をフル回転して美術館・博物館を整備したが元々の文化行政がオソマツだったので中身が伴わない印象を受けたのだが、佐賀県の場合は文化行政も整備されつつありけっこうまとまった印象を受けた。ただ、ベタな印象もあるので案外長崎県や国営吉野ヶ里と五十歩百歩かもしれない。
例えば、
目玉である直正の藩政改革を「行財政改革」という辺りは昨今の世相が反映された解釈であるのだが、それを言うならそうした地方 分権的な独自の改革路線も廃藩置県で中央に吸い上げられたわけですから、地方自治体合併=「行財政改革の末路」までトレースしているのも紹介してほしいと ころである(:-P
九博といい最近の博物館系展示はベタなのが多いので、このような学術的に「軽い」内容の展示が「わかりやすい」なんてされてはたまったものではないんだな。やはりひとひねり「裏テーマ」がほしいところである。
でも、図録はカタログとしては良い出来で安いので3冊とも「買い」である。

ついでに、11代藩主だった鍋島直大の娘伊都子さん(イタリア公使として滞在していたローマで生まれたそうだ)が梨本宮家(伏見宮系統)へ嫁いだこともあって、いきなり皇太子の衣装なんぞ皇室色の展示があるのも佐賀らしいといえば佐賀らしい。衣装が展示してあって、「伝統的衣装」をどのように近代的に考証していったのか華族の研究としても興味深いところだが
鍋島報效会が許可してくださらないだろう(´ー`)y-~~

とはいえ、佐賀藩は独自に洋式の兵制改革や海軍創出、大砲や船舶健造のための工業化を計っているのだが、考えてみれば長崎警固などで長崎と関係が深いのだから言われてみれば納得する次第。本当に独自にいろいろな事業を行っており、その過程で技術を学び現場で実践することからいろんな人物が輩出されたことを思えば、ドイツのように「佐賀藩国」なんてあったらさぞ独自色の「地方分権的政府」ができたことであろうと嘆息するわけです。同じような動きは紀州藩などにもみられたが、やはり廃藩置県で途絶えた。
そして、栄光?の幕末佐賀藩の軌跡も同じく廃藩置県で途絶え、その後は佐賀の乱などを経て「佐賀県」自体が消滅し、危うく長崎県や三潴県(いわゆる筑後)の一地域となりかねなかったわけですから、近代日本というのが独立を勝ち取った影で失った代償が大きかったことをあらためて知らせてくれます。
その意味では、単なるお国自慢にならずに、長野県が信州として試みているような地方分権の再帰的な「佐賀藩国」ルネサンスを追求せねばならないでしょう。そこまでやる人的リソースが今の九州にあるのかな?

帰りに久留米を通過すると、既に筑後川に九州新幹線の橋げたが工事されていた。
完成は平成23年。。。。あと5年で博多〜鹿児島間が1時間半の時代がやってきます。
我らが竹田市もウカウカしてられません。脱大分県、Look Westの精神で福岡・熊本にcommitする地域戦略を立てねばならないとあらためて実感しましたですよ。

2005年9月13日 (火)

司馬さんが生きてたら。。。

よくよく考えれば世襲制らしい特定郵便局のルーツは知られていない。
で、ウィキペディアの「特定郵便局」ではルーツはあんまりつかめない。明治時代に郵便制度を普及させるための郵便局だったらしい。
で、とあるホームページに載っていた「特定郵便局とは?」をみると、


   郵便局の種類の一つで、明治4年(1871)の郵便制度発祥以来、地元の有志が私設で局舎を提供し、局長は、地域に密着して国民の福祉の向上のために奉仕しています。
   特定郵便局の局長は、私費を投じて国家奉仕のために局舎を提供し、代々その地域に居住し、転勤しないことを原則としています。その地域で郵政事業以外の様々なこと(例えば、福祉活動、文化スポーツ活動、地方自治への協力、各種ボランティア活動等)
においても公的役割を担って活躍できるのも、このような環境にあるからです。日本の郵便局のルーツは、ここにあります。

   戦前までは三等局などと呼ばれた、全国津々浦々、全市町村の約13,000局による郵便局ネットワークが構築されました。小学校、駐在所、駅、役場などと同様に様々な公共的役割を担ってきました。

であり、何とおおかたのイメージ操作とは逆に、
「公的役割を担う私設の郵便事業」

がルーツということだ。官を民でやるのが特定郵便局だったわけだ。私人が民のために行う公共事業というわけですな。
地方の鉄道が地元資本で建設しそれを鉄道省が買収して国鉄を生みだしたのと同じ系譜と言える。
元々私設で設置した「私営(所謂、民営)」というルーツが世襲制の名残ということらしい。
確かに、そんな「慈善事業」のような業務は他に代りがいないだろうから、その親族が引き受けると言うのも地方ではあり得る話しだ。なるほど民権保守ベースな荒井参議院議員が吠えるわけですな。

このページには、司馬遼太郎氏の『この国のかたち』が引用されている。

 18、19世紀の近代国家の設備としての条件は、大学と鉄道と郵便制度だろう。
       あるいはこれに病院をいれてもいい。
       以下は、郵便制度の話である。明治政府は、維新後わずか四年で、手品のようにあざやかに制度を展開した。
       手品のたねは、全国の村々の名主(庄屋)のしかるべき者に特定郵便局(当時は、郵便取扱所)をやらせたことによる。
       むろん、官設の郵便取扱所(のちの一等・二等郵便局)は、東京・大阪を手はじめとしてつくったが、面としての機能は、津々浦々の『名主郵便局』が担った。
       建物は、名主(庄屋)屋敷の一隅をつかうだけで十分だった。
       『駅逓頭』という職にあった前島密は、旧名主(庄屋)に郵便をあつかう気にならせる上で、かれらの名誉心を十分に刺激した。
       まず、郵便事務が公務であることを説いた。
       ついで、局長は官吏に準ずるという礼遇をした。
       さらには、身分は旧幕府のご家人なみの判任官とした(のち、年功の大きな者の場合、高等官にのぼる例もあった)。
       また、旧幕府時代の名主(庄屋)がそうであったように、わずかながら手当がつけられたことも、かれらを満足させた。
       むかしの士分の禄が米だったということを重んじ、金銭で給与せず、わざわざ玄米一日五合にするほどの細心な配慮をした。
       かれらはいよいよ満足した。
       
当然ながらこれによって、郵便事業に参加した旧名主(庄屋)層は、新政府からもそれにふさわしい礼遇をうけたとして、犠牲を覚悟して参加した。
       名主(庄屋)というのは、江戸期でもっとも公共精神のつよかった層なのである。

※司馬さん独特のレトリックなので多少は裏取りをする必要があるが大筋では間違ってはいまい。(もっとも昭和以降の国家主導型システムで公営色は強まったと思うが)。

うーむ、今回の結果をみたら、司馬さんは卒倒していただろう。
地元の公共圏を取り入れて(民活だわな)急速な近代化を達成した近代の国家制度を称えるはずの保守層の末裔が、今回はそれを私的な癒着だとして見事に否定したわけだからやってられないだろう。
普通は明治以来の公共心のルーツに立ち返ろうと「指定管理者制度」でもよかったわけだ。

あらためて調べてみたわけだが、もっと早く知っていればよかった。
それにしても、こういった司馬さんが言ってた初歩的なことすら用意できなかった、論壇のえらい先生たちは怠慢としか言いようが無いなぁ。私人の公共心から運営された特定郵便局などを、私企業など経済の論理でやったらうまくいくんだという議論なんだから、今後
公共心とか奉仕の心なんて二度と口にするべきじゃないな。
もっとも都市保守層にはそうした公共心など臨むべくもないそうだが。

追記。
ところで、報告書を買うのやウェブで購入する際の代金に郵便振替で送金してきましたが、振込用紙は60円、 通帳間送金は130円です。銀行はかなりの手数料とられる(つД`)。のも分割して運用してるからでしょう。これからこの手の通帳管理手数料がかかってく ると、クレジットカードが普及してくるんでしょうかね?
まぁ、みなさんがお選びになられた郵政「私営」化ですから、銀行の口座サービスも何でも手数料 徴収システムは改善されてほしいものです。銀行間のやりとりもグループ化を進めてもっとリーズナブルになって当然でしょう。それでこそ、私営化の競争原理 が働くというもの。期待してますヨ。

2005年7月12日 (火)

建築探偵、長湯に建てる。

新しい竹田市になって、今まで古建築ばっかりだったけども現代の建築家による作品もテリトリーに入ったことは非常に喜ばしいことです。
gozenyuで、以前紹介したように、長湯には象設計集団によるエスニック&レトロ系ポストモダンな御前湯という温泉館がありますが、それに負けるな、と言わんばかりに野蛮ギャルドの建築探偵、東京大学生産技術研究所教授
で建築史家かつ建築家の藤森照信氏と温泉カリスマが手を組んだ大丸旅館ラムネ温泉が七月下旬の完成へ向けてただいま建設中( ・∀・)人(・∀・ )♪

以前にシュパーゲルフェストにでかけた時に杉板を焦がした焼き杉づくりを雨の中しておりましたがいよいよ建屋も仕上がり後は内装と外構を残すのみという進捗状況で、多分に7月末日には完成しそうな勢い。
もちろん建築学科出身の学芸屋としては、石山修武と双璧を成す野蛮ギャルドなポストモダンをぜひとも拝まねばということで夕暮れ時に観て参りました。
元町営温泉な長生湯にて炭酸泉でひと風呂浴びてから湯上がりに拝見。

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ちょうど芹川沿いに温泉街からちょっと先のところにあります。隣には竹田から進出してきた陶芸のギャラリーもあって、このラムネ温泉とあわせてアートな空間をつくろうというコンセプトかな。
建物配置は、ギャラリーと温泉がセットで間に川側に長屋?が付く中庭を配したプランのようです。屋根勾配がきつく軒先が低く設定しているので母屋は思ったよりも天井高は低そう。実際にオープンしてみてから中を堪能してみたいところです。屋根のデザインは藤森先生の作品によくみられるモチーフで何やら故郷信州など東国っぽいのですが、できれば九州の在地工法にも目を向けてほしいところではあります。が、古代は高地集落もあった馬を操る健児を輩出した直入地方ですから、こういう高原的デザインもインパクトはあっていいんでは(笑)

焼き杉の技法は、わたしは過分によく知らないのだけれども所謂関西の集落にある邸宅や農村漁村などの町並みであるアレですよね。今度から気をつけてみてみることにしよう。

yakisugi←こういうのよね(。・ω・)(・ω・。) 
建築基準法的には、外壁材に木材は使用するのは関東大震災と大空襲以来、耐火上毛嫌いされるので最近の建築ではあんまりみられない。というか安い外壁材が使われている。本来は都市部や町場など住居密集地域で防火上できた技法なはずなんですが。。。今ではなぜか杉板をバーナーで焼いてネームプレートやプランターなど日曜大工のテクになっている(汗)
写真のは安藤先生がベネッセの地中美術館をこしらえた直島の漁村の邸宅なんですが、こういう白壁と組合せて雨と耐火のデザインは確かに「古来?」まではいかなくても近世〜明治日本の味わいと言えるものではありますね。
多分にオープニングを記念して藤森照信先生のトークセッションなんてありそうなので、屋根の上にある左義長のような松?は何なのか聴いてみたいところです。ニラハウスなどでおなじみのデザインですが、ドイツな長湯なのでモミの木だったらドイツ生まれヴィクトリア朝ブリテンのクリスマスツリーで面白いかも。

ちなみにこの近辺、隣の旧野津原町役場は伊東豊雄の設計だったり、隣の熊本県では細川知事時代のアートポリスでいろいろ建築があります。わたし的には、構造を極めた建築家の葉祥栄氏や、様々な事象を荒々しくデザインした猛者な木島安史氏などが印象深い。
ちょっとした建築ツアーができますね。

Foxkeh! フォクすけ!


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