2014年9月 9日 (火)

八幡における村野藤吾の建築作品について歴史的価値を考える

下記の通り、シンポジウムを開催します。 歴史意匠委員会では、学術団体として、それらの議論の前提として、まず「八幡における村野藤吾の建築作品」そのものの近現代史、及び近現代建築史からみた学術的位置づけを明らかにしておこうと考え、このシンポジウムを開催するに至りました。 どの立場からも、まずは「八幡における村野藤吾の建築作品」の学術的評価を知ってもらいたい。そのうえで如何なる判断を下すのも市民の自由。その代わりきちんと「後世への責任」も担っていただこうという趣旨で開催するものです。 それぞれの立場・主義主張を超えて皆さんのご参加をお待ちしております。 ぜひ、ご参集下さい。

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2012年6月30日 (土)

建築のミュージアム。

ふと、建築を扱う総合博物館や歴史博物館はどれほどあるのかと気になりまして、
自分の知っている範囲では、大阪歴史博物館がそうだなあと思っていましたが、
テーマを建築に持っているところか民家を移築したものはいくつかあるのですが、
建築史が含まれているところとなるとなかなかないのでは……

などと思いながら、図書館で書籍を調べていたらたまたま見つけました。
なるほど。あるところにあるものですね。機会があれば訪れてみたいものです♪( ´θ`)ノ
建築〔見どころ〕博物館ガイドブック
http://www.shokokusha.co.jp/?p=1729

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2012年6月27日 (水)

6月は近代建築史めぐり。

6月はまとまって北九州の近代建築をみてきました。
門司港→若松→戸畑とまわりました。かなりなくなっていますが、それでもいろいろと近代建築が遺されています。
その辺は、赤煉瓦館しかない福岡との違いがみえて興味深いものがあります。
関門海峡の建築群の風景も面白かったけど、洞海湾が運河のようにみえるのはなかなかいい発見でした。

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城郭史メインでやっていて、ひょんなことで向き合うことになった建築史の世界は15年ぶり。
古建築関係は城郭史とも関わりが有るので基礎文献は持っていましたが、近代以降はお留守。
なので、日本近代建築史や住居史などの基礎文献をあわてて集めてにわか勉強してます。
かつてよりも近代建築の研究が進んでいるので、多くの書物・図集が刊行されていますのでその辺の確認もしないといけません。

とは言え、本職の建築史な方のように大学で建造物の見方を訓練されてきたわけではなかったので、
その分、2年間家屋評価をやってきた経験を下敷きにして廻ってきました。
家屋評価で建造物に目が馴れていたのはよかったですね(・ω・)ノ
とりあえず、外観をひと通り回ってみる。外壁材などの構成を押えつつ、階高の構成や構造を考えながらあれこれ。
そして中に入れるようだったら、各部屋をみてまわり内部の仕様を押えて行く順番。
図面があれば申し分ないのですが、その辺は見取図を書いたりしてみて構造やプランをあれこれ考えつつウロウロ。
家屋評価のようにポイントを加算して評価額を算定するわけじゃないのですけど、そこそこ応用できますね。

建築史の場合、日本建築学会の論文・大会論文・支部論の他、特集記事などがPDFで公開されている場合が多いので
基本的な先行論文の収集も割とやりやすいのがありがたい。
縄張り研究で鍛えた、構築物を歴史資料として読み込む歴史研究のスタイルが建築史でも可能か?
いろいろな建造物からそれを成立させた施主、設計者、そして社会(都市・集落)などの歴史を読み解くささやかな試み。

2012年6月 3日 (日)

九州支部歴史・意匠系の交流研修会に参加しました。

2日から3日にかけて、日本建築学会九州支部の歴史・意匠委員会で開催されている
教官と院生の論文検討会&交流研修会に参加してきました。
場所は、小松地獄にある九州地区国立大学九重山の家です。

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下半期に修論や支部論報告を行う歴史・意匠系研究室の院生たちの報告と検討会を行い、
終わってから懇親会を開いて親睦を深める企画です。

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翌日は外からお招きした講師の先生のレクチャーを受ける1泊2日という構成です。
今年の講師は京都工芸繊維大学の石田潤一郎先生。近代の府県庁舎研究のレクチャーを拝聴。

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そんな30年以上続く、伝統ある?交流研修会です。
ボクが建築学専攻の修士課程時代(95-96年)の時と同じプログラムで、同じ場所でしたが、
相変わらず山の家の夕方・朝の食事メニューも変わらず不動なものでした(^^

3年前程に竹田市立歴史資料館の職員として顔を出したことがありましたが、
今回は学芸職に復帰して、一応建築史系の端っこに関わるかたちでの参加。
建築史教室から人文系の比文へ出た身としては、こんなかたちで歴史・意匠系に戻ってくるとは感慨深いものです。
あり難いことに、九州支部の歴史・意匠委員会委員に参加させていただくことになりました。

あれから15年以上経ちますので、歴史・意匠系の中はすっかり変わっていました。
西洋建築史系では、地中海建築の調査は相変わらずたくさんありましたが、
日本建築史では、近代建築やリノベーション・まちづくりな計画系と融合した現代風の建築史が主流で、
王道な古建築がらみの調査研究はほとんどなくなっていました。
戻ってみたら、太田静六さんのような「王道」な日本建築史はすっかり低調なものになっていたという案配。
先のことを思うと憂鬱?な状況ですが、
せっかく、歴史学・考古学の空気に触れて史料学について学んできたこともありますし、
日本建築史から「建築史料学」とも言うような歴史研究としての建築史が少しでもできたら、
この世界に戻ってきた甲斐もあるというものでしょう。

修士時代にはよくわからないまま感覚的に「日本建築史」嫌いだった自分を思うと、
今になって研究室の出自を意識して、歴史研究としての「日本建築史」考えるようになったのは、実に摩訶不思議。
まあ、これも何かの縁かもしれませんね。

2012年1月10日 (火)

建築を観る、読む、計る。

たまたま偶然なことですが、去年からたくさんの建築をみる機会を得ました。
その数は、90軒近くになります。
場所をみて、立地を押えた上で、
その建築を観て、図面(立面図・平面図など)と照合して読み込み、時には計る作業。

残念ながら、建築家が手がけたものはほんの数点なのでJAな建築評論は無理ですが(^^ゞ、
その代わり、すべからく現代の「人の営み」が詰まった良質の資料群です。
なので、遺跡や古建築から当時の人々の様子や社会を資料として読み解く手法を用いる
歴史屋さんとしては、目馴らしも兼ねていい訓練となっています。

実測をして、数値処理をしてデータベースをこしらえる作業を積み重ねることで
建築史や建築計画・都市計画の研究に応用することが見込まれる有益なトレーニング。
何度も申していますが、古文書だけに依拠しない方法で歴史研究などをしてきた身ですので、
城郭跡などの遺跡や構築物はもちろん、それらの構築物の周囲の土地・地理情報も
すべからく人間の営為を現す「歴史資料」として受入れる素地があります。
もちろん、それらの資料も取り扱い上の制約はありますが、資料に触れる機会に巡りあったことは幸い。

人の営み(痕跡)を読み解くことをモットーに、探究心があればどこでも学ぶことが出来る。
それを感じる今日この頃。

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2011年8月23日 (火)

「民都大阪の建築力」にシティを実感する。

盆の帰省を利用して、久々に建築の展覧会に行ってきました。
大阪歴史博物館で開催されている開館10周年記念展『民都大阪の建築力』です。

開館以来、近代大阪を建築からアプローチする視点で展覧会を続けている大阪歴史博物館の試みは興味深いなあと思っていたので、
行くぞと決めて観てきました。
会場は、当時の図面や貴重な資料が多く展示されており、実に満足した内容でした。

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シンプルに感想としては、以下のつぶやきの通り、近代の富裕市民が培った大阪シティを建築に関する資料から感じ取れるいい展覧会。
何よりも、けんちくな批評がない!のは好感。ともすれば建築家列伝やデザイナーズな抽象用語を連ねた都市論的解説で埋まりかねない内容ですが、
実証的なデータが引き出せるだろう資料を中心に歴史叙述中心の展覧会で構成されていました。

「民都大阪の建築力」を観て、近代大阪って欧州の「シティ」みたいに商業資本の市民が基盤となった我が国では珍しい都市なんだなあということと、
その繁栄が大震災による疎開と対アジア貿易の賜物という気づき。こんな社会的背景を踏まえて、今の大阪シティは考えないといけないなと思った。


商業資本な市民が基盤になったという点では京都市も似ているかもなあ。大阪シティも京都シティもそうした都市の市民層による地縁・社会団体の集積が
行政を構成してたならば、今の「行政、何とかしろ」と言う人たちには地縁的な日本版シティのあり方は理解できないだろう なと思った。

即興のつぶやきなのでいいかげんなこと書いてますが。。。
近代大阪は、欧州にみる「シティ」みたいなものだろうと直感的に認識できたのが収穫。ホントかどうかは図録などを読み込んで考えてみようと思うけど。
それだけに、明治〜大正・昭和前期の建築資料は多く残っているけど、昨今の心斎橋そごうや多くの解体された「モダニズム建築」のデータは
どこまで収集されているのか?その辺がとても気になりました。
その観点からは、解体した建物をウクレレにするのは残念ながら単なる免罪符でしかなく(やること自体は別にして)、
発掘調査のような記録保存と実測に力を割けるよう文化財行政からのアプローチが不可欠なこと、
それを可能にするための独自の編みかけができる条例(あるいは上位の法令)が必要だろうと再認識した次第。

日々、中・近世史と城郭研究をやっていますが、コチラへのアプローチも積極的にやらねばと再認識した帰省でした。
我が愛すべき故郷に貢献できる日を夢見つつ。。

ところで、この展覧会で「大阪シティ」を感じた伏線があって、
それが、前日の大阪ダービーのコレです。

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市章が自分たちのシンボルとして採用される雰囲気は、かつての東京市を解体した東京のJクラブでは絶対、ありえないだろう(^^
政治や経済では坂東に後塵を拝している「太閤の都」だけど、所謂「シティ」の雰囲気を持つ大阪という都市は他にないので、もっと自負していいはず。
大阪の富裕層や市民はより「シティ」としての大阪を培い、そして上のようにいろいろな形で表現してほしいなあ、と強く思う。

2011年8月 2日 (火)

登録有形文化財に泊まる—日奈久温泉、金波楼—

7月の連休で宿泊したのは、熊本県八代市、日奈久温泉にある登録文化財「金波楼」です。
明治末年に建てられた木造三階建を核に、大正・昭和期に移築や増築を重ねた旅館建築。
当時、和風木造建築全盛期かつ良質な木材を供給した九州の林業を背景に地元大工棟梁たちの手腕がいかんなく発揮された建築です。
そして、これだけの建物を維持・管理・運営してきたオーナーあっての登録文化財。
施主あってこそ建築は年輪を刻み価値が高まることがよくわかります。

とあれ、表層的な建築批評やウンチクコラムなど無用で、私のツマラナイ写真からでも建築のよさが十分伝わると思います。

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朝食の会場となった数寄屋風の大広間は、写真撮っていませんが昭和初期の文人趣味がわかる貴重な資料となっています。
ちなみに宿代は1泊2日で16000円程度。下手なデザイナーズ和風の高級旅館に2万円以上かけるよりもぜいたくな気分を味わえると思います。
昨今の旅行モノで乱発される「どこか懐かしい」なんてセリフも必要ない、
肥薩オレンジ鉄道沿線の「時代を体感できる」ステキな空間でした。

いい写真はコチラから→金波楼館内マップ 歴史については→金波楼のご紹介

〈追記〉
私の泊まった部屋の掛け軸は、岡藩絵師の淵野桂僊の作品が掛かっていました。
竹田から来たからってわけではないでしょうが、なんという偶然(^^

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2010年11月28日 (日)

福岡城跡を歩く勉強会しました。

28日は、マンボウのおうちのうききさんの言い出しっぺから大きくなった福岡城跡を案内するツアー、
改め、「福岡城跡を歩く勉強会」で講師をやりました。

福史連のご協力で、25名の参加者があり、盛大に開催することが出来ました。
たぶん、本格的に募ったらその倍はいくでしょうが適度な人数でゆっくりと、
午後いっぱいかけて福岡城跡を隅から隅まで歩き、福岡城跡の縄張りを理解していただきました。

基本は木島孝之さんの先行研究をベースに解説ツアーを組み立てたもの。
午前中に福岡城跡の要点を見直すために下歩きをして、昼に松ノ木坂門跡下に居るホットドッグを食べて、準備万端で13時から解説。

近世城郭を形成する織豊系縄張り技術の中で、外・内桝形虎口とくい違い虎口を持つ福岡城跡は、
基本的な虎口のモデルと見極め方をレクチャーした上で実際の遺構をみていただくと、おおよそ規則がわかるので
すぐに理解していただけるようになりました。
東御門→東二の丸→二の丸→本丸→天守曲輪→南二の丸→桐ノ坂門→松ノ木坂門下で、2時間半程度。
延長戦で広大な三の丸めぐり→下ノ橋門&上ノ橋門を廻って17時前に終了。

福岡城跡が天守と天守曲輪を起点に、出入り口に防禦の工夫を施し、前へ前へ押し出すことで城域を形成する、
織豊系縄張り技術をベースとした近世城郭であることが理解していただけたと思います。
併せて、現在の舞鶴公園である「国指定史跡、福岡城跡」には城郭遺構がかなり良好に残ること、
遺構は石垣だけでなく土塁部分もかなり多く残っていることも理解を深めていただけたと思います。
近世城郭は石造りだけでなく、土造りな部分もかなりあるということです。併せて現存する遺構を良好に保存する必要があります。
建物復元で盛り上がる福岡城跡ですが、その前に良好な遺跡を残す城跡として認識し、きちんと現存遺跡の保存策を固めてほしいものです。

この城跡を歩く勉強会が、縄張りから近世城郭を理解する一助となれば幸いです。

本コースに参加された皆さん、そして、最後まで廻られた皆さん、本当にお疲れさまでした。
コチラも勉強になりました。引き続き福岡城跡の理解を深めたいと思います(*・。・)ノ

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2009年11月17日 (火)

近代建築史の玉手箱、横浜。

横浜を黄金町から伊勢佐木モール、馬車道、海岸通まで歩きました。

馬車道から先は、古典からレトロ、モダン、帝冠、昭和のビルディング、コンテンポラリーな建築まで、
日本の近代建築史がぎっちりつまった空間とは思いませんでした。
明治村なんて比じゃない。しかもかなり現役率高し。
なんで、これを建築系の方々は「まるごと建築博物館」と標榜しないんだろう?
もっとも、横浜でもブイブイ言わしている建築計画学や建築家、評論な方々にとって、
コンセプトやロジックに都合の悪い歴史的事実を文脈から引っ張り出すような
建築系痕跡拾いの化石な建築史さんは相性が悪い。。。。みたいですのでさもありなんですが。。。


とにかくすごいわ。。。近・現代建築の玉手箱です。
ということは、スクラップ&ビルドな亜州型都市がほとんどの我が国では、
欧州都市型のストラクチャーを維持しながら中身をリノベーションしていくことが可能な希有な都市。
実際、いくつかはリノベーションされているのですが、関心が薄い昭和期のビルディングなどは解体されてもおかしくない可能性があります。
日頃、「欧州では」を紹介している建築評論家や建築計画屋さんは、横浜こそ「欧州型のお手本だ」と言ってストラクチャーを継承させないと欧州型都市にはなれないゾ(^^ゞ

こんな都市は日本中に他にないです。
それでいて、地区毎に様々な歴史的背景が折り重なり、さまざまなコミュニティが雑居する下町や歓楽街的世界、
一見すると普通の市街地にみえるが気が抜けないような亜州的雰囲気もぷんぷん、
そして相模的なローカリティーも色濃く残る国際都市というのもなかなかないです。

歴史的文脈が十重二十重に重なっていて、建築を取り巻く要素が一筋縄では行かないところが化石な歴史系建築史さんには興味深いです。
下手な建築計画やリノベをかましたら火傷するでしょう。



で、それでもファサードだけでも半分すら観てない。
こんなに楽しいとは思わなかった。次回は2泊してもっと歩こう。

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2009年9月 3日 (木)

『日本建築は特異なのか』を買う。

過日、国立歴史民俗博物館の企画展覧会「日本建築は特異なのか—東アジアの宮殿・寺院・住宅」を知って図録を通販で買いました。
今の建築史の動向を知るためにも、絶対に仕入れないと。と思い購入した次第です。

さて、展覧会の記事はコチラをみていただくとして、模型を中心に日本・韓国・中国の建築比較を軸として建築史を語る構成のようです。
図録をみると、もともと展示資料が限定されることもあり模型写真や展示資料はあんまり掲載されておらずちょっと残念。
その代わり、論考と現地で撮影された写真を中心に構成していました。図録というよりはこれを叩きに書籍化するといいなと思いました。

読んでいて気になったのは、日本では○○があるけど、韓国には○×がない。といった比較から、両者は似たような面もあるがそれぞれ違うという結論に留まるものが多いこと。
大事なのはその後で「じゃあ、その違いって何を意味するの?」という建築物の変遷や相違点をもとに日本・韓国・中国などの社会構造の違いに迫る術ではないかと思いました。
様式比較や大工道具などの生産技術の比較からモノから既存の歴史学に突っ込んだ視点への展開がみられないのが気になりました。

例えば、前近代日本の天皇律令制(中近世の変容した状態)の御所と、朝鮮王朝の王宮や中国の明清朝の紫禁城では、朝廷と帝王のすまいなどのパブリックと私の空間の位置づけの違いが背景にあると思うのですが、その見通しのもとで建築様式やプラン、意匠を比較検討するという構成などがあるとよいのではと思いました。
図録を読みつつ、私のない知恵をしぼりながら見通しを立てるならば、律令制を採用しながら変容していった日本と、朝鮮朝時代に逆に中華化を加速させた韓国、そして、その本家本元の中華をベースにしつつも女真族や蒙古・ラマ世界が深く貫入した世界帝国の清朝の政治的体制の違いが、それぞれの建築文化の違いに色濃く投影されているという見立ては可能だったと思います。

さらに、建築様式比較としては琉球が加わると違いがみえてよいのではと思いました。
日本的社会に近い面を持ちなが ら册封体制に属することで中華世界の洗礼も受けている両属的性格を持つ琉球を加えることで、前掲の三者にさらに、もうひとつの興味深い素材を用意すること ができたのではないかと。
例えば、思いつくだけでも、韓国も琉球も日本も、どの階層まで中華世界の政治システムで自らを権威づけしたのかが大きな ポイントではなかったか?その中で、日本が最後まで王家が刷新されず武断政治に終始し、あるところは取り入れながら独自の発達を遂げたこと、その社会体制 を背景に上位階層が生み出した産物が日本の建築文化ですので、それを結びつけて何らかの結論を出すのも、「日本建築は特異なのか」という問いへの展覧会で示せる回答のひとつにはなったと思います。

また建築史の展覧会という面と建築様式の展覧会という面が曖昧になっているのも気になりました。
例えば展示資料の年代観などでも、日本などは古代から扱うように仕立てながら、日本も含めて他国も実際の資料はほとんど中世後半以降のものです。それらの資料を古式に基づいているという前提で資料操作をするのは資料学として厳しい。
歴史学や考古学の方々に本気で攻められたらひとたまりもないのではと危惧します。
逆に、16世紀以降の東アジア世界をみる、と年代観を揃えて示せば、すばらしい比較様式史になるのでは、と思いました。
一方、住宅様式についても、19世紀の様相までしか遡及が難しい家屋を素材として、民俗学あるいは建築計画的調査の成果から歴史的に語る方向性も厳しい面があると思います。これ自身も資料の残り具合を考えると仕方ないことですが、その限界性も踏まえつつ、現在のこる遺跡をベースにもっと過去の絵図や資料調査、考古学的成果を組み込むことを方法論として積み立てると、かなりの可能性が広がるように感じました。
いずれにしても、今後、歴史学や考古学との学際的協働を通して建築史が様式史からさまざまな領域に広げていくチャレンジがまだまだ広がっていると感じました。

10年間歴史学の世界に身を置いてあらためて建築史をみてみると、文献史料を軸とした歴史学研究の中で建築史の優位な点(遺構やモノを扱うこと)をあらためて感じる今日この頃。いずれにしても、批判するのはたやすいのでじっくりと先人の研究を読み込んで、城郭史→城館史料学で試行錯誤してきた経験を活かして自分なりに回答を探してみたいと思いました。

Foxkeh! フォクすけ!


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