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2013年8月30日 (金)

田向城跡の発掘成果に接して。

千葉県山武郡にあった田向城については、先のセミナーにて私と別に報告があった事例。
シンポの場で、歴史考古学の側から、瀬戸美濃大窯の陶器と曲輪の盛土の中にある鉄砲玉が共伴関係にあったと紹介された事例です。
今回の報告で、私の方では「杉山城問題」の動かぬ根拠とされた、瀬戸美濃大窯編年案(F案)には問題があり再点検が必要と申しました。
その大窯の瀬戸美濃が層位的に鉄砲玉と共伴していた発掘調査が田向城跡です。
杉山城では表土の下にあるとされた鉄砲玉が、曲輪の盛り土の中から共伴してきて出てきた事例。
九州で報告書があるかと思い、探してみると身近なところにありました(^^
おかげで無事に確認することが出来ました。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002407530-00
当日揚げた諸事例に加えて、田向城跡などの事例も出てきたように
、見直しを進めることで証拠固めが進むと思います。
これにより、縄張り研究の有効性に疑問符を投げかける「
杉山城問題」の根拠となった大窯編年案が
城郭跡の年代比定の尺度足りえない(編年そのものは否定していない)ことは、歴史考古学的にみても間違いないところです。
よって、現存する杉山城跡は、歴史考古学的に遺物からみても、そして従来通りに縄張り分析からみても、
少なくとも永禄期を下る(たぶんに天正期と思いますが)、戦国前期の遺構でないのは間違いのないところでしょう。


「縄張・考古・文献」のテーマを語るには、まず、「杉山城問題」の清算からというのは研究史的に自明のことでした。

この問題の構造を丁寧にみることで、他分野の問題提起についてはむやみやたらに真摯に鵜呑みにせず、まずは一度裏をとりましょう、
という城郭研究者への教訓を導くことができました。
今後は、新たな年代観を手掛かりに、関東の戦国・織豊期の城郭についても進化論型型式学に視点で分析を進めていきたいと思います。

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2013年8月 6日 (火)

駒沢之陣を終えて。

今回の全国城郭研究者セミナーでは、2日目の8/4に「縄張・考古・文献―城郭研究の明日―」というテーマに沿って、
進化論的型式学に基づく縄張り分析を柱とする城郭研究を進める立場から報告しました。
1980年代以後、城郭遺跡の調査と史料的活用から当該機社会の様相を研究することを目指した縄張り研究では、
文献史学や歴史考古学等の隣接分野の研究に対して如何に向き合うかが問われます。

その事例として、2005年の「比企の城」シンポ以来、縄張り研究の年代観批判で
喧伝された「杉山城問題」を取り上げ、
これに関わった文献史学側、歴史考古学側、そして縄張り研究側のコメントと彼らが論拠とした年代観の根拠について
分析を行いました。その結果、この問題が問題ですらないこと、縄張り研究者の側では不用意に議論に参加したことを戒め、
このような年代観や城郭跡に関する視点で提示された論拠については、そのまま鵜呑みにせず、可能な限り、裏取りをした上で
議論しなくてはいけないことを指摘しました。

R0021558

今回のものは、以前から再三城郭研究者の間では指摘されていたこと。それを私が代表するような形で詳細に整理して報告したものです。
今までの流れを踏まえて、今回は杉山城跡の縄張り図も用いませんでした。もちろん、空間論や戦場論も安易に用いず、
淡々と文献史学と歴史考古学の側の手法で、丹念にこれまで提示されてきた論拠の再検証をしました。
そして、論拠には問題が多く、指摘された問題そのものが問題ですらなく、むしろ、問題にしたことが問題であったことを示しました。

さらに、シンポジウムの場を通して、「比企の城」シンポで掲げられた問題提起に関しては、
議論の途上にあった国産陶磁器の一編年案をひとり歩きさせて城郭遺跡の年代観の議論に
安直・無批判に用いられた結果にしか過ぎないこと、それ故、一連の批判は根拠の伴わないものであり、当初からそもそも問題ですらなかった、
このことを縄張り研究、歴史考古学の側の議論で確認されたことで、この「問題」は事実上終止符が打たれたと思います。

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Foxkeh! フォクすけ!


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