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2013年5月27日 (月)

高祖城に登りました。

20日に高祖城に登ってきました。
古代怡土城の一角を原田氏が居城とした高祖城。
もちろん、周囲の戦国期城郭の事例を踏まえるならば、最終段階の原田氏が整備した縄張り技術です。
上の城主郭の土塁や私の縄張り図では未調査な南側の土塁ラインなどが稜線上の曲輪群をつなぐように配されています。
防塁型ラインにより上の城、下の城の曲輪をつないで一体化させるような縄張りとなっています。
曲輪の切岸には石垣列もみることができます。瓦も布目叩きを伴うコビキA痕を持つものがみられます。
また、上の城主郭や南側曲輪群には、曲輪の側面に平入り虎口を配したものが確認できます。
この地域の戦国期在地系縄張り技術の到達点がわかる好例です。
登山道に急傾斜が多く登るのが大変ですが、10数年前の調査で取り残した部分を年内に仕上げようと思っています。

R0021007
↑上の城主郭部の大土塁

R0020995
↑上の城主郭部の虎口プラン。一見桝形虎口にみえますが、側面に開いた平入り虎口です。

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↑上の城から南側に続く尾根筋にある土塁ライン。最終期の軍事動員がうかがえる遺構です。

ところで、文献史料では怡土城時代から使用が確認できるから、怡土城時代の遺構が周囲に確認できるからという理由で
高祖城が律令時代の築城技術を在庁官人を祖とする原田氏が継承したものだから、
これを戦国期原田氏の築城技術とは言えないと言い張る方は居ないと思います。
その理由として、目の前の城郭遺構が何層にも堆積しづらく最終段階の様子が比較的露出する性格の遺跡であることを前提として、
遺構の観察結果をもとに、城郭遺構のさまざまな事例を突き合わせて進化論的形式学による分類を行う、
それに確からしい文献史料等を選び勘案しつつおおよその年代観を絞っていく作業があるからなのは、
考古学的手法を用いる研究をやられる方々にとっては常識の範囲だと思います(^^

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