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2013年3月17日 (日)

竹ノ尾城に行ってきました。

去年に花尾城と帆柱山城に登ったのですが、ようやく上津役・市瀬の竹ノ尾城に登ってきました。
近くに変電所があるため、九州電力の送電塔が何本もあります。そのため作業道が城跡まで通っていて登る方が楽です
都市高速沿いの林道入口に車を止めてから、九電作業道を
登って行くと15分ぐらいで城跡に到達します。

竹ノ尾城は尾根筋の先端に築かれた山城です。
最も高い
主郭から尾根筋に沿って段々畑のように曲輪が連なる縄張りとなっていますが、
この城跡の特徴は、
段々に連なる曲輪群の両脇を土塁(石塁)でつなぎ、外側を横堀でグルッと囲んで遮断線を築く、
防塁型ライン
で城域を一体的に囲む点にあります。
『福岡県の城郭』に縄張り図がありますが、あらためて実見すると、
上段の曲輪から土塁が派生して下段の曲輪の両脇をつなぐ、その土塁がスロープ状に通路となるというパターンが
端の主郭から西端の下位曲輪まで7段ほど延々と繰り返されることで城域が形成された縄張りでした。
この
土塁で挟むパターンは長野城跡や立花山城馬責め馬場、障子ヶ嶽城の外、花尾城などにもあり、
この地域の在地系城郭では一般的にみられるもので、おそらく、このパターンの虎口プランが在地系城郭の到達点と考えられています。
その
パターンを愚直なまでに繰り返して城域を形成するやり方に、
最終期
に結集した軍事力を囲い込むためにこの城跡が整備されたことが窺えます。

R0020172
左側に土塁があります。曲輪の削平は予想よりもしっかりしたものでした。手前から奥へ下っていきます。

R0020177
曲輪の外側には一重の横堀がぐるっと廻っています西端部にも横堀が回り込み、
土塁・切岸と共に前線の遮断線を築いています

R0020151
西から東側へのアングル。上曲輪から伸びた土塁が段々の曲輪を一体的に繋ぐように続きます
ところどころ石列があり、どうも石を
並べた石塁に盛りようです。
こうした土塁ラインは花尾城山頂にもあり、共通性がみられます。

R0020156

さらに土塁は上っていきます。左側の切岸の下は平行して横堀も上っていきます

R0020162

主郭から西側を臨む。土塁がずっと伸びていくのがわかります。右側に横堀がみえます。
主郭の背後
は傾斜する部分を削り込み一段低くして削り残しの土塁で囲みさらに外側に横堀を廻すことで、
堀切のような役割をもたせていました。

このように、主郭から段々の曲輪の周りを土塁と横堀で囲繞した独特な縄張りを持つ竹ノ尾城は、
城主は
芦屋の麻生隆実・家氏とは別の系統になる麻生鎮里・統春とされています。
今日残る竹尾城は想像以上に城域が広くあり、近くにある帆柱山城や花尾城と共に
最終段階に帆柱山に寄った
鎮里・統春側の麻生氏勢力はかなりの軍事力結集をはたしていたようです。
また、花尾城には大掛かりな畝状空堀群があることを勘案すると、麻生氏
単体ではなく、
どうも秋月氏の遠賀郡進出に
与同した結果、こうした大規模な軍事力結集が果たせたと推察できそうです

長野城や花尾城・帆柱山城など周囲の城跡
と勘案て考えると、竹ノ尾城を含む帆柱山周辺の城郭は、
戦国末期の
北九州を舞台とした豊臣政権と麻生氏ら秋月諸勢力との衝突の1頁になりそうです。
そうした目線で今後、
文字史料にもあたってみたいと思ういい手掛かりを得ることができました。

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