« 岩波新書『信長の城』 | メイン | 千石堀城跡の調査。 »

2013年2月14日 (木)

深堀氏の俵石城。

1月の年明けに長崎旅行をして、長崎市深堀にある俵石城に登ってきました。
長崎市からすぐの長崎湾の入口にある深堀は
、戦国期には海賊として名を馳せた深堀氏が拠点を置いた場所。
その背後
山上に俵石城があります。

Img_0984

中腹の善長谷カトリック教会から登ることができます。西海の眺めがとてもよく、
成程、海の領主が居城にしただけのことはあると思った次第。

は高く登るのが大変かと思いきや、案外比高差を稼いでいたのもあり楽に登れました。

R0019305

R0019309

R0019352
登ると、曲輪ではなくぐるりを横堀と石塁・土塁が囲む巨大な単郭構造の奇妙な縄張りでした。
ぐるっと廻りましたが、本当に巨大でした。その代わり、内部は自然地形のまま。
一時は、牧
場ではないかという説もありましたが、この地域特有の松浦型城郭の巨大版と考えられているようです。
※松浦
城郭:真ん中にポコッと高いを残して周囲を土塁で囲んだ縄張りを持つ城郭。西海に多く分布するとのこと。
 →木島孝之さんの「九州における織豊系城郭」(『中世城郭研究』第6号、1992年)を参照して下さい。

そして、斜面には
大きな竪堀が何本も走る畝状空堀群がありました。竪堀の間隔は微妙に広いのが特徴です。
これを見ながら「畝状空堀群としてどうなんでしょうね?」とあれこれ。

R0019376

深堀氏は全国的にはあまり有名ではないですが、天正期の深堀純は兄西郷尭と共に長崎氏や大村氏と激しく争った人物
最終段階では長崎氏を圧倒し長崎湾を押え
て通行税収入など莫大な富みを得ていたようです。
九州国分けでは
自領を確保したものの、直後の天正16年に南蛮船からの徴集を豊臣秀吉から海賊停止違反として改易されています。
その後、鍋島氏に帰属
することで深堀に復帰し近世を通して深堀を拠点に深堀鍋島氏として続きます。
海賊
停止令については村上水軍などで多くの研究がありますが、その一方で、深堀氏に対する停止令について関心が払われていません。
しかし、
俵石城の規模と投下された土木量をみるにつけ、文字史料の歴史学では全く以て扱いの悪い深堀氏について、
豊臣政権による海上勢力の掌握策併せて、城郭遺構から深堀氏の再評価が必要だろうという話しを聴きながら見て回りました。

その辺の詳細は、24日に長崎市の深堀公民館にて、木島さん講演会「俵石城の縄張り構造と深堀氏  で話になられるとのこと
15日までに申し込まれた方は、お楽しみに
(^^

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/31007555

深堀氏の俵石城。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart