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2013年2月 3日 (日)

8年ぶりの糸島。

2000年前後には頻繁に通って当時の前原市・志摩町・二丈町(現在の糸島市)の城館を調査していました。
その頃、地元の郷土史研究にいろいろとお世話になりました。
それから竹田市に13年奉職している間になかなか訪れることもなく往く年月

今回、久方ぶりに地元の若手歴史研究
家氏に糸島の城館を案内することになり、2月の最初の週末に糸島を訪れました。
案内したのは自分が10数年前に調査した有田城。
前の県道が少しショートカットした以外は以前と様子はほとんどかわりませんでした。

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現在の熊野神社の背後にある有田古墳。以前はその奥の竹やぶが最高点なので城跡かなあと調査しました。
今回、訪れてみて、どうも有田古墳を再利用して詰めに
使用していたのではないかと思い当たりました。
麓の熊野神社は永禄年間に国衆有田
氏に原田了栄が建立させたとのこと。その後、天正12年に再建させたとのことで、
造寺隆信が戦死した後、原田了栄・信種が怡土郡から松浦郡東部にかけて自立的な動きを示す時期と重なるだけに興味深い。

その後、ボクがせっかくなのでと二丈嶽城に行きました。
10年前の記憶では途中まで作業道が通っているのですんなり行けたと思っていましたが、
10年の歳月作業道もすっかり変わっていて、何度か道に迷って難渋して山頂までへとへとになって辿り着きました。
しかし、10年前にボクが苦労して取った岩山の石塁変わらずそこにありました。

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国見岩に代表される岩盤の山頂に石塁や石垣が残っています。
10年前に岩盤と石塁・石垣を丹念に書き分けたそのままに健在でした。
あらためて、草野鎮永(宗楊)はよくこんなところに拠点を築いたものだと感慨深く思いつつ、
城跡を廻って縄張りについてあれこれ案内しました。
10年前は糸島の郷土史家の方に案内して見識を重ねた自分が、
10年後に次世代の地元の歴史研究家に、地元の城跡を案内する。
糸島地方の月日の積み重ねの一コマに自分も関わったのだなあと感慨深い思いがしました。

それにしても、二丈嶽からの糸島の風景は絶景です。

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