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2012年10月 3日 (水)

豊前松山城からの眺め。

16世紀には、大内・大友、毛利・大友間の抗争の舞台となった豊前松山城。
北九州の戦国・織豊期の重要な舞台となった城郭跡です。
防長の勢力が周防灘から上陸する場合、豊前松山城は押えないと行けない要衝の地になります。
よってここを押えると、西の筑前国遠賀郡や南西の豊前国田川郡、南の同国京都郡に進出することができます。
逆にここを押えられると防長勢には門司城と門司六郷に押し込められることになります。
それ故、門司城と共に激しい争奪戦が繰り広げられました。
現在は土砂採集でかなり破壊を受けていますが、山上周辺が城跡としてが辛うじて残っています。
もっとも、現存する遺構は黒田氏時代の改修によるものです。石垣列と櫓台跡、外桝形虎口が確認できます。

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ということで、現在は草刈りがしっかりしていて登りやすい(但し、雀蜂の巣あり、要注意でした)豊前松山城。
そこから豊前国規矩郡(現:北九州市小倉南区・小倉北区・門司区)と同国京都郡・仲津郡(現:行橋市、みやこ町)
が一望できます。この眺めをみると資料に出てくる天正10年頃の高橋元種と長野助守の抗争がイメージできます。

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↑北側の、豊前国規矩郡の眺め。左手に長野城が見えます(たぶん)。

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↑南側の、豊前国京都郡の眺め。真ん中奥に馬ヶ嶽城が見えます。

背後の山地が迫り南北に分けると共に周防灘に突きだす半島状の立地にある豊前松山城、
まさに、東西南北の陸海をつなぐ要衝の地です。

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