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2012年10月 8日 (月)

宇喜多氏研究の最前線。

7日は岡山市で開催された宇喜多氏研究会に参加してきました。
前日から夜行バスで倉敷に着いてから岡山へ。momo号の走る岡山電気軌道、まるでどこか異国の街のようです。

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会場は、県庁前電停から、岡山県庁前の岡山県立図書館2階デジタル情報シアターです。
朝から会場に行くと報告者と主催の皆さんが居られましたので合流してよもやま話。
もちろん、合言葉も(^^
会場は、かなりの人数で埋まりました。
ボクラのような研究畑から歴史愛好者の方々まで、さすが宇喜多秀家です。

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今回は宇喜多秀家に照準をあわせてのリレー報告。順番は以下の通りでした。
10:05~10:55  「宇喜多秀家像の現在」  大西泰正氏(日本史研究家)
11:05~11:55  「宇喜多秀家と城下町岡山の成り立ち」  森 俊弘氏(岡山地方史研究会・真庭市教育委員会)
13:00~13:50  「宇喜多秀家と鷹」  畑 和良氏(倉敷市総務課歴史資料整備室)
14:00~14:50  「宇喜多秀家の分国運営」  森脇崇文氏(岡山地方史研究会・徳島城博物館)
15:05~15:55  「文禄の役における宇喜多秀家」  しらが康義氏(岡山県立記録資料館)
16:05~16:45  徹底討論 宇喜多秀家の実像を語る!

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今回のリレー講演会、主催などは研究会組織ではなく主催者と報告者でつくった手づくりのものとのこと。
今日の宇喜多氏研究の嚆矢となった1984年の論文
「戦国豊臣期大名宇喜多氏の成立と崩壊」(『岡山県史研究』第六号)
「宇喜多氏関係史料目録」まとめられたしらがさんを筆頭に若手研究者まで揃えたラインアップはさすがです。
そして、近年の宇喜多氏研究の厚みを感じさせるものでした。
全体としては本国での宇喜多秀家の実像がテーマに偏ったきらいがあり、豊臣政権下での宇喜多秀家の位置づけなどが少なかったのが難点。
それを除けば、宇喜多氏研究の現在を知るのに最適な研究報告会だたっと思います。
宇喜多秀家の領国経営や城下町整備、宇喜多騒動などの評価について報告者の微妙な違いから議論を深めることも期待できる内容でした。
ボクも美作国をフィールドとする(備前国は小早川・池田氏時代の改変が大きい)城郭遺構から見た宇喜多氏を
テーマのひとつに考えて進めていますのでじっくりと拝聴しました。
直家時代からの織豊政権との絡みについても今後聴きたいテーマのように思いました。

懇親会ではしらがさんが30年前には議論する相手が居なく寂しい思いをしていたが、今回は夢のようだと申していたのが印象的でした。

また、九州での森山恒雄さんたちの太閤蔵入地の研究などに刺激を受けて宇喜多氏でもできないかとコツコツやってきたと申しており、
当時の西国における豊臣政権期研究のいぶきを感じさせるお話の数々を伺えたのも大きな収穫でした。
できれば、今回のリレー報告を深めた論集ができることを期待したいと思うところです。

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