« 宇喜多氏研究の最前線〜宇喜多秀家の実像に迫る〜のお知らせ | メイン | 因幡鳥取城(山下の丸)二の丸編 »

2012年9月10日 (月)

織豊期城郭研究会2012、鳥取大会。

8日・9日の週末は鳥取市で開催された織豊期城郭研究会の鳥取研究集会に行ってきました。

R0017157
鳥取城フォーラムと題して、鳥取市さんの全面協力、ステキなポスター・看板、チラシができてました。
そして、久松山山頂の主郭も太閤ヶ平陣城もしっかり伐採されてとても見やすくありました。

8日はそんな鳥取城跡(久松山の山上ノ丸地区・天球丸など山下ノ丸地区)と本陣山の太閤ヶ平陣城跡を観てきました。

R0017119

そして、9日は鳥取市民会館にて、10時から17時まで研究集会「織豊系城郭の陣城」を拝聴。

R0017177

今回の内容は次の通り→コチラ。
各報告者から各地の織豊勢力により築かれた陣城の調査事例がまとまった形で紹介されました。
そうした成果を拝聴する機会である今回の研究集会を開くにあたって、
企画を練り、運営面でも鳥取市関係者の皆さんや事務局の方々のご尽力には、
参加して、ごくろうさまです、と敬意を表するものです。
しかし、その一方で、前回の彦根研究集会と同様な課題も抱えている印象をもったのも事実なので、
あえて少し厳しいことを申して今回の感想に替えたいと思います。

もちろん、言うからには自分もしっかりと精進して論陣を鍛えないといけないわけで。
あらためて過去の織豊期城郭研究会に関係する主要論文を読み返してみなければとも感じた集会でした。
山中の楽園を後に下界に降りてきた身としては、思いを新たにした鳥取旅行でした。

で、感想。
再開された織豊期城郭研究会。2回とも最近の調査成果の報告会+討論でそれを確認しあうという内容。
遺跡の現地説明会ならばいざ知らず、研究集会と銘打つならば報告主体では少し物足りない構成と感じています。
前回の11回の研究集会があった上で、若手の考古学研究者により再開された研究集会です。
それ故、研究集会では、これまでの研究史整理を行い、その上で近年の成果を踏まえた新たな「織豊期城郭論」が期待されるところです。
もちろん、交わされる議論は多少粗削りでも刺激的でも構わないわけで、
各自でそれを受け取り、その場でも、他のいろいろな場所でも、各自で持ち帰り更なる意見表明を行う。
そうしたやりとりの積み重ねが、新たな「織豊期城郭論」へつながる。
そのような趣旨は、これまでの11回の研究集会で、〆に常に中井さんが申していたように記憶しております。
先代の織豊期城郭研究会では、「穴太叩き」や「桝形叩き」「復元の是非?」などいろいろと物議を醸したものですが、
それぐらいの「何が起こるのやら」と言うような議論と仕掛けを期待したいものです。

ですので、事あるごとに石垣・瓦・礎石建物の
三点セットで「確認する」と言った姿勢は全く逆行するものだと感じます。
これまでの11回のテーマを再検証する、或いは「織豊系城郭の画期」とする三点セットも再び議論の俎上に載せるような
近年の成果から「とらえ直す」ぐらいの姿勢がないなら、それは単なる成果報告会の域を出ないと危惧します。
その辺の「先代の理念」を継承しつつ如何に脱するかを、若き織豊期研究会諸氏に期待したいと思いました。

ちなみに、縄張り研究では、織豊系城郭については縄張り分析をベースに権力論の視点で位置づけてきました。
織豊系城郭を規定する基準としては、千田嘉博・木島孝之両氏が提示した織豊系縄張り変遷案が最も雄弁です。
たとえば、支城論では木島氏の慶長期西国の大名領における本城・支城体制があります。
陣城論も、織豊期全体を見通す形で変遷から織豊権力論を見据えた視点も議論しています。
もちろん、基準を据えることといたずらに年代を遡らせないというポイントを見失わない上で、
いたずらに「変遷案」で確認するなり墨守するのではなく、
遺構分析による「史料的活用」の可能性を常に問う姿勢は進めているつもりです。

去年から始まった意欲的な若手の考古学研究者が今後示すであろう「織豊期城郭論」に対して、
コチラもしっかり論陣が張れるように精進しつつ、来年もしっかり織豊期城郭研究会に足を運びたいと思います。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/29789983

織豊期城郭研究会2012、鳥取大会。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart