« 2012年8月 | メイン | 2012年10月 »

2012年9月30日 (日)

400年祭に400年前の当主にごあいさつ。

さて、13年住んだ竹田市を離れて6ヶ月。節目の前日になる9月30日に竹田市でのおたまやライブを観てきました。
台風一過の夕方から始まったライブは19時過ぎまで続き、最後は名月とブルースのコラボレーションで幕となりました。
文人の里にふさわしいライブでした。

R0017440

Img_0899

さて、400年前に亡くなった岡藩初代藩主の中川秀成は、晩年に子の秀征(久盛)に家督を譲り隠居する準備として、
城下の七里に別邸を整備しました。能などを催したりして悠々自適な隠居生活を考えていたようです。
が、直後の1612年に急に亡くなってしまったので、そのまま別邸は菩提寺となり碧雲寺が開かれました。
その後、碧雲寺の隣に代々の藩主の御廟が建てられるようになりました。
(鳥居ヶ窪に葬られた3代、小富士山に葬られた8代、1年で亡くなった7代を除く)
そして、少し前に残っていた墓所とその前面にあった製材所跡地を公有化して整備されたのがおたまや公園です。
ですので、ライブの前に後ろにひっそりとたたずむ400年前の藩主、中川秀成公の墓にお参りしてきました。

R0017415

没後、碧雲寺殿と呼ばれた秀成は400年前にここで亡くなり葬られましたが、
自らが城郭を築き整備した街の行く末をここで400年間、ずっと見守ってきたわけです。
この日は、夕暮れから名月が出てくるまでのひととき、
岡城・城下町400年記念の一環として、地元の町衆が企画したライブを堪能されたことでしょう。
上方生まれの豊臣大名として活躍した秀成は、桃山文化の薫陶を受けた教養人でもあった武将ですが、
きっと400年も続く「竹田町衆」の芸達者ぶりに満足されたと思います。
今年は岡藩城下町400年祭が開かれていますが、後に田能村竹田を輩出した温故知新の気風と共に
この400年前の当主が眠る「発祥の地」を大事に伝えてほしいと思う次第。

で、何をご挨拶したかって?
もちろん「あなたが手がけた豊後岡城と岡藩の城郭群の調査で、これからもよろしくお願いします」です(^^

2012年9月13日 (木)

鳥取城跡(山上の丸)はぜひとも。

鳥取城跡を探訪する際には麓だけでは勿体ないです。
今回のセミナーに併せて草刈りをしていただいたこともあり、
山上の丸は外桝形虎口の連続で防禦と出撃を複合させた技巧的な縄張り技術で施された優れた近世山城を楽しめました。
拙ウェブログで度々採り上げている木島氏の変遷案の「L字の石塁(土塁)」による外桝形虎口の通路空間が肥大化して
曲輪を形成する、肥前名護屋城(東出丸)や福岡城南二の丸と同じ用法のパターンで築かれた縄張りです。

↓天守台付近の高石垣。

R0017038
↓天守台の右側は付櫓跡が続きます。現在は階段がありますが、天守と付櫓の接合部に虎口があります。

R0017024

R0017012 ←合い横矢がかかった平入り虎口。

R0016996
↓以下、稜線に沿って外桝形虎口の虎口空間が肥大化した曲輪が続きます。

R0017007
福岡城南二の丸と同じパターンの桝形虎口がありました(以下、2枚)。

R0017064

R0017062

R0017068

2012年9月12日 (水)

因幡鳥取城(天球丸)の巻石垣

山麓の山下の丸で最も高いところにあるのが天球丸。
風呂屋御門から大手をみると、木島さんの「織豊系城郭虎口変遷案」のL字の石塁(土塁)の外桝形虎口を重ねた城道が一望できます。
わかります?

R0016944

↓天球丸の石垣に最近復元された巻石垣も拝見。何とも不思議な光景。

R0016949

↓天球丸御三階櫓付近は時代の異なる遺跡が見つかったらしく、2つの様相がわかるように整備されています。

R0016951

この天球丸から山上の丸への登山道があります。熊が出るそうです。
但し、往時は竪堀状の谷があり、途中までここを昇り降りしていたかもしれません。
で、現在の登山道と谷が重なるところまで登り詰めると、そこに横矢掛りを持つ曲輪がしっかり待ちかまえていました(^^
さすが、池田長吉Ψ(`∀´)Ψケケケ

R0016984

2012年9月11日 (火)

因幡鳥取城(山下の丸)二の丸編

8-10日の織豊期城郭研究会、鳥取遠征では鳥取城をじっくり見学することが出来ました。
鳥取城は急峻な久松山に築かれた山上の丸と山麓の山下の丸に分かれます。

R0017130

↑麓の三の丸にある鳥取西高校がみえる南御門跡近くからパチリ。校舎の背後にみえるのが山下の丸です。
今回は大手御門からではなく、北西側の鳥取県博からアプローチしました。

R0016883 
↑右膳の丸隅の算木積みの石垣。かなり長めの長辺の角石がありました。

R0016887
↑二の丸三階櫓跡の下の石垣。上方の三階櫓石垣は地震で崩落したものを積み直したそうです。

R0016898

↑ 山下の二の丸西隅には脇を固める登り石垣状のぶっとい石塁がありました。二の丸・天球丸の両サイドの谷を意識していたようです。

R0016905

R0016910

↑三階櫓と二の丸からの大手。大ぶりになっていますが、左に折れる外桝形状の虎口となっています。
そうみると、二の丸は三階櫓へグイッとL字の腕を出してこの虎口で返すという外への腕の連続パターンが曲輪化したものとも言えます。

R0016915

↑二の丸南東隅にある天球丸につながる虎口。これを起点に3連発でL字の外桝形の腕が面なり二の丸ができるようです。
L字の腕が1回(菱櫓まで)、2回(三階櫓まで)、そして反転で3回目(虎口)といった案配です。

さて次は天球丸に登ります。

2012年9月10日 (月)

織豊期城郭研究会2012、鳥取大会。

8日・9日の週末は鳥取市で開催された織豊期城郭研究会の鳥取研究集会に行ってきました。

R0017157
鳥取城フォーラムと題して、鳥取市さんの全面協力、ステキなポスター・看板、チラシができてました。
そして、久松山山頂の主郭も太閤ヶ平陣城もしっかり伐採されてとても見やすくありました。

8日はそんな鳥取城跡(久松山の山上ノ丸地区・天球丸など山下ノ丸地区)と本陣山の太閤ヶ平陣城跡を観てきました。

R0017119

そして、9日は鳥取市民会館にて、10時から17時まで研究集会「織豊系城郭の陣城」を拝聴。

R0017177

今回の内容は次の通り→コチラ。
各報告者から各地の織豊勢力により築かれた陣城の調査事例がまとまった形で紹介されました。
そうした成果を拝聴する機会である今回の研究集会を開くにあたって、
企画を練り、運営面でも鳥取市関係者の皆さんや事務局の方々のご尽力には、
参加して、ごくろうさまです、と敬意を表するものです。
しかし、その一方で、前回の彦根研究集会と同様な課題も抱えている印象をもったのも事実なので、
あえて少し厳しいことを申して今回の感想に替えたいと思います。

もちろん、言うからには自分もしっかりと精進して論陣を鍛えないといけないわけで。
あらためて過去の織豊期城郭研究会に関係する主要論文を読み返してみなければとも感じた集会でした。
山中の楽園を後に下界に降りてきた身としては、思いを新たにした鳥取旅行でした。

続きを読む »

2012年9月 7日 (金)

宇喜多氏研究の最前線〜宇喜多秀家の実像に迫る〜のお知らせ

歴史講演会「宇喜多氏研究の最前線-宇喜多秀家の実像に迫る-」の案内が来ましたので、ご案内 (/・ω・)/
内容は以下の通りです。ふるってご参加下さい♪( ´θ`)ノ


◎宇喜多氏研究の最前線〜宇喜多秀家の実像に迫る〜
備前宇喜多氏研究の最前線で活躍されている5人の先生方をお呼びし、
宇喜多秀家に関するお話を頂くリレー形式の講演会を開催します。
日時:平成24年10月7日(日) 10:00〜16:45(開場9:30)
会場:岡山県立図書館 2階 デジタル情報シアター(定員・82名)
参加費:500円(資料代)
申込方法:当日9:30より先着順にて受付
・図書館には公共交通機関を利用して来場してください。
・参加費(資料代)は500円です。お釣りのないようにご協力お願いします。
・シアター内での飲食はできません。1階喫茶コーナー等をご利用ください。
・10:00以降の入場については各講演間の休憩時間に受付します。
・一時退場後の再入場の際は、お渡ししたレジュメを受付でご提示ください。
10:05〜10:55  大西泰正 氏(日本史研究家)「宇喜多秀家像の現在」
11:05〜11:55  森 俊弘 氏(岡山地方史研究会)「宇喜多秀家と城下町岡山の成り立ち」
13:00〜13:50  畑 和良 氏(倉敷市総務課歴史資料整備室)「宇喜多秀家と鷹」
14:00〜14:50  森脇崇文 氏(岡山地方史研究会)「宇喜多秀家の分国運営」
15:05〜15:55  しらが康義 氏(岡山県立記録資料館)「文禄の役における宇喜多秀家」
16:05〜16:45   徹底討論 宇喜多秀家の実像を語る!

とのことです。楽しみです。

当日は、ボクも参加したいと思います。もし、会場で見つけられたら合言葉はどちらかでよろしく♪( ´θ`)ノ
「〆切守らない者は人に非らず。」→ボク「でも○○先生はスルーですか?」

「二次史料を使うのは歴史研究者に非らず」→ボク「あなたも使ってますやん。」
宿泊予定ですのでじっくり聴きたいと思います。
岡山で会いましょう!

2012年9月 6日 (木)

来月6日は、4年ぶりのコンヨク。

いよいよ来月6日から、別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界2012」がはじまります。 

247_event_entry_1

あれから4年。竹田からじゃなくて北キューから足を運ぶとはオモワナンダ。でも行くよ。

前回のコンヨク2009に行けなかった方は今回は逃さず体験してほしい(/・ω・)/
知ると知らないでは大違い、体験してから話せることがたくさんあります。
前回の2009を復習するなら、コチラ
今回の2012を予習するなら、コチラ 。さてどうやって入手しようか(^^

247_event_entry_2

2012年9月 3日 (月)

中世都市研究会2012、大阪大会に行ってきました。

今年は4月に3年ぶりにこの世界に還ってきたこともあり、8月〜9月は意識して研究会廻りをしています。
全国城郭研究者セミナーと織豊期城郭研究会は毎年のこととして、今回は大阪歴史博物館で中世都市研究会があったので廻ってきました。
大阪歴史博物館は今の仕事場と同じく10年前に開館した市立の博物館。
近年は近代に絡めた建築系の展覧会もあり、情景展示などの手法は今の仕事場に参考になる博物館でもあるのでその見学を兼ねての遠征。
2005年の京都大会以来、実に7年ぶり。

今回は仕事の兼ね合いもあって土曜日のみの参加。
いきなり最上階10階にあがって、7階まで降りていく大阪歴博の常設展を観て4階へ降りると中世都市研究会の会場でした(^^
資料集+中世都市研究17号(去年の研究会の成果)で5,000円です。
今回の大阪大会は市大の仁木研究室が事務局を行い、テーマは「中世都市から城下町へ」。
同封の中世都市研究第17号が「都市的な場」とあるので、併せて読むと去年の中世都市に関する「都市的な場」の議論を踏まえて、
中世後期に出現する「城下町」を考えることで、中世都市研究と城下町などの近世都市研究を連結させることを念頭に置いたように感じました。

R0016852

初日の玉井哲雄氏、仁木宏氏による本大会の方向性を示した基調報告に続いて、山上・中西・大澤各氏の報告を初日に拝聴いたしました。
三報告についてはそれぞれの感想はさておき、各論旨を踏まえた上で、あらためて前段となる中世後期畿内の港津・寺内町などが
先行研究であるような特権的存在だったのか、町に居た勢力がどのような人たちなのかをあらためて再確認したいと思いました。
北九州でも、小倉津は芦屋の鋳物師も活動し中世港津として存在を示しています。
戦国期には大内氏の影響力、その後の毛利・大友の抗争を経て、天正期には高橋鑑種・元種が近接して小倉城を築き統治します。
大内氏時代には博多津はもっとも著名ですが、九州北岸には港津や町が成立しています。それらのネットワークがどのようなものだったか
を含めて畿内近国の事例も絡めて押えておきたいと思いました。
博多津と福岡、小倉津と近世小倉など、九州北部の事例についても「中世都市から城下町」の目線を意識してみておく必要があるなあと
思った点は行った甲斐があったので、目配せしながら研究を進めたいと思った次第。

2日目の報告・討論がどうなったかは来年の18号のお楽しみですね(^^

2012年9月 2日 (日)

三条せともの屋出土茶陶を観に行く。

金曜日の京都めぐり。午前の三十三間堂→大出雲展な七条界隈を経て、午後は堀川通へ。
堀川寺ノ内にある茶道資料館では夏季特別展「京三条せともの屋町」の展覧会と、
堀川今出川から今出川通を西に入った京都市考古資料館の「ひょうげた器、三条せともの屋出土茶陶」展のハシゴです。

Tenji01 24tokuten2

「京三条せともの屋町」は今の京都文化博物館のある三条通辺りに近世初頭大々的に陶器を扱った商人が集住した地域のようです。
中之町遺跡をはじめ、三条通界隈の弁慶石町・福長町・下白山町遺跡、そして近くに
古田織部邸跡などの遺跡から、
大量に美濃(織部・志野)、信楽、唐津、高取などの桃山茶陶が群となって出たものです。
以前の土岐市美濃陶磁資料館の展示や
名古屋市博の桃山展で知っていましたがまとまって観る機会がなかったので拝見してきました。
茶道資料館では、伝来品と出土品を見比べながらじっくり廻れる美術展テイスト。
参考資料にあった利休の書状にある「秋月孫兵衛尉」って誰だろう?と気になりつつ、いろいろと桃山陶器をまとめて拝見できました。

一方の京都市考古資料館ではガラスケースに織部、志野、信楽、唐津、高取がびっしりと並べられており圧巻でした。
まがうことなき当時の資料ですので、それぞれの違いや特徴をじっくりと目に焼き付けることが出来ました。

茶道資料館の展覧会は9月17日までですが、京都市考古資料館は12月2日まであります。
遺跡から大量に出土した桃山陶器を実見するいい機会ですので、ぜひ。

2012年9月 1日 (土)

蓮華王院(三十三間堂)の太閤塀。

31日は夏休みをとって実家に帰省というか、京都国立博物館の「大出雲展」に行ってきました。
前日から夜行で早朝大阪入り。京阪乗ったら七条下車で到着です。
とは言え、着いたのは8時。9時半からの開館なので蓮華王院に行ってきました。

Img_0856

平日の朝イチなので、静かなものです。あらためて三十三間堂はデカイですね。ぶっとい材とがっちりした長押が印象的です。
しかし、中を拝見する前に目指したのは、本日のお目当ての太閤塀です。

Img_0855

秀吉が建立した京都大仏こと方広寺の一角を占めていた塀跡とされます。秀吉・秀頼期のものであり桃山期の雰囲気を伝える貴重なもの。
併せて、隣の南大門は1600年(慶長5年)に豊臣秀頼が建立したもの。こちらは重文なのに門を塩小路通が通っています。
ここには当時の瓦が葺かれていたそうですが、残念ながら多くは葺替えられたそうです。
軒丸瓦・軒平瓦をみながら瓦葺の雰囲気を見てきました。他の塀と違い大ぶりな造りで実に圧巻です。
蓮華王院は、平安期以来続くと共に桃山期に京都大仏の一角を占めるという変遷を経た寺院だけに周辺はなかなかのものがあります。
京都国立博物館に行く時には余裕をもって廻りたいとあらためて再確認。

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart