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2012年8月 7日 (火)

4日朝、春日山城へ。

セミナー初日は11時からということで、朝から春日山城跡に登ってきました。
はじめての春日山城跡です。
1598年(慶長3)まで上杉氏の居城であった春日山城跡。
春日山城跡については、中世城郭事典第二巻の伊藤正一氏作成縄張り図や上越市史の新潟県教委+植木宏見取図があります。
みたところ、ひたすら山上に曲輪が並ぶとりとめもない縄張り。
しかしながら、細かなところがわからないので実際に登ってみないと、どの程度改修されているのかわかりません。
何せ、関ケ原戦の2年前まで使用されていた上杉氏の居城ですから。。。ね。

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▲春日山城跡山上の遠景写真。上杉謙信像のある春日山神社まで自動車で来れます。

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▲林道を通り、途中から山道を上がると伝三の丸(上杉景虎屋敷)とされる曲輪。大きな土塁があります。
でも、城道は自然地形に沿って曲輪に入る程度のものでした(´ー`)。oO

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▲さらに城道を登ると伝二の丸。やはり普通に斜面を切った曲輪でしたσ(^_^)

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▲ようやく山頂です。主郭は削平をしていますが基本的には自然地形のピークを整地したものです。
伝天守台と呼ばれる曲輪も、主郭と伝天守台の2つのピークの間を堀切状に整地して並んでいるものでした。
技巧的な虎口プランも石垣も櫓台すらありませんでした(^^ゞ
東側に続く毘沙門堂などのある曲輪も同じくピークを整地したものでした。
そうしたピークがいくつも集まって主郭部を形成していました。

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▲主郭の西側にある伝上杉景勝屋敷の曲輪。普通に元々の地形に削平を入れたもの。
この間に堀切がありましたが、掘りきったというよりも曲輪の斜面にしっかり切岸入れて整備したら
堀切みたいになったという感じで竪堀などへのつながりはなかったのが印象的。全体的にそんな感じ。
写真には入れてませんが、その先にあった広大な伝柿崎景家曲輪もひたすら広いだけでした。
コチラの方が「上杉屋敷跡」と言われても違和感のない広さでした。
今回は行ってませんが、柿崎曲輪から下った先の南三の丸には2つの土塁から成る虎口らしいものが
遠くから確認できました。たぶん、これがまっとうな虎口じゃないかなあと言う印象です。

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▲東側に三つ連なる伝直江屋敷の曲輪。自然地形を整形して曲輪を並べたものでした。
この下に土塁が縁辺部にある千貫門跡の曲輪や堀切がありますが、やはり技巧的な虎口などはありませんでした。
そして下ると春日山神社に出ます。

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▲春日山神社から下りて麓の監物堀跡へ。こちらは堀秀治時代の改修と考えられている総構えです。
ようやく真っすぐな土塁・横堀ラインが現れます。奥はそのまま土塁・空堀が続く東砦跡です。

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▲外郭ラインは土塁で石垣などはありませんが、しっかり横矢掛りもあるように織豊系縄張り技術が施されています。

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▲田畑に残る監物堀の痕跡です。何とか追いかけることができました。
やはり横矢が効いているのがわかると思います。

以上のように、上杉氏時代の春日山城跡は戦国期城郭のままで織豊系縄張り技術が皆無に近い状態にありました。
少しはあるかなあと言う期待は、いい意味で裏切られました。
早い段階から豊臣政権に臣従し、最後は中枢にも参画していた上杉景勝でしたが、本城はほとんど手つかず。
これでよく秀吉の使者などを迎えたなあと思うくらいに、在来の縄張り技術のままでした。

この上杉氏が秀吉没前後に行われた会津転封では、聚楽第型のような神指城築城を始めるのですから興味深いです。

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