« 4日朝、春日山城へ。 | メイン | 大分市にて建築展をリサーチ。 »

2012年8月 8日 (水)

3日夕方、越後高田城へ。

北九州市からはるばる上越市までの移動に充てた初日。
途中ダイヤが乱れたりして富山に寄れたので越中富山城を観たりしてから夕方に越後高田城にたどり着きました。

越後高田城は1610年に堀氏改易の後を受けて入部した松平忠輝が福島城から移転して新規築城されたもの。
1614年(慶長19年)に関川の自然堤防や川の蛇行部を利用し、奥羽・甲信越の大名などの国役普請で完成されたそうです。

Rimg5948

▲縄張りはこんな感じ↑です。西側の外堀や南西側の瓢箪曲輪などは河川の蛇行部を利用したもののようです。
真ん中は四方を直線的な土塁で囲み、三方に内桝形を背後にくっつけた馬出しを重ねる。
そして、主郭の外側にリング状の一般曲輪が形成される典型的な「重ね馬出しの一般曲輪化」の縄張りです。
駿府城や名古屋城、篠山城などと通じる縄張りプランです。ただ違うのは石垣を用いず土塁を採用しているところです。

Rimg5947

▲その土塁、半端無くでかい。写真は後世に掘り抜かれた道でできた断面です。
縄張りは西国の織豊系縄張り技術ベースの近世城郭そのものですが、土塁をみるとまるで東国の城郭のようです。

Rimg5944

▲その土塁の上に築かれた復元三階櫓です。石垣がなくても土塁幅が大きいと礎石建物が建てられている事例。
但し、縁辺部ギリギリというわけにはいきませんが。
それでも、十分に隅櫓として機能しますね。

Rimg5961

▲主郭の周りの堀は塁線に横矢掛りがみられます。
但し、近世城郭特有の巨大化して間延びした感じであるのは否めないけれども、それを補って余りある強固な遮断線です。

既に千田嘉博さんの『戦国期城下町ノート』にあるように春日山城跡などとの対比で捉えると、
頸城平野における幕藩体制の到達点がわかるいい城郭遺跡だと思います。
今回歩いてみて、想像以上に残りが良かったので興味深く縄張りをみてまわりました。
後、高田城下町も残りが良く未だに雪国特有の雰囲気が残っていて西国育ちとしては興味深く拝見しました。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/29531353

3日夕方、越後高田城へ。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart