« 2012年7月 | メイン | 2012年9月 »

2012年8月26日 (日)

加藤清正展行ってきました。

26日は9/2まで会期の加藤清正展を観に熊本まで遠征。
この日の熊本城界隈は、お城と清正展@県美と恐竜展@熊博でごったがえしていました。
新幹線駅も開通し政令指定都市になった熊本市、気合い入れまくりでPRしています。
そんな中、熊本県立美術館に久々に行って加藤清正展観てきました。
熊本は歴史の県立博物館がないので、その分県立美術館が担ってきたところがあります。
近年、永青文庫展示室などができ歴史色が出ていますが、基本は美術館。
ですので、図録もこんな感じに↓ に美術館テイストの装丁でとってもカッコよいです。
横文字で「加藤清正 KATO KIYOMASA」ですからね(^^ゞ

Pht_pmpthumbnail_l

もちろん、内容はしっかり歴史展示なのですが、
装丁やデザイン(ポスター除く)では、フォントや配置、レイアウトに凝っているし、
会場の内装なども白地にワインレッド調な家紋をうまくいれた薄布を下げてコーナーのアクセントをつけたりと
美術館テイストがあって面白くありました。
詳細は図録を仕入れて読んでいますが、1冊持っていて損はない仕上がりです。

両方のテイストが絡み合ったいい雰囲気の展覧会でしたので、いい勉強になりました。

加藤清正は、猛き武将という面と優れた統治官としての面と両方があります。
そして、清正の「実像」が武将なのか行政官なのか、どちらが強いかというものよりも、
その両方を兼ね備え、入部した先で統治を行い在地掌握を通して軍役に応える体制を整え、
収入から知行・食糧など蓄え・交易などでの換金などの差配を取る経済的センスを持ち、
政権内では、当主や諸将との人間関係を築き政治的立ち回りを計り、
そして、実戦の場では、自らの軍団(家中)を率いて戦陣に臨み、戦果・軍功を挙げる、
その能力が、当時の豊臣政権に参画した武将に求められた「器量」である。
そういうことをつらつらと考えながら廻ることができた、有意義な1日でした。

2012年8月19日 (日)

第2回九州山岳霊場遺跡研究会に行ってきました。

19日は第2回九州山岳霊場遺跡研究会に参加すべく、会場の糸島市まで遠征してきました。
前回は土日休みの稼業でしたので、大分から九歴のある小郡まで出て懇親会まで行きましたが、
今回はシフト稼業になり、北キューから糸島市まで日曜のみの参加でした(ρ_-)ノ
いい営業活動になったと思うとちょっと惜しい部分もあり。
でも、前回と比べると格段に近い領域に復帰したのでリサーチを兼ねて参加してきました。

9799

さて、今回の会場は糸島市人権センター。
テーマは第1回の「北部九州の山岳霊場遺跡-近年の調査事例と研究視点-」を受けて、各地の事例を検討する段階へ。
第2回は、「背振山系の山岳霊場遺跡-背振山・雷山・怡土七ヶ寺-」と題して背振山系の山岳寺院を中心とした構成でした。

R0016547

基調講演・報告6本にシンポとてんこ盛り。
歴史学、考古学、美術史学、民俗学など様々な分野からの報告で、9時半から17時半までのロングランとなりました。
事務局の皆さん、おつかれさまでした。

自分としては、城郭史は戦国・織豊期が主な対象なので、直接からむことは少ないのですが、
怡土・志摩郡に展開した原田氏や那珂郡・早良郡に展開した筑紫氏の動向について、城館調査から研究を進めてきましたが、
それらの地域の基層構造を押える上でも、背振山系の山岳寺院の動向を整理できて興味深くありました。
また、仕事上、関連する遺跡の美術作品、考古資料などを取り扱う機会もありますので、その観点からもいいリサーチになりました。

第2回の資料集も糸島市域を中心に山岳寺院遺跡や民族調査の成果などを含めて充実したものでした。六一書房で頒布するそうです。
第1回の「九州山岳霊場遺跡集成」には豊筑地方の山岳寺院遺跡もあるので、併せて稼業に反映させたいものです。

夏も峠を越して、城郭史を柱にモノから探る歴史学をしっかり体系だてるためにも、いろいろと深める日々です(´ー`)。oO

420055_317564191672949_1967894946_n

追伸:帰ってから五ヶ山ダムに沈む予定地の福岡県調査報告書『五ヶ山・小川内』を読み直す。
吉良国光さんの「中世の背振山について」と背振山関係中世資料集をあらためて復習しました。

2012年8月13日 (月)

大分市にて建築展をリサーチ。

3月までは考えてもなかったのですが、なぜか久々に建築系学芸さんにもなってしまったので徐々にリサーチしています。
城郭史メインなんですけども、リハビリ建築の学芸さんという状態でいろんなつながりを復旧させているところ。
週末の12日は竹田時代にDAR VIDAとべっぷろ経由でつながりになりました、大分のアーキテクト光浦高史さんより案内をいただいていたので
大分市のアートプラザまで出かけて「ART PLAZA U-40建築家展」を観に行きました。
実に久方ぶりの建築家の展覧会になります。

372776_386787548043284_887430975_n

盆なので一般道路を使わず山越えで竹田で買い物してから大分へという手間をかけたドライブ。
少し遅れて午後に到着しましたが、最終日でもありなかなかの活気でした。分大や文理大の学生さんも多く居た様子。
もっとも、コチラにはあまりボキャブラリーがないので、身構えて考えるというよりのんびりと建築展の雰囲気を楽しんだ1日でした。

R0016397

R0016394

R0016401

大分駅再開発や大分県立美術館コンペなどもあったので都市と建築を考える活発な雰囲気が全体に感じられました。
若手建築家のプレゼンがメインなので、作品としては住宅、アンビルトな提案などもあって面白く拝見。
住宅作品は、3月まで家屋評価してたのでその目線で建築模型をみながらフムフム。
クドウホテルのリノベーションは「あのホテルがリノベーションしたのか!」と驚きでしたので次回は泊まろうと思いました。
アンビルトな作品では、大分駅前などの都市空間の解釈などを拝見。面白いけどこの辺は、街区構成の背景など分析とリサーチがほしいところ。
但し、その辺は人文系の方々がもっとディスカッションに参加すべき話でもあります。

それとは別に、可能ならば、学芸とタッグを組んで大分市美術館で「大分と建築・美術」などに昇華できたら面白いなあと思いました。

R0016391

この他、建築空間を意識して体感させる立体作品はとても興味深く拝見しました。
たまたま子どもたちが遊び回っていましたが、ベニア茶室などは自分がはいってみせるとキャッキャッ言いながら楽しんでました。
本当は我々オトナ向けのはずだと思うのだけど、小さい時から建築空間の感覚を体感させることは大事ですので、
自分に引きつけるならば博物館で建築展をする場合にどうやって子どもたちを引き込むかという観点から面白い体験でした。

R0016389

同時にアートプラザといえば、磯崎新氏の旧大分県立図書館の中を改装してそのままの空間をギャラリー&磯崎新建築展スペースとして
再活用した「建築みどころ博物館」でもあります。
磯崎新氏は北九州市にも多くの建築作品を残しています。磯崎作品の建築模型を多数所有しているアートプラザ。
しっかりと北九州市にある建築群の模型もみてきました。
あらためていろいろと再発見できたのは興味深い体験でした。彼の足跡に目を向けつつその空間を楽しんできました。
ぜひ大分市に来た際には、「建築ミュージアム」としてのアートプラザを観てほしいと思います。
もちろん、内井昭蔵氏の大分市美術館もぜひ。
いずれ建つ、坂茂氏の大分県立美術館(仮)と併せると大分市はけっこう建築ミュージアムとなりますね。

2012年8月 8日 (水)

3日夕方、越後高田城へ。

北九州市からはるばる上越市までの移動に充てた初日。
途中ダイヤが乱れたりして富山に寄れたので越中富山城を観たりしてから夕方に越後高田城にたどり着きました。

越後高田城は1610年に堀氏改易の後を受けて入部した松平忠輝が福島城から移転して新規築城されたもの。
1614年(慶長19年)に関川の自然堤防や川の蛇行部を利用し、奥羽・甲信越の大名などの国役普請で完成されたそうです。

Rimg5948

▲縄張りはこんな感じ↑です。西側の外堀や南西側の瓢箪曲輪などは河川の蛇行部を利用したもののようです。
真ん中は四方を直線的な土塁で囲み、三方に内桝形を背後にくっつけた馬出しを重ねる。
そして、主郭の外側にリング状の一般曲輪が形成される典型的な「重ね馬出しの一般曲輪化」の縄張りです。
駿府城や名古屋城、篠山城などと通じる縄張りプランです。ただ違うのは石垣を用いず土塁を採用しているところです。

Rimg5947

▲その土塁、半端無くでかい。写真は後世に掘り抜かれた道でできた断面です。
縄張りは西国の織豊系縄張り技術ベースの近世城郭そのものですが、土塁をみるとまるで東国の城郭のようです。

Rimg5944

▲その土塁の上に築かれた復元三階櫓です。石垣がなくても土塁幅が大きいと礎石建物が建てられている事例。
但し、縁辺部ギリギリというわけにはいきませんが。
それでも、十分に隅櫓として機能しますね。

Rimg5961

▲主郭の周りの堀は塁線に横矢掛りがみられます。
但し、近世城郭特有の巨大化して間延びした感じであるのは否めないけれども、それを補って余りある強固な遮断線です。

既に千田嘉博さんの『戦国期城下町ノート』にあるように春日山城跡などとの対比で捉えると、
頸城平野における幕藩体制の到達点がわかるいい城郭遺跡だと思います。
今回歩いてみて、想像以上に残りが良かったので興味深く縄張りをみてまわりました。
後、高田城下町も残りが良く未だに雪国特有の雰囲気が残っていて西国育ちとしては興味深く拝見しました。

2012年8月 7日 (火)

4日朝、春日山城へ。

セミナー初日は11時からということで、朝から春日山城跡に登ってきました。
はじめての春日山城跡です。
1598年(慶長3)まで上杉氏の居城であった春日山城跡。
春日山城跡については、中世城郭事典第二巻の伊藤正一氏作成縄張り図や上越市史の新潟県教委+植木宏見取図があります。
みたところ、ひたすら山上に曲輪が並ぶとりとめもない縄張り。
しかしながら、細かなところがわからないので実際に登ってみないと、どの程度改修されているのかわかりません。
何せ、関ケ原戦の2年前まで使用されていた上杉氏の居城ですから。。。ね。

Rimg6030

▲春日山城跡山上の遠景写真。上杉謙信像のある春日山神社まで自動車で来れます。

Rimg6108

▲林道を通り、途中から山道を上がると伝三の丸(上杉景虎屋敷)とされる曲輪。大きな土塁があります。
でも、城道は自然地形に沿って曲輪に入る程度のものでした(´ー`)。oO

Rimg5979

▲さらに城道を登ると伝二の丸。やはり普通に斜面を切った曲輪でしたσ(^_^)

Rimg5986

▲ようやく山頂です。主郭は削平をしていますが基本的には自然地形のピークを整地したものです。
伝天守台と呼ばれる曲輪も、主郭と伝天守台の2つのピークの間を堀切状に整地して並んでいるものでした。
技巧的な虎口プランも石垣も櫓台すらありませんでした(^^ゞ
東側に続く毘沙門堂などのある曲輪も同じくピークを整地したものでした。
そうしたピークがいくつも集まって主郭部を形成していました。

Rimg6003
▲主郭の西側にある伝上杉景勝屋敷の曲輪。普通に元々の地形に削平を入れたもの。
この間に堀切がありましたが、掘りきったというよりも曲輪の斜面にしっかり切岸入れて整備したら
堀切みたいになったという感じで竪堀などへのつながりはなかったのが印象的。全体的にそんな感じ。
写真には入れてませんが、その先にあった広大な伝柿崎景家曲輪もひたすら広いだけでした。
コチラの方が「上杉屋敷跡」と言われても違和感のない広さでした。
今回は行ってませんが、柿崎曲輪から下った先の南三の丸には2つの土塁から成る虎口らしいものが
遠くから確認できました。たぶん、これがまっとうな虎口じゃないかなあと言う印象です。

Rimg6021

▲東側に三つ連なる伝直江屋敷の曲輪。自然地形を整形して曲輪を並べたものでした。
この下に土塁が縁辺部にある千貫門跡の曲輪や堀切がありますが、やはり技巧的な虎口などはありませんでした。
そして下ると春日山神社に出ます。

Rimg6040
▲春日山神社から下りて麓の監物堀跡へ。こちらは堀秀治時代の改修と考えられている総構えです。
ようやく真っすぐな土塁・横堀ラインが現れます。奥はそのまま土塁・空堀が続く東砦跡です。

Rimg6050
▲外郭ラインは土塁で石垣などはありませんが、しっかり横矢掛りもあるように織豊系縄張り技術が施されています。

Rimg6056

▲田畑に残る監物堀の痕跡です。何とか追いかけることができました。
やはり横矢が効いているのがわかると思います。

以上のように、上杉氏時代の春日山城跡は戦国期城郭のままで織豊系縄張り技術が皆無に近い状態にありました。
少しはあるかなあと言う期待は、いい意味で裏切られました。
早い段階から豊臣政権に臣従し、最後は中枢にも参画していた上杉景勝でしたが、本城はほとんど手つかず。
これでよく秀吉の使者などを迎えたなあと思うくらいに、在来の縄張り技術のままでした。

この上杉氏が秀吉没前後に行われた会津転封では、聚楽第型のような神指城築城を始めるのですから興味深いです。

2012年8月 6日 (月)

上越市での城郭研究者セミナーに行ってきました。

3日〜6日まで第29回全国城郭研究者セミナーに参加してきました。
去年は計画停電とやらで夏に開催されず10月開催だったため、2年ぶりの参加。
そして、ボクも竹田から北キューへ3年ぶりの学芸屋さん復帰もあって各方面には転職のごあいさつ方々の参加となりました。

場所は上越市の上越教育大学でした。
今回は上越市公文書センターの福原さんが現地のお世話をしていただいたようです。
上越市と言えば2009年の聚楽第行幸図屏風が有名ですが、今回のセミナーでも報告されるなど八面六臂のご活躍。
直接お話しさせていただいた際もいろいろと屏風について教えていただきました。ありがたいことです。

もちろん、春日山城と高田城も観てきました。道中は富山城と金沢城も観てきました。
その中では上杉景勝が慶長3年まで居城としていた春日山城の縄張りが注目ポイントでしたが、後述しますが満足行く見学でした。
セミナーは去年からシンポがなくなっていますが、今回のテーマ報告「山城の実像を問う」は興味深い報告が続きました。
城郭史・縄張り研究から木島孝之氏が立花山城(大友氏支城)を柱に、文献史学から秋山伸隆氏が吉田郡山城(毛利氏居城)を柱に報告。
中でも、木島報告は縄張りをほとんど出さず、これまでの城郭遺構からの諸研究に基づく視点を下敷きに、文献史料から既存の戦国史研究を問う内容。
村の城論などに馴れた戦国史研究の方々には刺激的であり興味深い内容だったと思います。

興味ある方はぜひ第29回レジュメ(2000円)を取寄せてみてください。

Img_0820

2012年8月 1日 (水)

ようやく8月。

7月は12日明け方にあった竹田市の豪雨災害、急激な雨に河川が支えきれず大変な被害を被りました。
2週間ほど、facebookで竹田の皆さんとやり取りを交わしながら、遠くから可能な限りの支援のお手伝い。
主要部の水道など基幹インフラも22日頃までには復旧し、現地の復旧作業も月末には落ち着いてきました。
まだまだ復旧の道程は険しいですが、月もあらたまり8月になりましたので、こちらでもウェブログ再開します。

さて、3日〜6日まで上越市で開催される第29回全国城郭研究者セミナーに参加してきます。
豊後岡城に加えて、長野城と花尾城・帆柱山城のある地域に腰を据えることになりましたので、
長野城では長年関わられてきた村田修三先生にごあいさつしようと思っています。

そして、花尾城・帆柱山城では縄張り図を書かれた中城研の八巻孝夫さんにごあいさつしようと思っています。
それぞれ、北キューに来たので、先行研究・調査を受けて研究していこうと思っていますという感じですね。

その他、久々の学芸職復帰でいろいろと下準備をはじめる意味でも大事なセミナー参加になりそうです。

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart