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2012年6月23日 (土)

第46回福岡県地方史研究協議会に行ってきました。

本日は、福岡県立図書館で開催された第46回福岡県地方史研究協議会に参加してきました。
2年前の第44回研究協議会「福岡県の中世山城」で報告させていただきましたが、
その時はハコから解放されて、「4年ぶりに北部九州のフィールドに復帰です」と調査するぞと気合いを入れていましたが、
岡山方面と豊後岡城の調査にかまけている間に2年が経って、

今回、13年ぶりに本当に福岡県復帰になったこともあり、あいさつを兼ねて出向いた次第です。
よく帰ってこられましたねとあたたかいお言葉をいただきました。

今回のテーマは「福岡県の近世城郭 1.筑前の部」ということで福岡城が対象です。
なので、多くの関係者が来られていました。
報告は私の比文時代のボス、服部先生の「福岡城の歴史と構造」と、
以前、ご一緒させていただいた柴多一雄氏の「時代を生きた福岡城—築城から現代まで—」でした。

服部先生の報告は聞き慣れたものでしたが、福岡城周辺の歴史地理情報を集めたものは興味深いものでした。
だけど、城郭に関する解釈は相変わらずでして(・_・;)
2つの門を備えた定型の桝形があるかないかで三の丸の虎口の方が主郭部よりも防禦意識が高いとする解釈は、
正直、どうなんだろうというところとかいろいろツッコミながら拝聴。
また、持論にこだわっておられる下之橋御門復元についてもいろいろと考えながらの拝聴。
というのも、元々、ぼやで近代に単層に変更されていた門を二層に戻す復元の根拠についての議論なのですが
復元案を創った方の根拠も、それに反論として自説を推す根拠もどちらも復元対象となる下之橋御門の古写真がないので、
残っている上之橋御門の写真を下之橋御門と一緒の形だからという前提で使っているのはどうなのかという疑問が拭えません。
「実際の下之橋御門とは違う」ものを、やれ当時はこうだ、それ光の辺り具合が違うとか議論しても意味がないのではと思いつつ拝聴。
これに関連して以前に先生が出されていた「城郭復原無用論」ではありませんが、
近代の改変後の姿しかわからない建造物を
学問的検証がはっきりしないで復原はむやみにするものではないことを再認識した次第です。

むしろ、今日聴きたかった柴多さんの近代以降の福岡城跡についての報告で、下之橋御門が歩兵第二四連隊兵営
時代には
正門=「大手門」として扱われていたことをあらためて知ることができたのは有意義でした。
そして戦後は史跡としていち早く昭和32年に指定し、国有地の用途変更などに県の方がむしろ反発して保存しようとしたことが
今日の三の丸まできっちり残る「遺構の残りが良い近世城郭」たる福岡城跡を残したという話は興味深く拝聴しました。
柴多さんの報告を聴きながら、資料としてみた場合にどうやって保存するかをいろいろと考えさせられるものがありました。
学問的に「下之橋御門」の復元を考えるならば、従来は近世福岡城段階に戻すことが自明のこととされてきました。
しかしながら、「復原無用論」の視点で考えるならば、当時を知る決定的な資料が乏しい以上、

かの門は資料的に遡れる歩兵第二四連隊兵営時代のぼやで黒焦げになる前の原状復旧が妥当だと言うべきだったのかもしれません。
大阪城天守閣などにもみられますが、近代さえ歴史となってきた昨今においては、
廃城以後の変更についても現代につながる「歴史的変遷」であり、簡単に抹消して過去への「復原」とはいかない。
図らずも福岡城下之橋御門の復原は物語っていることを今回の協議会では考えることが出来たのはいい勉強になりました。

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