« 上津役に住む。 | メイン | 最後の晩餐。 »

2012年5月23日 (水)

大船山の入山公廟。

竹田市久住町にある大船山の途中、鳥居ヶ窪には岡藩三代藩主中川久清の御廟があります。
5月末には、文化財課による清掃登山が行われています。
今年は400年祭ということもあって、三重総合久住分校などから大々的にボランティア清掃となったようです。
竹田市:写真ニュース「久清公の遺徳を偲ぶ~大船山に眠る藩主御廟を清掃~


ボクも歴史資料館時代にこの清掃登山に参加したことがあります。
その時のことは「旧たけろぐ」に書いたのですが消してしまいました。
雰囲気はそのままこのウェブログに再録されていますので、どうぞごらんください。
前はふんだんに使っていた画像もあって、ありがたいことですヽ(・∀・)ノ

Nyuzan4_1 ◀ 入山廟です。後ろの馬蹄状のものが当時のお墓。前のは幕末維新期に整備された墓標です。

入山こと、中川久清はかなりのワンマン殿様でして、藩政の基礎を確立させ藩主に集権する体制を敷いた方です。
17世紀後半にはそうした「生まれながらの殿様」なワンマン型藩主が多数出て、各藩で「名君」と呼ばれています。
久清もそうしたひとりで、儒学者を招聘しさまざまな規則を制定したりしていきました。
そこそこ長生きし子宝にも恵まれた彼は、藩主を子の久恒に譲った後は隠居して「入山」と名乗り、西ノ丸に隠居御殿を整備しています。
その際、城内屋敷の転居に難色を示した熊田氏(初代秀成以来の創業の老職で、秀成母の実家)を改易したり、戸伏氏の屋敷を転居させています。
そして、子どもたちを新たに老職にして藩主を輔弼する役割を与え、城内に屋敷を構えさせています(中川右近家(中川民部)屋敷です)

Img_0633 ◀最近、整備された中川右近家屋敷(中川民部屋敷)

そういうワンマン型藩主久清は、登山や湯治、野外の狩猟を好むアルペン&アウトドア殿様でもありました。
特に、久住連山の大船山を愛し、たびたび登り鳥居ヶ窪で山中訓練(狩りですね)したりしています。
晩年に足が悪くなり湯治の頻度も高くなった彼ですが、やはり大船山に登りたいということで、人馬鞍をこしらえて担いでもらったりしています。
それほどまでに愛した大船山ですので、遺言としてそこに廟所を構えたら領内の鎮護を担おうと言い残したらしいです。
そして、亡くなった後に整備されたのが入山公廟です。おそらく日本で最も高い場所にある「大名墓」でしょう。
馬蹄型の儒教墓になっていますので、個人的にはきちんと測量して、碧雲寺のおたまやと並んで大名墓研究会に報告したいものです。

この入山廟、御廟はそのままで明治期に管理のための施設が麓に下りて入山神社(来田見神社)となっています。
その後、入山廟に納められた宝物は久住町中央公民館に預けられていました。

今は保存の観点から、歴史資料館に収蔵しています。
興味ある方は、たぶん、人馬鞍も展示していると思いますので、もし展示していたらごらんになってくださいませ(微笑)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/29142115

大船山の入山公廟。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart