« 銅鐘の音と中川神社。 | メイン | 都市を描く-京都と江戸- の図録を仕入れました。 »

2012年5月12日 (土)

嘉麻・小石原越えと秋月氏。

上津役のある北九州市南西部から竹田市へ向かう最短ルートは、日中はスローなので夜に走るとすると、
直方・飯塚から国道211号で小石原越えをして日田から212号→442号で小国・黒川・瀬ノ本越えをするコースがベター。
これは、長崎街道(上津役〜飯塚)→日田街道(飯塚〜大隈〜小石原〜日田)→日田往還(日田〜小国〜久住)と
古来からの内陸ルートを走るカタチになります。

戦国後期に遡ると、上津役から直方以北は麻生氏ですが、直方から小石原・宝珠山までは秋月氏の勢力圏になります。
飯塚を過ぎて嘉麻市を通る間は、北側に秋月種實の隠居城(と言っても最前線)益富城を、南側に本拠古処山城を見ることになります。
そして、毛利鎮實から奪取した馬見山城をみつつ、小石原に登ると松尾城(後に黒田六端城)を横目に越えていくカタチになります。
院生の頃から秋月氏については研究テーマにして調査していこうと思っていたのですが、
福岡や竹田に居る時は直感的にイメージをつかむのに苦労したものです。
しかし、国道211号を走ることで、直感的に「秋月氏は遠賀川流域に勢力を伸ばしたのだ」ということがだんだん実感として湧いてきました。

古処山を挟んで南側では、秋月に近い小石原川を下って筑後平野へ進出する方は敵対した柳川藩立花家中に参画した諸氏の記録から
断片的に秋月氏の動向が把握できます。
一方、北側の方は宗像郡や御牧郡まで勢力を伸ばしたようなことはなんとなくわかるのですが、敵対した勢力を含め史料的に乏しく
なかなか把握が難しいのが現状です。
秋月氏の北側への進出過程を考えると、彦山川から香春・小倉津へ伸びる秋月街道沿いには一門の高橋氏が勢力を伸ばすのに歩調を併せて、
遠賀川沿いに秋月氏が北上して両輪のように豊筑地域を席巻していった有り様が浮かんできます。
御牧郡を支配していた麻生氏は筑前側からは秋月氏、豊前側からは高橋氏の圧力を受けて最終段階ではかなり苦慮したものと考えられます。

九州出兵前夜の豊臣政権からもっとも警戒されていた秋月氏は、戦国末期には豊筑地域を席巻した大勢力に発展したのですが、
文献史料の少なさから、北部九州でもほとんど注目されていないようにあります。
唯一、彼らが多数築いた技巧的な畝状空堀群を積極的に多用した城郭群にその痕跡を見出すことが出来ます。
城郭跡の調査成果をベースにしつつ、秋月氏の本貫地に近い国道211号の嘉麻市ルートで秋月氏ゆかりの痕跡を探っていくことで、
朝倉市秋月と併せて、ある程度は、戦国大名秋月氏ゆかりの地として位置づけできるかもしれません。
今後、注意して遠賀川流域、まずは嘉麻郡から地道に痕跡を拾っていきたいなあと思う次第です。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/29089783

嘉麻・小石原越えと秋月氏。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart