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2012年5月22日 (火)

上津役に住む。

ボクが北九州市に引っ越すことになり、土地勘もない中2〜3週間で家を探すことになった際、
たまたま紹介していただいた中で行き当たったのが、上津役という場所でした。

しばらく田舎の借家住まいだろうと鷹を括っていたので、ある程度の広さは必要だったし、
田舎暮らしで慣れた体には、臨海側の工業地帯近辺で煤煙に晒すのは厳しかろうということから、
鹿児島線沿いはパス。(実際にコチラへ来て、臨海部の煤煙のただよい具合は予想以上でした。)
で、市外の郊外に住むか、高速への出やすさから内陸かなあと思っていたら、上津役でした。
但し、今は上津役(上上津役や町上津役・下上津役)の大字は宅地化の波で新しい地名や地番が
出来ていて、以前は小字にすぎなかったものが町名になったりしています。
ボクの住みついたのはどうも新開地のようで、ホントならもう少し旧来の住宅地界隈に借家があるとよいのですけどね。
背後は山地でよい風が吹きぬけ、水は清く、宅地化しつつもみどりの多い環境はベストとまではいかなくともベターな選択でした。
それでも、竹田市での自然と共存する環境とは比べものにはなりませんがね。。。(ρ_-)ノ

その上津役地区は、面白いことに近くを長崎街道や福岡藩主の参勤道が通っていた歴史的にも由緒の深い地域でもあります。
また近くには麻生氏の城郭跡もあり、少し行くと帆柱山・花尾山城と麻生氏の拠点に近い立地でもあります。
山地から伸びる稜線と河川が削った谷部が繰り返す地形は中世以来開けた場所のようで、
中世には上津役郷と呼ばれていたようです。そこから南には楠橋荘・香月荘・野面荘と続いています。
いずれ、仕事と別に上津役地区の歴史についてはゆっくり歩き回って、おおよそのラフスケッチを皆さんに紹介できたらいいなあと思っています。


思えば、大学院の頃は九州北部の国衆が築いた戦国期城郭を調べるべく、福岡平野周辺を手始めに東へ進んでいく研究計画を立てていました。
予定では麻生氏や長野氏、秋月氏・高橋氏まで行き着くはずでしたが、福岡平野周辺を終えたところで仕事を得て竹田市に越していきました。。。
それから13年後に、北九州市に移り、花尾城に拠る麻生氏の拠点に近い上津役地域に自分が越すことになろうとはなんとも奇縁を感じる次第です。
文献史料では断片的な彼らの足跡を城郭跡から探る試みを、最後までやってくれという過去からの依頼なんでしょうか(^^

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