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2012年5月21日 (月)

『戦国・織豊期の九州の城郭』シンポに出席しました。

20日は、福岡市西区市民センターで開催された「九州学」研究会による『戦国・織豊期の九州の城郭』に出席してきました。
標題から見ると、戦国・織豊期九州の城郭の様相という案配ですが、中身は小佐々城をどう考えるといった感じでした。

本来のテーマについては、木島孝之氏の「九州にとって『織豊』とは」の報告にすべてがあったと思います。
木島氏の「織豊系城郭虎口変遷案」を生レクチャーで聴ける機会はそうそうありませんので、(というか、この変遷案自体、
『愛城研報告』第4号所収なので広く知られていない)ので、貴重だったと思います。
加えて、福岡城跡・小倉城跡・熊本城跡を築いた織豊取立エリート大名の方が築城の名手と呼ばれたりするけれども、
「上風」を何の迷いもなくこなす面白みの乏しい「優等生」的な面を持つとの指摘や、
逆に、佐賀城跡や鹿児島城跡など既存の権力構造と「上風」の織豊化路線の狭間で試行錯誤による「亜流の織豊系城郭」を
生み出した旧族大名の方に地域の特徴が見出せるとも言えるという視点を出してました。
そして、その両極端な方向に諸大名が明確に分かれるのが九州の特徴という指摘は、
今回のテーマにぴったりなまとめ方と思いました。

ボクは、戦国期城郭の方を長野城跡をもとに説明しました。
戦国期には大半の勢力が城域を厳重に守り固めることに専念した。
その一方でどうしても弱点になる開口部(虎口)には相対的に意識が廻らなかったようである。
その中で、出入り口に防禦の工夫を考えた勢力は、せいぜい織豊勢力(桝形虎口・馬出し)と
武田氏(丸馬出し)、後北条氏(角馬出し)ぐらいだった、その中で織豊勢力が全国を席巻したということを概説しました。
それでこの日のボクの役回りは十分だったと思います。

このシンポでは、日本城郭史学会の世界にはじめて触れることになりました。
貴重な体験でしたが、あらためて、村田修三氏の縄張り研究の提唱(城郭跡を歴史資料として活用する)と、
それを受けて、虎口編年案や縄張り研究の方法論的枠組みを提示した千田嘉博氏の研究に対して、
城郭研究における研究史的意義の大きさを再認識できたことも有意義でした。

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