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2012年5月28日 (月)

最後の晩餐。

いよいよ竹田市を引き払う27日は、後方部隊の撤収と引越作業。
その合間をぬって、白丹のDAR VIDAの展覧会の最終日にお伺い。
竹田市久住町の「食の伝道師」こと堀田さんと、産山村で明石農園を営む明石さんのレシピがメインのクロージングパーティに顔を出してきました。
最期じゃないので、「最後の晩餐」です。
皆さんがまだ集まる前に白丹のDAR VIDAに顔を出し、14時から引越しで竹田に下り、片づいてから17時半にふたたび白丹へ。
そこで会食される皆さんに何とかお会いできましたヽ(・∀・)ノ

Rimg6049こんな感じ。

Rimg6051_2 堀田さんのメニューです。

Rimg6032 晩餐のはじまる前の最終日の会場風景。

今回の13年間の竹田暮らしのラストが、アートと食で〆になるのは何とも感慨深いものがありました。
行くところが行くところだけに、都市民のイメージとは全く違う「自然と共に暮らす田舎の風景」の中で、
都市民の感覚を持ち合わせながら暮らした経験は何ものにも代え難いことをあらためて再確認。
これまでのつながりに感謝すると共に、さらに足し算となる都鄙往来のつながりを楽しみに思いながら、
竹田暮らしの最後の日を終えるのでした。


そして、近戸の家もさようなら、また会える日まで。
次会う時は床下に活性炭を敷き詰められていることを要望。(^^

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2012年5月23日 (水)

大船山の入山公廟。

竹田市久住町にある大船山の途中、鳥居ヶ窪には岡藩三代藩主中川久清の御廟があります。
5月末には、文化財課による清掃登山が行われています。
今年は400年祭ということもあって、三重総合久住分校などから大々的にボランティア清掃となったようです。
竹田市:写真ニュース「久清公の遺徳を偲ぶ~大船山に眠る藩主御廟を清掃~


ボクも歴史資料館時代にこの清掃登山に参加したことがあります。
その時のことは「旧たけろぐ」に書いたのですが消してしまいました。
雰囲気はそのままこのウェブログに再録されていますので、どうぞごらんください。
前はふんだんに使っていた画像もあって、ありがたいことですヽ(・∀・)ノ

Nyuzan4_1 ◀ 入山廟です。後ろの馬蹄状のものが当時のお墓。前のは幕末維新期に整備された墓標です。

入山こと、中川久清はかなりのワンマン殿様でして、藩政の基礎を確立させ藩主に集権する体制を敷いた方です。
17世紀後半にはそうした「生まれながらの殿様」なワンマン型藩主が多数出て、各藩で「名君」と呼ばれています。
久清もそうしたひとりで、儒学者を招聘しさまざまな規則を制定したりしていきました。
そこそこ長生きし子宝にも恵まれた彼は、藩主を子の久恒に譲った後は隠居して「入山」と名乗り、西ノ丸に隠居御殿を整備しています。
その際、城内屋敷の転居に難色を示した熊田氏(初代秀成以来の創業の老職で、秀成母の実家)を改易したり、戸伏氏の屋敷を転居させています。
そして、子どもたちを新たに老職にして藩主を輔弼する役割を与え、城内に屋敷を構えさせています(中川右近家(中川民部)屋敷です)

Img_0633 ◀最近、整備された中川右近家屋敷(中川民部屋敷)

そういうワンマン型藩主久清は、登山や湯治、野外の狩猟を好むアルペン&アウトドア殿様でもありました。
特に、久住連山の大船山を愛し、たびたび登り鳥居ヶ窪で山中訓練(狩りですね)したりしています。
晩年に足が悪くなり湯治の頻度も高くなった彼ですが、やはり大船山に登りたいということで、人馬鞍をこしらえて担いでもらったりしています。
それほどまでに愛した大船山ですので、遺言としてそこに廟所を構えたら領内の鎮護を担おうと言い残したらしいです。
そして、亡くなった後に整備されたのが入山公廟です。おそらく日本で最も高い場所にある「大名墓」でしょう。
馬蹄型の儒教墓になっていますので、個人的にはきちんと測量して、碧雲寺のおたまやと並んで大名墓研究会に報告したいものです。

この入山廟、御廟はそのままで明治期に管理のための施設が麓に下りて入山神社(来田見神社)となっています。
その後、入山廟に納められた宝物は久住町中央公民館に預けられていました。

今は保存の観点から、歴史資料館に収蔵しています。
興味ある方は、たぶん、人馬鞍も展示していると思いますので、もし展示していたらごらんになってくださいませ(微笑)

2012年5月22日 (火)

上津役に住む。

ボクが北九州市に引っ越すことになり、土地勘もない中2〜3週間で家を探すことになった際、
たまたま紹介していただいた中で行き当たったのが、上津役という場所でした。

しばらく田舎の借家住まいだろうと鷹を括っていたので、ある程度の広さは必要だったし、
田舎暮らしで慣れた体には、臨海側の工業地帯近辺で煤煙に晒すのは厳しかろうということから、
鹿児島線沿いはパス。(実際にコチラへ来て、臨海部の煤煙のただよい具合は予想以上でした。)
で、市外の郊外に住むか、高速への出やすさから内陸かなあと思っていたら、上津役でした。
但し、今は上津役(上上津役や町上津役・下上津役)の大字は宅地化の波で新しい地名や地番が
出来ていて、以前は小字にすぎなかったものが町名になったりしています。
ボクの住みついたのはどうも新開地のようで、ホントならもう少し旧来の住宅地界隈に借家があるとよいのですけどね。
背後は山地でよい風が吹きぬけ、水は清く、宅地化しつつもみどりの多い環境はベストとまではいかなくともベターな選択でした。
それでも、竹田市での自然と共存する環境とは比べものにはなりませんがね。。。(ρ_-)ノ

その上津役地区は、面白いことに近くを長崎街道や福岡藩主の参勤道が通っていた歴史的にも由緒の深い地域でもあります。
また近くには麻生氏の城郭跡もあり、少し行くと帆柱山・花尾山城と麻生氏の拠点に近い立地でもあります。
山地から伸びる稜線と河川が削った谷部が繰り返す地形は中世以来開けた場所のようで、
中世には上津役郷と呼ばれていたようです。そこから南には楠橋荘・香月荘・野面荘と続いています。
いずれ、仕事と別に上津役地区の歴史についてはゆっくり歩き回って、おおよそのラフスケッチを皆さんに紹介できたらいいなあと思っています。


思えば、大学院の頃は九州北部の国衆が築いた戦国期城郭を調べるべく、福岡平野周辺を手始めに東へ進んでいく研究計画を立てていました。
予定では麻生氏や長野氏、秋月氏・高橋氏まで行き着くはずでしたが、福岡平野周辺を終えたところで仕事を得て竹田市に越していきました。。。
それから13年後に、北九州市に移り、花尾城に拠る麻生氏の拠点に近い上津役地域に自分が越すことになろうとはなんとも奇縁を感じる次第です。
文献史料では断片的な彼らの足跡を城郭跡から探る試みを、最後までやってくれという過去からの依頼なんでしょうか(^^

2012年5月21日 (月)

『戦国・織豊期の九州の城郭』シンポに出席しました。

20日は、福岡市西区市民センターで開催された「九州学」研究会による『戦国・織豊期の九州の城郭』に出席してきました。
標題から見ると、戦国・織豊期九州の城郭の様相という案配ですが、中身は小佐々城をどう考えるといった感じでした。

本来のテーマについては、木島孝之氏の「九州にとって『織豊』とは」の報告にすべてがあったと思います。
木島氏の「織豊系城郭虎口変遷案」を生レクチャーで聴ける機会はそうそうありませんので、(というか、この変遷案自体、
『愛城研報告』第4号所収なので広く知られていない)ので、貴重だったと思います。
加えて、福岡城跡・小倉城跡・熊本城跡を築いた織豊取立エリート大名の方が築城の名手と呼ばれたりするけれども、
「上風」を何の迷いもなくこなす面白みの乏しい「優等生」的な面を持つとの指摘や、
逆に、佐賀城跡や鹿児島城跡など既存の権力構造と「上風」の織豊化路線の狭間で試行錯誤による「亜流の織豊系城郭」を
生み出した旧族大名の方に地域の特徴が見出せるとも言えるという視点を出してました。
そして、その両極端な方向に諸大名が明確に分かれるのが九州の特徴という指摘は、
今回のテーマにぴったりなまとめ方と思いました。

ボクは、戦国期城郭の方を長野城跡をもとに説明しました。
戦国期には大半の勢力が城域を厳重に守り固めることに専念した。
その一方でどうしても弱点になる開口部(虎口)には相対的に意識が廻らなかったようである。
その中で、出入り口に防禦の工夫を考えた勢力は、せいぜい織豊勢力(桝形虎口・馬出し)と
武田氏(丸馬出し)、後北条氏(角馬出し)ぐらいだった、その中で織豊勢力が全国を席巻したということを概説しました。
それでこの日のボクの役回りは十分だったと思います。

このシンポでは、日本城郭史学会の世界にはじめて触れることになりました。
貴重な体験でしたが、あらためて、村田修三氏の縄張り研究の提唱(城郭跡を歴史資料として活用する)と、
それを受けて、虎口編年案や縄張り研究の方法論的枠組みを提示した千田嘉博氏の研究に対して、
城郭研究における研究史的意義の大きさを再認識できたことも有意義でした。

2012年5月15日 (火)

都市を描く-京都と江戸- の図録を仕入れました。

つい最近まで、歴史民俗博物館と国文学資料館で開催されていた、人間文化研究機構連携展示『都市を描く-京都と江戸-』の図録を仕入れました。
東京に行けませんので通販で仕入れたもの。2000円+送料。
今回は、一連の洛中洛外図屏風に加えて江戸図屏風も出ていたので一冊でまとめて見ることが出来るなあということで入手。
図版もキレイでみやすくてよい感じです。
洛中洛外図関係はこれまでも図録などで見ることが出来ましたが、
江戸図屏風はなかなか仕入れる機会がなかったのでありがたいなあと思う次第。
詳細はコチラ↓
http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/o120327.html
通販はコチラ↓
http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/catalog/index.html

2012年5月12日 (土)

嘉麻・小石原越えと秋月氏。

上津役のある北九州市南西部から竹田市へ向かう最短ルートは、日中はスローなので夜に走るとすると、
直方・飯塚から国道211号で小石原越えをして日田から212号→442号で小国・黒川・瀬ノ本越えをするコースがベター。
これは、長崎街道(上津役〜飯塚)→日田街道(飯塚〜大隈〜小石原〜日田)→日田往還(日田〜小国〜久住)と
古来からの内陸ルートを走るカタチになります。

戦国後期に遡ると、上津役から直方以北は麻生氏ですが、直方から小石原・宝珠山までは秋月氏の勢力圏になります。
飯塚を過ぎて嘉麻市を通る間は、北側に秋月種實の隠居城(と言っても最前線)益富城を、南側に本拠古処山城を見ることになります。
そして、毛利鎮實から奪取した馬見山城をみつつ、小石原に登ると松尾城(後に黒田六端城)を横目に越えていくカタチになります。
院生の頃から秋月氏については研究テーマにして調査していこうと思っていたのですが、
福岡や竹田に居る時は直感的にイメージをつかむのに苦労したものです。
しかし、国道211号を走ることで、直感的に「秋月氏は遠賀川流域に勢力を伸ばしたのだ」ということがだんだん実感として湧いてきました。

古処山を挟んで南側では、秋月に近い小石原川を下って筑後平野へ進出する方は敵対した柳川藩立花家中に参画した諸氏の記録から
断片的に秋月氏の動向が把握できます。
一方、北側の方は宗像郡や御牧郡まで勢力を伸ばしたようなことはなんとなくわかるのですが、敵対した勢力を含め史料的に乏しく
なかなか把握が難しいのが現状です。
秋月氏の北側への進出過程を考えると、彦山川から香春・小倉津へ伸びる秋月街道沿いには一門の高橋氏が勢力を伸ばすのに歩調を併せて、
遠賀川沿いに秋月氏が北上して両輪のように豊筑地域を席巻していった有り様が浮かんできます。
御牧郡を支配していた麻生氏は筑前側からは秋月氏、豊前側からは高橋氏の圧力を受けて最終段階ではかなり苦慮したものと考えられます。

九州出兵前夜の豊臣政権からもっとも警戒されていた秋月氏は、戦国末期には豊筑地域を席巻した大勢力に発展したのですが、
文献史料の少なさから、北部九州でもほとんど注目されていないようにあります。
唯一、彼らが多数築いた技巧的な畝状空堀群を積極的に多用した城郭群にその痕跡を見出すことが出来ます。
城郭跡の調査成果をベースにしつつ、秋月氏の本貫地に近い国道211号の嘉麻市ルートで秋月氏ゆかりの痕跡を探っていくことで、
朝倉市秋月と併せて、ある程度は、戦国大名秋月氏ゆかりの地として位置づけできるかもしれません。
今後、注意して遠賀川流域、まずは嘉麻郡から地道に痕跡を拾っていきたいなあと思う次第です。

2012年5月11日 (金)

銅鐘の音と中川神社。

11日にニュースになっていましたが、
中川神社所蔵(竹田市立歴史資料館寄託)のサンチアゴの鐘を、竹田市がメンテをして鐘を鳴らすプロジェクト。
いよいよ、幻の鐘の音が録音されたとのこと。神社を管理されてきた地元の方々も喜ばれていることでしょう。

“幻の音色”時代超えて「サンチャゴの鐘」
竹田市の録画ニュースで音が聴けます→コチラ(いきなり音が出ます)

で、せっかくなので、サンチアゴの鐘の音について聴き比べるサンプルをご案内。
以前に「奥豊後のキリシタン展」取材を兼ねて帰省した際に、
大阪市北区中津にある南蛮文化館所蔵のキリシタンベルと妙心寺春光院のキリシタン鐘(1577の銘あり)を見学したことがあります。
その内、南蛮文化館のキリシタンベルは、細川忠興が友人の森忠政が津山城を築く際に贈呈した
九曜紋入りのベルという由緒あるものですが、館蔵品なので自由に叩くことが出来ます。
ボクも鳴らしましたが、とても澄んだ響きで余韻の残る音色でした。

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知人のうききさんが、その音を録音されていたので参考までにダウンロードして聴き比べてみて下さい(^^
http://ukikimaru.ran-maru.net/ran/jiten/yougo/asagao.htm

ところで、館の過去の所蔵品図録などに掲載されていることなので周知のこととは思いますが、
中川神社の宝物には、サンチアゴの鐘以外に、伝中川秀成着用の甲冑や中川家の馬印、家紋の幟などもあります。
現在、拝田原にある中川神社は前身は岡城東ノ郭にあった中川家の霊廟「荘岳社」がルーツです。
ですので、神社の宝物のほとんどは、藩政時代に中川家が先祖を祭るために由緒ある品々を納めたものから構成されています。
もちろん、現在も祭神は中川家の藩祖である中川清秀と子の秀政、秀成です。

今回の岡藩城下町400年祭は中川秀成が亡くなった年にちなんで開かれるものです。
でしたら、これらの中川家由緒の「幻の宝物」も中川秀成が亡くなった年に長崎の施療院に掛けられたサンチアゴの鐘同様に、
精密な調査とメンテ(できればレプリカ作成)で日の目を見せてやってほしいと思うのは、私だけではないでしょう。
ぜひとも、これを機に、岡藩ゆかりの荘岳社をルーツとする中川神社と宝物が注目されることが期待されますね。
 

2012年5月10日 (木)

たけログ、復活させました。

かつて、歴史資料館勤務の際に、たけログという非公式ウェブログを試験的にこしらえたことがあります。
要は竹田直入地域の自然と歴史と文化に関するあれこれを載せていたものです。
資料館勤務から異動になった際に閉鎖したのですが、前々からあれよかったのにという声をいただいていました。

で、今回、エコミュージアム的なノウハウを学ぶことも考えて決めたことも踏まえて、
せっかくなので、竹田直入地域を素材に、ウェブ上にエコミュージアムな視点で綴ってみようと思いました。
ということで、たけログというカテゴリーを新たに起こしましたので、おいおい加筆していこうと思います。
よろしくお願いします(´ー`)。oO

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2012年5月 6日 (日)

『織豊政権と東国社会』購入しました。

「未知なる城を求めて」の管理人たけさんこと、竹井英文さんの論集『織豊政権と東国社会』が刊行されたとのこと。
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/30430522.html
さっそくお問い合わせして、直接購入させていただきました。

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ありがとうございました(私信)。
近年さかんな織豊期の関東について他の成果と併せて、じっくり読んで勉強したいと思います(・ω・)ノ

2012年5月 3日 (木)

10人10冊の日々。

久住白丹に週末ギャラリー兼2nd.アトリエを営まれるダルヴィーダの佐藤さんから依頼をいただいたのは去年の終わり頃。
白い本を預かり、毎日のことを書いてほしいという提案でした。
城郭研究者の日々をどう書こうかと思っていましたが、年が明けてあれよあれよという間にハコ芸への復職が決まってしまい、
日常どころか、非日常のドタバタに放り込まれた次第。

そこで考えたのは、竹田市に居るのことを整理できるのはこのときだけと思い、そちらに集中して白い空白を埋めていくことにしました。
もっとも手元にあるのは終わりの5年間くらいのこと。
しかし、ハコ芸に復帰するベースを培ったのは終盤の数年間の試みが大きかったのも事実。
そうした軌跡のいくばくかをノートに残すことで、竹田での日々を忘れないようにしたいと思いました。
そして4月末に無事納品。3日から展示がはじまったので、さっそくダルヴィーダに行ってきました。

久住高原 DAR VIDAから大分県久住高原の週末と祝日オープンのアートスペースです。

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ボクの本はともかく、他の方々の作品から、いろんな方が竹田市の久住町白丹にあるギャラリーを通して、
様々な交わりを持っていたことの面白さを感じることができると思います。

今回、白い空白を埋めながら、自然と歴史と文化ベースで取り組んだ自分のハコ芸な活動と、
食育ツーリズムで名を馳せたパッケージ事業を重ね合わせていろいろ考えました。
というのも、ダルヴィーダと今回10人の中に加えていただいた皆さんとの間には、パッケージ事業で学んだ
地域を介したデザインプロデュース&経済的循環プログラムを共有できるんだろうなと思ったからです。
加えて、そうした舞台を設定し受入れる豊かな風土を持ち合わせていることが、
竹田市域の自然と歴史と文化の厚みを証明するんだろうとも思い至ったからです。

地域に根ざすひとたちと遠来から往来する専門家と呼ばれるひとたちが付かず離れずでうまく交わる土壌を持てることが、
パッケージ事業の分野で「竹田方式」と呼ばれる、或いは岡の里事業が目指した「エコミュージアム」と言う、
様々なカタチで地域を介したデザインプロデュース&経済的循環プログラムのキモがあったような気がします。

学芸職としてはあんまりいい扱いを受けなかった13年間でしたが、
竹田方式と呼ばれるまでになった地域を介した
地域を介したデザインプロデュース&経済的循環プログラム
あるいはエコミュージアムと呼ばれる取り組みの片隅で同じ時間を共有することが出来たことは財産ですし、幸せ者だと思います。

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Foxkeh! フォクすけ!


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