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2012年4月23日 (月)

細川忠興と小倉城。

今回、北九州市に拠点を移ったこともあり、通勤の間『江戸城の宮廷生活』を読んでいました。

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北九州といえば、関ケ原後には、豊前国を領した細川氏と筑前国を領した黒田氏が激しく対立したゆかりの地。
ですので細川忠興にまつわる文献史学の成果として読んでいた次第。
何度か読み返していますが、何度読んでも忠興の人物像は自分にはない要素なので面白い。
そんな忠興が築いた
のが小倉城跡・小倉城下町ですので、小倉城跡と細川忠興をリンクさせてうまく紹介できないかなと思う次第。
ご存知の通り、細川忠興はピンで取り扱ってもなかなか面白い人物。史料から人物像がある程度導かれているのは上記の書籍の通り。
短気な武闘派でありながらクールな文化人という忠興の人生に照準を併せて整理したら面白いだろうな。と思います。

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細川忠興の居城クラスでは勝龍寺城を皮切りに宮津・田辺城から中津城、熊本城(厳密には息子忠利が入城)、八代城とありますが、
彼が直接関与した城郭跡で基本形を残すのは小倉城跡ぐらいでしょう。
城館史料学の立場からは、既に木島孝之氏の本城・支城体制の成果が提出されています。
それを踏まえつつ、現存する小倉城跡を丹念に拾い、現存しないけど城下を広く囲い込む外郭ライン(欧州の幾何学状の近代都市のよう)
まで含めて紹介したいものです。

せっかく関わりを持ったので、これまでの先行する諸成果を踏まえつつ、もうひとつのライフワークなテーマとして
城郭跡から小倉城跡と築城主体である細川忠興と近世初頭細川家の様相を整理しつつ勉強できればと思います。

細川忠興ゆかりの小倉城跡と言われるように、ひとつひとつ資料を積み上げていければ幸い。

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