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2012年2月 3日 (金)

豊後岡城の御城外櫓場と竹田城下町

城下町とは、文字通り城郭が築かれてはじめて成り立つもの。
ですので、城郭の縄張り構造を踏まえず切り離して語られる城下町論や都市論はあんまり意味がありません。
今日の多くの都市のルーツとなった城下町は、織豊期の豊臣系大名や関ケ原戦以降の諸大名が新たな領土に入部し、
織豊系縄張り技術ベースの近世城郭を築城してはじめて成立したものがほとんどです。
城郭が築かれなければそこには町は成立しなかったと言い換えることも可能でしょう。
よって、都市のルーツを語る際に城下町論を行うならば、主体たる城郭の理解を抜きにはあり得ないと言わざるを得ません。


既に示した豊後岡城の縄張りの特徴を踏まえて、城外の上角台地・竹田城下町をみるとその独特な風景がみえてきます。
その一端を示すのが、『中川氏御年譜』にも収録されている「岡城中櫓場城外櫓場之覚」です。
この内、下記の城外櫓場13ケ所が設置されたことを抜きにして、竹田城下町の性格は捉えられないと思います。

一 菅作之進屋敷 吉村五藤治屋敷
  願成院山 惣役所重門上 村上臺四郎屋敷
  中川大三郎揚屋敷 小河弥右エ門屋敷
  室十右エ門屋敷 中川平右エ門屋敷向
  吉田峯之進屋敷 大勝院山 烏嶽
  下石勘右エ門屋敷  左十三ケ所

場所に示すと下記の図の
通りです。

2

豊後岡城を中心として、上角丘陵の要所に櫓場が築かれていることがわかると思います。
櫓場の覚書を手掛かりに現地を踏査すると、櫓屋敷と呼ばれた櫓台を持つ屋敷跡や櫓場跡を確認することが出来ます。

この中で、西端の阿蔵口を押える茶屋の辻に築かれた下石勘右エ門屋敷(上角鬼ヶ城)は隅櫓を複数構えた方形の出城。

Rimg3285◀上角鬼ヶ城の隅櫓

北側の近戸口を押える村上臺四郎屋敷(木戸の城)↓は両袖桝形を持ち、石垣で囲まれた出城となっています。 

Rimg4128◀木戸の城の石垣塁線。

そして東側の菅作之進屋敷には、当初は屋敷の直下を通っていた十川町ヘ下りる城道を押える位置に櫓台が遺されています。
また、眼下に十川町を見据えることが出来ます。

Rimg4102◀下原門から十川町へ下る旧城道を見据える櫓台跡

この配置をみると、出城や櫓場は豊後岡城の三口(下原、上角、近戸)から伸びる尾根上の武家地に築かれており、
城外で攻め手を牽制し先制攻撃を加える役割を期待されたことがわかります。
また、西側の竹田城下町をすっぽりと囲むように背後の尾根に櫓場が整備されていたことがわかります。

城外櫓場の現地調査をもとに、次の4タイプ(A:出城型櫓屋敷(櫓台が一体化した武家屋敷)タイプ、
B:屋敷内などに単体の櫓台が配置された櫓屋敷・櫓場タイプ、C:櫓台が伴わない見切場タイプ、
D:後世の改変等により特定できないもの)に分類して、分布をみると
下記の図のようになります。

1

これをみると、豊後岡城の尾根筋に築かれた出城・櫓場は明確な土木構築物を備えたものが多く、
本城部分の防御を第一義として築かれたことがわかります。
城下の中でも家臣団が居住する武家地は本城部分と一体的な役割が期待されたことが見て取れます。

一方、城下町側は外縁部に櫓場を構えているものの、こちらは物見台のような簡単な構造が多かったようです。
櫓場で囲まれていたことは、竹田城下町が本城を核とする求心的な秩序の中に位置づけられていたことがわかります。

竹田城下町が本城と武家地を構える大名家と家臣団を支える供給基地として位置づけられたものと思われます。
しかしながら、櫓場の形状が若干劣ることから、本城と武家地より城下町はワンランク下の位置づけが成されていたことも見て取れます。
つまり、いざという時には本城・武家地に比べて城下町は放棄もやむなしという位置づけだったと思われます。

幸い、豊後岡城で激しい戦闘が起こることはなく竹田城下町を捨てて本城・武家地に立籠ることはありませんでした。
多くの城下町と同様に、350年余りの平穏な時代には豊かな城下町文化が栄え、近代に引き継がれることになりました。

他の城下町ではそうした本来の基層構造を知る手掛かりがないため城下町の位置づけは見落とされることが多いのですが、
全国でも珍しい城下町の外側を囲む櫓場の存在がわかる竹田城下町は、本来の城下町の役割を知るとても貴重な物証と評価できます。

このように、全国の最前線の城郭研究の現場に足を運び城郭の縄張り構造を読み解く目線を鍛えることから、豊後岡城のみならず、
竹田城下の櫓場が貴重なものであることや、原初の風景を遺す竹田城下町の資料的価値、独特な景観を持つ町の履歴がみえてきます。
それは、縄張り研究ベースの城郭理解を以て現地を丹念に踏査し、その知見を以て文献史料にも当る姿勢で臨むことで得られるものです。

近世初頭の本来の本城と武家地・城下町の関係性を遺跡として遺す豊後岡城・竹田城下の重要性を指摘すると共に、
主たる城郭を取り扱う縄張り研究の理解と実践を抜きにしては城下町論を語れないことを認識していただければ幸いです。

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