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2011年12月23日 (金)

荻台地の城館、鴫田城と弁当城を踏査しました。

23日は荻台地の城館跡(鴫田城と弁当城)を踏査してきました。
鴫田城は荻台地の南方、柏原郷の台地の先端に位置する丘城。
一方、弁当城は荻台地の北方、葎原郷の西側にあり下荻岳の麓に位置する平城。
なお、前述の下原城跡を含めて、弁当城など葎原郷の城館を考える際には、
玉来→君ヶ園→高城→中行年→馬場→藤渡→政所→木下→滝水→波野と通る往還を踏まえる必要があります。
荻台地の歴史の道とも言える玉来〜滝水間の往還については別途アップします。

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鴫田城跡は現在、周囲が土取りで破壊されていますが山上部分が残されています。
文禄期に中川家の与力となった田原紹忍が入ったとされますが、山上は特徴的な遺構は確認できませんでした。

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一方、弁当城跡は写真にある玉来〜滝水間の往還沿いにあります。
文禄年間に葎原郷に所領を得た宗像掃部(中川家の与力)が拠ったとされます。
写真右奥手の小山か、字「弁当城」のある左側の圃場整備された迫地のどちらかが比定地とされます。
この日は両方とも確認してみましたが、小山の方は目立った遺構はありませんでした。
そこで、字「弁当城」が左奥手にみえる下荻岳の麓であることから、こちらの方が比定地の可能性が高いと判断しました。
類例として、久住の都野方面に割拠した朽網氏が戦国末期に築いた居館も似たような地勢にあり、
宗像掃部が往還沿いに展開した葎原郷の後背地を押える立地に居館を配したものと思われます。

この2つの事例を踏まえると、やはり馬場(葎原)から藤渡川を挟んで北東に位置する
新藤の下原城跡は少し様相が異なります(この前、地籍図で復元した城跡です)。

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単郭の丘城である鴫田城跡や平地城館の弁当城跡など荻台地にみられる城館と比べると、
2.5m程度の土塁が台地を直線で区切る下原城跡は「浮いた存在」にみえます。
 

滝水・波野から万徳寺のあった馬場(葎原)を通り玉来に通じる往還に近接して位置したことを鑑みると、
下原城跡はより広範囲の防禦体制のもとで整備された城郭跡ではないかと考える次第です。  

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