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2011年12月25日 (日)

荻台地の歴史の道。

23日は城館跡の現況調査と併せて、玉来→高城→馬場→藤渡→木下→滝水へ通じる荻台地葎原郷の往還を行きました。
下原城跡と弁当城跡がちょうどこの往還に沿って位置するからです。2つの城跡を考える上で、この往還の性格を考えることが大事だからです。
豊後国と肥後国をつなぐこの往還は、現在も県道や市道となって通ることが出来ます。
岡藩領を描いた近世の絵図に朱色で記された主要な往還ですが、今日ではあまり知られていません。
しかし通ってみて、先史以来の豊肥国境の台地を一体的につなぐ歴史の道だと言うことが理解できます。

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道中には旧万徳寺の妙雲寺や荻神社など葎原郷ゆかりの史蹟があります。
中世に開基された万徳寺は元禄年間に竹田の七里に移転するまで荻の台地にあり、
豊後国直入郡から肥後国阿蘇郡にかけて多くの宗徒を抱えたとされます。
近世になり、豊肥間を宗徒が往来することが問題視されたため、内牧に別院を営んだという記述は興味深く拝見。
一方、荻神社はもともと下荻岳にあったとされる神社。麓の政所の字宮田からここへ移転したとのことです。

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さらに、国境まで走らせるとJR滝水駅に出ます。
滝水集落には、肥後藩・岡藩の境目裁定の際に植えたとされる「御論木跡」の看板がありました。
貞享年間に幕府立ちあいのもと、馬渡川上流の岡藩領滝水村(下滝水)と肥後藩領滝水村が画定された場所。
その際、御論木が植えられ、それより下流の湧水は下滝水が供与したとのこと。
近世初頭の曖昧な藩境が次第に行政区画として画定され、今日の大分県竹田市と熊本県阿蘇市まで続くことがわかる景観です。

同時に、荻台地の方々が他の直入郡の人々と比べても波野・阿蘇方面との関係の深いことからもわかるように、
今日もなお、台地がひとつの文化圏を構成しており、そうした文化圏を支える役割の一端をこの往還が担ってきたものと思います。
その観点からも、この往還が「荻台地の歴史の道」として注目されれば良いのにと思う次第。
こうした中世以来と思われる主要な往還に沿って、弁当城と下原城が築かれていることがわかったことは大きな収穫。

加えて、こうしたエコミュージアムのような歴史的景観について、ハコ芸や文化財的業務では体得できなかったものが
土地勘を鍛え地理情報の集積から理解を深めることで体得出来たことはなかなか興味深い体験。

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