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2011年11月14日 (月)

南北九州城郭研の合同研究会@天草市

12・13日は、天草市で開催された南九州城郭談話会&北部九州中近世城郭研究会の合同研究会に参加してきました。
今回は天草市教委がホスト役となって天草の城郭など地域の築城技術について考えると言うテーマでした。

初日は天草上島の有明町大浦に集合して寺澤氏の支城軍ヶ浦城と考えられる大浦城跡を見学。
続いて山を越えて倉岳町棚底の棚底城&集落の防風石垣を見学しました。

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大浦城跡は天草諸島の悉皆調査から今後整備を進めて行くことを念頭にした寺澤時代の支城跡とされる遺跡。

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棚底城跡は集落の防風石垣とあわせて国指定史跡・歴史的景観で整備している最中とのこと。

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この2つの遺跡を通して、現在、天草市が積極的に調査整備を進めている現場を見させていただきました。
そして、初日は見学会の後で懇親会で談論風発。九州各地の皆さんといろいろと情報交換ができました。
聴けば天草市の文化財担当職員は少ない人数でやられているとのこと(来年は1名増員予定とか)。
文化財整備を実務的に進めるだけでなく、積極的な調査研究から各地の研究者を招き進めていく姿勢には感服する次第です。

そして、2日目は天草市民センターで合同研究会。

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私は大友氏の築城技術について、戦国期から豊臣期までのスパンで報告しました。
大友氏をはじめ大きな大名権力では独自に縄張り技術を制約する規範がないこと、むしろ地域毎に縄張り技術の選択などで
共有する文化圏的な分布が確認されるといった従来からの自分の研究を報告しました。
ポイントとして、その地域の城郭遺跡を解釈するためにやみくもに「独自性探し」をして拙速に遺跡評価の回答を導くのではなく、
全国的な築城技術の変遷を念頭に置いて、周囲の事例から広域的な縄張り技術の受容形態と分布傾向を押えることが肝要であり、
それをもとに、全国の動向と地域の動向の対比からその地域でのおおまかな特徴と着眼点を抽出する作業が欠かせない。
一見、迂遠な作業に映るけれども、そうした作業を行い城郭遺構から地域性を読み解く準備を整えた上で、
地域の城館の分布傾向を照らし合わせて得られた見地から、地域の独自性が読み解くことが大事である点を申しました。
また、豊臣政権など統一政権との関わりでは、中央-地域の二項対立を設定するのではなく、統一政権の示す方向性に対して、
地域においてどのような受容形態があったのかを読み解くことから逆にその地域の特色を浮かび上がらせる視点が重要とも申しました。
他の報告では、地元天草市教委の中山圭さんによる調査成果をベースとした天草における城館の変遷についての報告と、
大村市教委の大野安生さんによる肥前大村氏の城郭についての報告は興味深く拝聴させていただきました。

当日の報告は議論を盛り上げようと少し悪役?っぽい役回りをして「何とも挑発的な論調」と思われたかも知れません。
でも、シンポでは対立軸をこしらえることが議論を盛り上げることになりますので、ご寛容いただければ幸いです。
今回ははじめての天草でしたが、また機会があればもう少し掘り下げて天草地方を歩いて丁寧なお話ができればと思います。
天草は天草パールラインをはじめ、本当に風光明媚であり、また多くの資料・遺跡に恵まれた地域性を知ることができ、
大変収穫の多い旅でした。
天草市・上天草市・苓北町のある苓州天草にまたお伺いしたいと思います!

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