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2011年11月28日 (月)

「明るい大阪 いつまでも 輝く大阪 みんなの誇り」

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2011年11月17日 (木)

『富岡城跡物語』

天草市での合同研究会という好機を逃すまじと、12日は朝から猛ダッシュで天草の苓北町まで行こうとドライブ。
しかしながら途中で三角で道草したのが運の尽き。
天草諸島の広さに負けてしまい、天草市五和町辺りで対岸にみえる口之津に感動したりして……

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苓北町の富岡城跡についたときは、天草市有明町集合13時に対して、11時半という体たらくorz

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で、肝心の富岡城跡ですが、既に知っていたとは言え、山上にはビジターセンターが入った復元建物があり、
破城の跡が残されていた石垣は発掘調査が成されたのはよいとしても、すっかり復元を加えて積み直されたため
どこからどこまで現況遺構だったのかよくわからない状態になっていました。
幸い、縄張りは把握できるので主郭の外桝形虎口や第2郭の内桝形虎口をみて防禦意識の高さと技巧性に感慨深く……
ひたる余裕もなく、何か報告書や書籍はないか!とビジターセンターまで登ったものの関係図書はまるでありませんでした。
そして、引き返す時に最後の希望と苓北町郷土資料館に寄ってみましたが……土曜日なのに開いてないorz
ということで書籍を入手できずじまいで苓北町を後にした次第。。。

しかしながら、その日の懇親会で天草市教委のNさんから『富岡城跡物語』なら苓北町で頒布してますよと情報をいただいたおかげで、



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苓北町に注文して送ってもらいました。1575円+送料です♪( ´θ`)ノ
郵振付きで電話依頼した翌日に届きました。ありがとうございました。
前半は対談形式で富岡城跡の歴史が紹介される構成。後半は発掘調査と整備の記録概要があって重宝します。
報告書がありますがなかなか入手できないので、手身近に押える事ができる書籍となっています。

在庫はまだあるようなので、気になる方は注文してみて下さい。

2011年11月16日 (水)

肥後大浦城を観ました。

中世の城郭と近世の城郭を見分けるのは、普通に城郭遺跡に関わる方々ならそれ程難しくないのですが、
高石垣に沿って掘られた大空堀を南北朝時代のものと言うユニークな見解をためらいもなく書くような環境に住んで、
苦笑いする今日この頃。

そんな中、今回、真摯に地域の城館や歴史的景観を整備される天草市さんの案内で興味深く拝見したのは、天草市有明町の大浦城跡です。
天草での合同研究会の初日、見学ツアーの最初の見学コース。
「並河太左衛門覚書」に、関ケ原戦後に天草郡を所領とした唐津城主寺澤広高が置いた6つの支城が紹介されています。
富岡・栖本・斉津(才津)・久玉・河内浦・軍ヶ浦です。その内、「軍ヶ浦は大浦トモ言」とあり、
大浦城は軍ヶ浦城であると考えられています。

有明海に面した大浦集落に隣接した小山に大浦城跡はあります。
小山の背後を堀切り城域としています。頂部には40m四方の方形区画な主郭があり、周囲に石垣列が残っています。
石垣は見ての通り、矢穴痕のある比較的形の整った石を積んで2〜3m高さの石垣列です。
石垣からも寺澤氏段階に改修された支城であることがわかります。

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海岸から切り出した石なども見ることができます。布目崩しな積み方です。

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城域をコンパクトに絞り込み、石垣列で防禦する。南西隅にスロープ状の平入り虎口を設けるシンプルな縄張り。
支城主に必要以上に権限を与えないものの、後詰めが来るまで抗戦する機能は備えて統治を任せる「出張所」です。

もっとも、この地域は石材を積極的に使用してきた歴史的背景があり、城跡は集落にも近いことから、
後世の作為の可能性も無視できませんし、畑作をしていることから一応注意してみる必要があります。

ですので、一応念のため、縄張りと石垣が違和感ないか、積み方に違和感ないか、慎重にみて歩きました。
縄張りからみても石垣からみても、やっぱり寺澤時代の遺構でした。

上記のように、寺澤氏は天草郡に6つの支城を築いています。
富岡城を除くと小規模なものが多いようにみえますが、かなりの密度で築いた点に寺澤氏の天草支配に対する強い意志が見て取れます。
(この辺りのことは木島孝之氏の『城郭の縄張り構造と大名権力』に記されていますので一読ください。)
元和の城割令で富岡城を除いてそれぞれ統治拠点は下城したと思われますが、島原の乱では天草から一揆反乱を起こされてしまいます。
なるほど、この二島に6つの支城を浦々に築いて統治しようとした寺澤氏の過剰なまでの意識もさもありなんと言えますね。
そうした寺澤氏の対応から、狭い地域に海洋領主が横並びに割拠し隠然たる勢力を持った天草二島の潜在的な力を知ることができます。

戦国期から近世初頭の城郭について見分ける中で、大浦城は城郭跡からその地域の中・近世移行期の様相の一端がわかる好例と言えそうです。

2011年11月15日 (火)

天草市倉岳町棚底の防風石垣とこくりを見ました。

合同研究会の初日、12日は天草市教委の方々にお世話になり遺跡の見学会。
寺澤氏の支城、軍ヶ浦城とされる大浦城(天草市有明町)と国指定史跡となった戦国期城郭の棚底城を案内していただきましたが、
その途中で棚底城が近接する天草市倉岳町棚底の集落にとてもめずらしい景観をみせていただきました。

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みせていただいた時にはお口あんぐりでした。
まるで城郭の石垣のようです。なかにグリで充填するものもありますが、基本的には石を積み上げて分厚い壁面をこしらえる組積造です。
山からの吹き下ろしを防ぐために、周囲に石を積み上げた防風石垣が集落のあちらこちらに連なるとても異様?な風景。
扇状地故に、山地から土石流などで多くの石が混じっており田畑からいくらでも掘り返せるとのこと。
本来なら土塀や防風林で処理するところをそれを積み上げてとても技巧的な石塁を築いたそうです。
なかなかこういった風景は他にはありません。背の低い石垣が続く風景は離島などにありますが、ここまで積み上げたものとなると……

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そして、もうひとつ。集落には、畑の下を通る石積みの地下水路「こくり」があります。
水路補修に併せて発掘調査している現場をみせていただきました。
扇状地の急傾斜に効率良く流す農業用水の補助路として機能したそうです。上部は石のフタをして土で埋め戻します。
これもなかなか興味深い農業遺産(現役ですが)でした。

これらの集落景観を含めて、天草市では歴史的景観の指定を目指して調査・整備・保全策を進めているそうです。
近くに棚底城や寺院遺跡もあり、なかなかの歴史的景観。一見の価値有りです。
但し、皆さんが生活している集落でもありますので、見学の際は周囲に配慮してくださいませ。

2011年11月14日 (月)

南北九州城郭研の合同研究会@天草市

12・13日は、天草市で開催された南九州城郭談話会&北部九州中近世城郭研究会の合同研究会に参加してきました。
今回は天草市教委がホスト役となって天草の城郭など地域の築城技術について考えると言うテーマでした。

初日は天草上島の有明町大浦に集合して寺澤氏の支城軍ヶ浦城と考えられる大浦城跡を見学。
続いて山を越えて倉岳町棚底の棚底城&集落の防風石垣を見学しました。

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大浦城跡は天草諸島の悉皆調査から今後整備を進めて行くことを念頭にした寺澤時代の支城跡とされる遺跡。

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棚底城跡は集落の防風石垣とあわせて国指定史跡・歴史的景観で整備している最中とのこと。

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この2つの遺跡を通して、現在、天草市が積極的に調査整備を進めている現場を見させていただきました。
そして、初日は見学会の後で懇親会で談論風発。九州各地の皆さんといろいろと情報交換ができました。
聴けば天草市の文化財担当職員は少ない人数でやられているとのこと(来年は1名増員予定とか)。
文化財整備を実務的に進めるだけでなく、積極的な調査研究から各地の研究者を招き進めていく姿勢には感服する次第です。

そして、2日目は天草市民センターで合同研究会。

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私は大友氏の築城技術について、戦国期から豊臣期までのスパンで報告しました。
大友氏をはじめ大きな大名権力では独自に縄張り技術を制約する規範がないこと、むしろ地域毎に縄張り技術の選択などで
共有する文化圏的な分布が確認されるといった従来からの自分の研究を報告しました。
ポイントとして、その地域の城郭遺跡を解釈するためにやみくもに「独自性探し」をして拙速に遺跡評価の回答を導くのではなく、
全国的な築城技術の変遷を念頭に置いて、周囲の事例から広域的な縄張り技術の受容形態と分布傾向を押えることが肝要であり、
それをもとに、全国の動向と地域の動向の対比からその地域でのおおまかな特徴と着眼点を抽出する作業が欠かせない。
一見、迂遠な作業に映るけれども、そうした作業を行い城郭遺構から地域性を読み解く準備を整えた上で、
地域の城館の分布傾向を照らし合わせて得られた見地から、地域の独自性が読み解くことが大事である点を申しました。
また、豊臣政権など統一政権との関わりでは、中央-地域の二項対立を設定するのではなく、統一政権の示す方向性に対して、
地域においてどのような受容形態があったのかを読み解くことから逆にその地域の特色を浮かび上がらせる視点が重要とも申しました。
他の報告では、地元天草市教委の中山圭さんによる調査成果をベースとした天草における城館の変遷についての報告と、
大村市教委の大野安生さんによる肥前大村氏の城郭についての報告は興味深く拝聴させていただきました。

当日の報告は議論を盛り上げようと少し悪役?っぽい役回りをして「何とも挑発的な論調」と思われたかも知れません。
でも、シンポでは対立軸をこしらえることが議論を盛り上げることになりますので、ご寛容いただければ幸いです。
今回ははじめての天草でしたが、また機会があればもう少し掘り下げて天草地方を歩いて丁寧なお話ができればと思います。
天草は天草パールラインをはじめ、本当に風光明媚であり、また多くの資料・遺跡に恵まれた地域性を知ることができ、
大変収穫の多い旅でした。
天草市・上天草市・苓北町のある苓州天草にまたお伺いしたいと思います!

2011年11月 8日 (火)

那智山と勝浦温泉に行ってきました。

南紀旅行では、熊野本宮大社に続いて熊野那智大社・青巌渡寺も訪れました。
本当なら新宮市の熊野速玉大社も訪れて「熊野三山」ですが、自分で組んでいる旅行じゃないので仕方ない(^^

道中の熊野川沿いと那智川沿いは9月の12号台風水害で大きな被害を受けていました。
写真で示したらわかりやすいのですが、被災者への配慮で撮影していませんのであしからず。
熊野川沿いにあった道の駅や瀞峡めぐりの遊覧船乗り場は跡形もなく流されていました。
後には鉄骨だけが残るという惨状です。
骨組みだけのこる姿は南三陸町が注目を集めましたが、熊野川でも同じく自然の猛威と爪痕がまざまざと見せつけられました。
前者は象徴的な絵としていろいろな方に注目されていますが、和歌山県は報道もなかなか来てくれないのか誰も取上げない。
中山間の過疎地で歴史的遺産に恵まれた地であると共にかつて大水害の被災を受けた竹田市に住む者として痛みを共感し、
この世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の南紀熊野の地を訪れることで復興へ寄与できれば幸いです。
瀞峡で著名な北山川沿いは土砂ダムなどで立入禁止となっていますが、瀞峡めぐりも一刻も早い復旧を祈念するものです。

そして、那智山へ通じる那智勝浦町の那智川流域もご存知のように大変な被害を受けました。
その被災地は那智山への観光ルートになっていますが、観光の復興を進めるためにも道路復旧を急いだそうです。
そうした地元の方々の思いを感じながら、那智山へ。

熊野那智大社・青巌渡寺と大門坂、そして那智瀧を訪れました。
根津美術館所蔵の名画「那智滝図」で著名な那智滝のほんものをみるのはアート好きには至福の瞬間。
被災して岩がゴロゴロしていましたが、荒々しい自然の猛威と神々しさを伝える瀧の荘厳さと畏怖感、今回の災害についていろいろ沈思。

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そして、一部土砂が敷地内に流れ込んだ熊野那智大社を拝んで、青巌渡寺へ。

青巌渡寺はとても密教的な雰囲気を漂わせる寺院でした。
補陀落浄土へ本堂の如意輪観音を拝みながら、このたびお亡くなりになられた被災者のご冥福を祈りました。

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夕方には勝浦温泉に投宿。
ほんの近くなのに、良質の温泉が連なる温泉街はほとんど被害もありませんでした。
それでも災害で客足は大幅に減少しているとのこと。紀勢本線は勝浦温泉駅までは通っているので、
ぜひとも南紀牟婁の名湯に足を運んでいただきたいものです。

で、勝浦温泉は老舗の洞窟温泉「忘帰洞」で有名なホテル浦島に泊まりました。なかなかいいお風呂です。

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2011年11月 7日 (月)

南紀・熊野本宮大社へ行ってきました。

自分の故郷、泉州は山をはさんで紀北との繋がりが深い。
そんなマイホーム的な幼少の砌から慣れ親しんでいる紀伊国こと、和歌山県に
コチラの皆さんと懇親旅行に行くというのはなかなか妙な気分。
南海沿線の自分の実家に近い高速を、南海グループの御坊南海バスで行くと言うのは
なかなか得難い経験である。

それで、9月の台風12号災害からようやく応急復旧が進んだところの和歌山県は南紀に行ってきました。
高野山と熊野本宮大社、熊野那智大社&青巌渡寺、そして那智勝浦温泉と南紀まんさいコース。
文化財的なものは大きな被害もなく拝見できましたが、南紀の熊野川流域・那智川流域は本当に甚大な被害が残されたまま。
但し、那智川流域は壊滅的でも下流の勝浦温泉は無事という状況で観光客の足も激減しているとのことでした。

関東メディア=全国扱いなので、東北の大震災ばかりが大きく取上げられていますが、
仏教遺跡や世界遺産熊野三山などの多数の歴史遺産と自然に営まれる南紀の再建にも大きな関心をもってほしいものです。
みなさん、ぜひとも南紀へ足をお運び下さい。

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熊野本宮大社です。JFA御用達の祈願社です。買うなら熊野牛王神符ですよ。証文などに最適です。

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背後の山が土砂崩れで生々しくある門前。一見普通に見えますがM22年水害以来の熊野川氾濫で2階まで浸かったとのこと。
和歌山県世界遺産センターは建物全体が水に浸かり閉館状態になっていました。
しかし、最近国道も24時間通行が可能になり、徐々に再開へ向けて観光客の受入れをはじめています。
熊野本宮大社まで足を伸ばして支援をおねがいします。

Foxkeh! フォクすけ!


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