« この週末。 | メイン | 歴史的文脈を読み解くセンス。 »

2011年10月23日 (日)

身近にある「気になる縄張り」の城跡。

Rimg5652

P1120225

P1110797

Rimg5617

私を含めて多くの縄張り研究者は、ともすればお城ばかりやってる「アマチュアのお城マニア」と思われる節がありますが、
縄張り研究を提唱された村田修三氏を「貫高制で著名な戦国史研究者」と呼ばれても「お城マニア」と呼ぶ方がいないように、
我々がそれだけの力量と成果が出せているかは別にして、一応、歴史研究の一環で城郭跡調査をやっています。
縄張り研究者にアマチュアな肩書きが多いのは、フィールドワーク中心なのでたまたまそういった仕事に縁がないだけに過ぎません。
遺構からの実証ができるならこちらの方が歴史研究には有効、という確信を持つからこそ、屋外の資料調査に向かうのです。
マニアな楽しさもありますが、それも上記の史料として活用することが念頭にあってのものです。一見難しそうですが、やるとただ観るよりも面白い世界です。
もちろん、対象は城郭遺跡に留まりません。建築物でも土木構築物でも史料的活用が有効と見込めるならいろいろ応用可能です。
そして、遺構論を踏まえて歴史資料から城郭政策論・運用論を読み解く研究と連動しつつ、遺構の成果から歴史研究に反映させる日々です。

さて、前振りはさておき、
今日は豊後岡藩の初期藩政研究の一環として、身近にある「気になる縄張り」の城跡をひとつ再確認してきました。
去年の夏のセミナーで「「地域で浮いた縄張り技術」の城跡は織豊大名が後に関与した可能性がある」と言ったことの実践。
今日行った城跡も、10年くらいに前に見学したのですが、その頃の力量では「変な戦国期城郭かな?」と思っていたもの。

その後、直線的な土塁や、虎口の先端に櫓台状の高まりが伴う点に段々と「気になる縄張り」→織豊系城郭?と思うようになり、
あらためて現地を踏査した次第(下山の際下りる場所を間違えかけましたが)。
今回は、悩むまでもなく織豊系縄張り技術による城郭跡であることを確認してきました。
全体は土づくりながら虎口プランは某T城の大手と同じタイプ。10年前のボクは節穴だったなと自戒。
各地の戦国期在地系城郭や著名な織豊・近世城郭など数多く事例をみるのも大事ですが、
織豊系縄張り技術の原理を理解する訓練を積むことで、「浮いた縄張り」な城跡の資料読解の目が鍛えられることを再確認。

これで、旧岡藩領で「気になる縄張り」の城郭跡はだいたい確認できました。
それらの事例は、周辺の戦国期在地系城郭の縄張り技術と比べてどれも「浮いた存在」。
豊後岡藩では、文禄・慶長期には文献に出てこないが「改修を加えた支城」が幾つかあることがほぼ確実のようです。
(とは言え、まずは編纂史料を含めてあたりをつけて調査するのが妥当ではありますが。。。)
涼しくなって雀蜂の恐怖も遠のきつつありますので、引き続き、調査の準備を進め関連資料との照合を進める予定。
もっとも、肝心の藩政史料群の方は「小出し」に紹介されるものの、どのように全体が公開されるか工程表さえわからない状況。
そうした藩政史料の翻刻を期待しても仕方ないので、遺構から実証できる範囲で、豊後岡城・竹田城下、そして領内の支城体制などについて、
遺構からわかる歴史研究を着実に皆さんにご案内できるよう進めていきます(豊後岡城と竹田城下の論考は準備済)。

乞うご期待。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/27326357

身近にある「気になる縄張り」の城跡。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart