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2011年10月28日 (金)

直入郡葎原の歴史的景観を調べる。

最近、とある要件で、荻台地の城館についていろいろ調べています。
とは言え、現在はほとんど圃場整備が進み、下原城跡の土塁を除いて現存の遺跡を確認するのは困難。
その中で、現地の歴史的村落景観を把握するのに重宝しているのが
、別府大学の飯沼賢司研究室による
科研費研究『環境歴史学的視点に立つ中世荘園研究』です。

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2001〜2004年に旧竹田市の三宅地区、旧朝地町の志賀地区、旧緒方町の緒方地区、旧荻町(葎原・柏原)について
荘園遺跡調査の手法を用いて調査し、中世の歴史的景観の復元を試みたものです。

ちょうど調査していた頃は、私は「館詰め」で指をくわえて観ているだけだったのを覚えています。。。。
が、幸いなことに飯沼さんから報告書をいただいたのでいずれ使おうと思っていたら、
フリーになった今日この頃、ようやく活用の機会が訪れたという案配。

ちなみに、中世後期〜近世初頭の資料をもとに現在の荻台地は集落の地名・呼び名を比定することが割とできる地域です。

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例えば、荻町の北側にあたる葎原地区については、「葎原土貢帳写」という中世後期の史料があり、現在の地名との照合ができます。
岡藩初期の文禄・慶長期には、
中川氏与力となった宗像掃部鎮次が葎原に所領を与えられたことがわかっています。
また、『神戸大学中川家文書』にある豊臣秀吉領知朱印状から、同じく中川氏与力となった田原紹忍の所領について、
当時松本名の馬背野・行年・下津江や、柏原名の鴫田・東福寺・西福寺・入佐(現在は瓜作)・田代といった村名が確認できます。
こういった中世から近世初頭の史料をもとに、現地調査による寺社・集落・城館跡の確認と地名・水利慣行の聞き取り調査を行い、
当時の荻台地の景観復元を試みたのが飯沼研究室の荘園遺跡調査・研究の成果です。
地域の歴史的景観を読み解くことでは、宇佐風土記の丘以来の別府大学での荘園遺跡研究は優れた成果があります。
地域の歴史・文化を調査するためにどの分野のどの研究に学ぶのが有効かを知っていることも、長年「学芸」で得た蓄積があってのこと。

ということで、最近の仕事柄養われてきた土地勘と飯沼研の先行研究による成果を手掛かりに、
この機会を逃すことなく、今日、圃場整備でほとんど残らない城館跡の確認をしているわけです。
館詰めではできなかった「地域学の基本は歩く歴史学から」の精神で、中世後期から近世初頭の荻台地の変遷を絡めての城館調査です。

2011年10月27日 (木)

世界無形文化遺産。

世界無形文化遺産:壬生の花田植と佐陀神能が登録へ(毎日新聞)

前々から思っていたことで、今さらながらなのですが。
大分県南部から熊本県阿蘇地域の山間部に育まれてきた御嶽流神楽を
世界無形文化遺産にノミネートさせようとする地元の機運ってのは起こらないものか。

ちなみに2010年時点の日本の世界無形文化遺産リスト(毎日新聞より
能楽▽人形浄瑠璃文楽▽歌舞伎▽雅楽▽小千谷縮・越後上布▽石州半紙▽日立風流物▽京都祇園祭の山鉾行事▽甑島のトシドン
▽奥能登のあえのこと▽早池峰神楽▽秋保の田植踊▽チャッキラコ▽大日堂舞楽▽題目立▽アイヌの古式舞踊▽組踊▽結城紬

神楽枠はあと一つくらい。。。世界無形文化遺産を目指すのにふさわしいと思うのですが。

2011年10月24日 (月)

歴史的文脈を読み解くセンス。

ここのところ、待避壕に逃れて日曜研究者モードで何年かの遅れを取り戻すべく専念していますが、
往時は文化庁の学芸員研修や他の活動、身近ではCAMKやべっぷろの活動を参考にしながら文化事業をやってきた経験を遡及し、
あらためて、地域や文化を扱う分野では……

1)その地域特有の文脈を読んで、他地域の文脈や普遍的テーマと有効につなぐセンス。
2)2〜3年スパンで見据えて的確なタイミングで「リンク」できる計画性。
3)常に次のステップにつなぐために今の企画を進めることを想定できる構想力。

が欠かせないと思う次第。1)があって2)のリンク、3)の構想力につながるので、一番欠かせないのは読み解くセンス。

我が身は、日々山野を駆け巡る日々ですが、
豊かな歴史的文脈を持つ地域をみながら脳内シュミレーションを重ねることで、
三つの感覚を常に意識させています。

2011年10月23日 (日)

身近にある「気になる縄張り」の城跡。

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私を含めて多くの縄張り研究者は、ともすればお城ばかりやってる「アマチュアのお城マニア」と思われる節がありますが、
縄張り研究を提唱された村田修三氏を「貫高制で著名な戦国史研究者」と呼ばれても「お城マニア」と呼ぶ方がいないように、
我々がそれだけの力量と成果が出せているかは別にして、一応、歴史研究の一環で城郭跡調査をやっています。
縄張り研究者にアマチュアな肩書きが多いのは、フィールドワーク中心なのでたまたまそういった仕事に縁がないだけに過ぎません。
遺構からの実証ができるならこちらの方が歴史研究には有効、という確信を持つからこそ、屋外の資料調査に向かうのです。
マニアな楽しさもありますが、それも上記の史料として活用することが念頭にあってのものです。一見難しそうですが、やるとただ観るよりも面白い世界です。
もちろん、対象は城郭遺跡に留まりません。建築物でも土木構築物でも史料的活用が有効と見込めるならいろいろ応用可能です。
そして、遺構論を踏まえて歴史資料から城郭政策論・運用論を読み解く研究と連動しつつ、遺構の成果から歴史研究に反映させる日々です。

さて、前振りはさておき、
今日は豊後岡藩の初期藩政研究の一環として、身近にある「気になる縄張り」の城跡をひとつ再確認してきました。
去年の夏のセミナーで「「地域で浮いた縄張り技術」の城跡は織豊大名が後に関与した可能性がある」と言ったことの実践。
今日行った城跡も、10年くらいに前に見学したのですが、その頃の力量では「変な戦国期城郭かな?」と思っていたもの。

その後、直線的な土塁や、虎口の先端に櫓台状の高まりが伴う点に段々と「気になる縄張り」→織豊系城郭?と思うようになり、
あらためて現地を踏査した次第(下山の際下りる場所を間違えかけましたが)。
今回は、悩むまでもなく織豊系縄張り技術による城郭跡であることを確認してきました。
全体は土づくりながら虎口プランは某T城の大手と同じタイプ。10年前のボクは節穴だったなと自戒。
各地の戦国期在地系城郭や著名な織豊・近世城郭など数多く事例をみるのも大事ですが、
織豊系縄張り技術の原理を理解する訓練を積むことで、「浮いた縄張り」な城跡の資料読解の目が鍛えられることを再確認。

これで、旧岡藩領で「気になる縄張り」の城郭跡はだいたい確認できました。
それらの事例は、周辺の戦国期在地系城郭の縄張り技術と比べてどれも「浮いた存在」。
豊後岡藩では、文禄・慶長期には文献に出てこないが「改修を加えた支城」が幾つかあることがほぼ確実のようです。
(とは言え、まずは編纂史料を含めてあたりをつけて調査するのが妥当ではありますが。。。)
涼しくなって雀蜂の恐怖も遠のきつつありますので、引き続き、調査の準備を進め関連資料との照合を進める予定。
もっとも、肝心の藩政史料群の方は「小出し」に紹介されるものの、どのように全体が公開されるか工程表さえわからない状況。
そうした藩政史料の翻刻を期待しても仕方ないので、遺構から実証できる範囲で、豊後岡城・竹田城下、そして領内の支城体制などについて、
遺構からわかる歴史研究を着実に皆さんにご案内できるよう進めていきます(豊後岡城と竹田城下の論考は準備済)。

乞うご期待。

2011年10月17日 (月)

この週末。

連休の関西遠征の後、12日から断続的に風邪と咳で体調不良です。
というわけではありませんが、16-17日の全国城郭研究者セミナー@駒澤大学は
いろいろあって、不参加でした。

その分、11月の天草と12月の福岡で報告会レジュメを仕込んでがんばります♪( ´θ`)ノ
そして、天草で、セミナーで立花山報告されたFさん(以前の北部九州城郭研究会レジュメで報告は既に拝見してます。)に
いろいろ感想をお伺いしようと思います。

ということで、九州の在地系城郭の築城技術と年代観なども議論しますので、
北部九州城郭研究会&南九州城郭談話会合同研究会に、西海の天草までみなさん!ぜひともいらして下さい。

2011年10月 9日 (日)

日本史研究会2011大会に行ってきました。

(先週書く予定が風邪でダウンして書いているのは17日。日付を遡及させてますのであしからず。)
9日、日曜日は実家から南海→お京阪に乗って七条で下車。
京都の国博や三十三間堂、豊国廟を横目に京都女子大まで遠征してきました。
目指すは、久方ぶりの日本史研究会大会です。
6月に大阪歴史学会大会に行けずにちょっと悔しい思いをしたので、今回は城郭談話会と抱き合わせ参加です。

七条駅から歩いていくと、目の前を赤いバスが!をを、これがプリンセスラインか。
ということで早速、乗車。
京都女子大学までラクチンで行きました。
京女大と京都駅や河原町をつなぐので、てっきり京女は自前でバス路線を持っているのかと勘違いして運転手さんと話してましたが、
どうやら京都急行バスの路線なんだとか(..ゞアセ
知らない人がみたら絶対京女の通学バスと思うよなあ。。。ということで大会行く人は誰も乗らずタクシー状態で大学まで。

古代・中世史部会に行くと盛況だったので後ろが空いてなくて前の方に陣取る。
古代はええかということで、荷物を置いて大会2割引の書籍コーナー巡り。
当たり前ですが、日本史ばかりです。
ということで、日本史は日本史でも日本建築史な『新訂版 寝殿造の研究』と『大工頭中井家指図集』を仕入れてきました。
それから中世史部会の報告に戻り、昼休みに再度チョコチョコと研究に必要な書籍と資料集を仕入れました。

さて、今回のポイントは中世史部会の大田壮一郎氏の「室町殿と宗教」報告。

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(大田報告。一見、席が空いているように見えますが、この後ろにたくさんの人が座ってます、あしからず。)
中世後期の幕府と宗教政策について義満期を軸に、鎌倉から南北朝を経ての変化の見通し、室町から戦国への見通しを絡めて、
いろいろな宗教、研究視点から論点を出して整理していこうと言う印象を受けました。
また、京都の研究会なので、京都近郊を舞台とする室町幕府論・寺院論は多くの研究者が絡んで盛り上がる内容だなあと思って拝聴。
討論はその通りに論点が多く出されて拝聴していて楽しいものでした。

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(討論。一見、席が空いているように見えますが、この後ろにたくさんの人が座ってます、あしからず。)
詳細な論点整理は「日本史研究会」を読んで下さいませ。
別件、田舎すまいにとっては、日頃書籍でお名前を拝見したりウェブで書かれている方が
「この人なのか」と発言する姿を拝見するのもひとつの楽しみ。
と言っても、壇上で議論を展開される方々もそろそろ私と同世代になりつつあるので、
別の世界の話じゃなくて、こちらも遺構論の立場から陣営を立てるようにならないといけないですね。

自分自身としては、室町殿をはじめ武家・公家の邸宅や寺院建築などこの時代について日本建築史はいろいろと研究成果があり、
またこの時代くらいから指図などの資料もでてきますので、建築から今回テーマになった「室町殿と宗教」に絡めるなあと。
今回の議論に絡むならば、足利将軍邸の間取り、公家・武家・寺家のすまい、寝殿造から書院造の変遷を絡めてでしょうか。
そういった「建築史目線」から研究視点を考える上で、向き合う形になる文献史学の側の論点を学ぶ良い機会になりました。

また、この日は寺院遺跡縄張り調査のパイオニア?Fさんも昨日に続いてお会いしました。
縄張り調査の有効性が紹介されたのも、この日本史研究会の大会でしたが、
帰りは、遺構論の目線から今回の報告の感想をあれこれ言いたいことを交えて議論しながら京都駅まで歩きました。
とても楽しくて、とても充実した1日でした。(この反動で風邪でダウンしたのかも)

日本史研究会を拝聴していて面白いなあと思ったのは、よくもわるくも京都の研究会というところかと(当たり前か)。
そして、学芸員さん絡みは秋なので動けない反面、大学人はかなり集まりやすいんだろうなあと思うところもあり。
そういったこともあって、京都に近く首都に近いか直結したテーマ&ロングスパンの時代を扱うと盛り上がるのではないだろうか。
なぜなら京都近郊の大学に所属する研究者がかなりの準備を積むから。
その一方で、地域が広がる戦国大名論とかは、各地の研究者が集まらないと行けないので論点が整理されず消化不良になるのかな。
もひとつ古代中世と近世で分かれるので、豊臣政権論とかむずかしそうだなあとちょっと思う(例会とか賑やかみたいですけど)

今回の「室町殿と宗教」も地方にめくばせした章立てもありましたが、
新幹線でやってきた関東の大学が集まる方面の「鎌倉府統治範囲は別だぞー」な方々の声はあっても、
大学の薄く京都から微妙に遠いところは弱いし、ましてや禅宗寺院が幅を利かせた筑紫は皆無な感じでした。
私は豊後から来てますけど実家が泉州だから帰省ついでで参加してますが、九州史学な方はもっと来てもらわないとねと思いました。
次回はぜひとも「豊臣政権と惣無事令」とか期待します。(来年は中世前半かもしれませんが)
ともあれ、以前は館詰め&秋の展覧会シーズン直前で連休なんでとんでもないでしたが、今はただの事務屋身分で土日フリーですので、
たぶん来年も帰省と2割引目当てで参加すると思います(^^

2011年10月 8日 (土)

城郭談話会10月例会に行ってきました。

(先週書く予定が風邪でダウンして書いているのは15日。日付を遡及させてますのであしからず。)
8-10日まで実家を根城に上坂してきました。
8日は高槻市で城郭談話会例会に参加してきました。
関西の城郭談話会は高槻市民センターの会議室を借りて基本的に第2土曜日夕方から開かれています。
今回の例会は12月の倭城研究シンポジウムの事前報告がありましたので、その辺りの確認と準備との照合を兼ねての参加です。

城郭談話会の例会では皆さんいろんなパンフやレジュメ、買い余った書籍を持ちよって交換したりします。
翌日は日本史研究会に行こうと思っていたので、
書籍購入資金の足しにと昔ダブり買いした報告書などを小包箱に入れて
キャリーカートに縛って出発……!
が、

連休で鉄道は混雑(..ゞアセ。キャリーカートはけっこう邪魔っぽい感じで動き回ることになりました。
まあ、キャリーケースをカートに乗せて歩けばかなりの存在感なので蹴られることはありませんでしたが、
自由席の端っこを確保しながら乗り継ぎ乗り継ぎ移動。

新幹線でも予習をしながら上坂し、高槻に到着。
わかものたちと先に打ち合わせをしてから例会に。
例会では報告の疑問点や自分の問題点として整理しておきたい部分を確認することができました。
これから報告者がそれぞれ仕上げて論点を整理しながら本番へ向けて仕上げていく予定。。のはずです。
次代の城郭研究へ向けて自分もその中で尽力できるよう、論点をすり合わせて自分のものにしていく秋にしたいと思う次第。

ところで、ダブり報告書は処分価格で4〜5冊仕入れていただきました。多謝です。

2011年10月 5日 (水)

土木は美しい。

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過日、白水ダムに案内してきました。
大野川が何千年、何万年かけて台地を削って流れてきた渓谷にあるのでなかなかアプローチが難しいところです。
それでも、案内すると誰もがその美しさに感嘆します。
昔の土木技師の設計手腕と施工技術を目の当たりにすることができます。
当時の技師は景観を意識しなかっただろうに、時代を経てマッチングする姿はデザインを考える上で実に興味深い(現地には地元の有志で案内板があります。)

そんな白水ダムのアプローチは、玉来駅近くの吉田八幡宮からの大野川に沿って走る里道→山道を延々と行けば着きます。
途中に姫だるま工房もあり、なかなかのんびりなコース。
もうひとつは、菅生や豊後荻駅のある荻町中心部から県道695号を通るコース。
西福寺地区から左折して丸福本店を通過してから台地を下っていきます。鴫田を通ってから迂回する方法もありますが、
最近は鴫田地区へ行く途中からダイレクトに渓谷を下る林道ができています。
このラストの急直下林道が圧巻。山をえぐるように削り込み両側がそびえ立つ切立った法面に囲まれた道路で川へ下ります。
今の土木設計とそれを実現する施工技術の水準を目の当たりにすることができます。

昔の土木工学と今の土木工学が折りなす景観を見比べるのもなかなか興味深い風景。合わせてお楽しみ下さい。

2011年10月 4日 (火)

豊後臼杵城。

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(先週書く予定が風邪でダウンして書いているのは18日。日付を遡及させてますのであしからず。)
さて、写真は崖崩落予防の吹きつけたところでちょっと模型っぽい雰囲気ですが臼杵城。
岩盤状の丹生島に位置するので石垣のイメージが弱いですが、豊後岡城同様に岩盤の上に総石垣で普請し、
さらに要所要所に多くの櫓台を並べるなどかなりの土木量で城域を固めています。

大友氏時代の丹生島の海側1/3くらいのところを石垣で固めた横堀で仕切り、主郭部を創出し北隅に下の写真の天守台を構えています。
天守台周辺は最近調査が行われ整備されています。
隅石がないので、すわ、破城!と飛びつく方もいそうですが、
以前に訪城の際、ちょうど居られたKさんに明治期に日鉱佐賀関工場建設に運び出されたことがわかったことをご教示賜りました。 
この主郭部、天守のある主郭(本丸)から海岸部に下りる卯寅門と第2郭(二の丸)に通じる鉄門櫓へ通路を振り分け、
押出すように縄張りされています。そして現存する卯寅櫓など要所に櫓台を築いて防禦を固める、なかなか面白い縄張りです。
鉄門櫓の部分は食い違い虎口になっており、そこからまっすぐ土橋が空堀を渡ります。土橋は天守台や武具櫓から牽制される位置にあります。
既存の地形を強引に近世城郭に仕上げようとする意識は織豊そのもの。太田氏か稲葉氏時代の大改修が見て取れます。

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西側の第2郭(二の丸)はかなり広い空間ですが、ただ広いだけでなく周囲は石垣塁線で固め要所要所に櫓台を配するなど
長大な防禦ラインが構築されている点は看過できません。
歩いていると公園化した広いだけの場所にみえるのですが、縁辺部を歩いて石垣塁線や横矢掛り、櫓台跡をしっかり確認したいものです。
この辺は豊後岡城の西方外曲輪と同じパターンです。
城内に屋敷地を確保するために曲輪取りが広くなる一方で、総石垣に櫓台を配することで堅固な防禦ラインで塁線を固める。
この第2郭からの出撃路が西側の大門櫓と北側の上ノ門になります。
どちらの門も地形の制約から平入りですが、その分、近接して櫓台を構えたり城道に横矢掛りを構えるなど出入り口の防禦はしっかりしたもの。
その内、大門櫓から畳櫓、鐙坂から古橋口へ出る大手は圧巻です。
豊後岡城の大手門はかなり地形に制約を受けていますが、それより制約のない地形に
つづら折りの通路と櫓台、麓の桝形を組み合わせた
なかなか面白い虎口プランです(技巧的かというよりも試行錯誤の様子が見て取れる)。
三の丸側に向けて橋頭堡のように構えた鐙坂、臼杵の城下町から登る時はここから健脚コースが面白いです。

二王座など城下町で有名な臼杵ですが、臼杵城は制約の大きい既存の地形に対して、豊臣系大名がどのように織豊系縄張り技術で処理したか
を読み解くのが面白い近世城郭です。
豊後岡城と合わせてパズルを解く気分で縄張り図片手に歩いてみると面白いと思います。

※個人的には主郭部や空堀跡周辺の草木が刈られていると臼杵城の要点がわかっていいのになあと思います。
周囲は市街地なので難しいところもありそうですが、ぜひとも。

2011年10月 3日 (月)

臼杵に行ってきました。

(先週書く予定が風邪でダウンして書いているのは18日。日付を遡及させてますのであしからず。)
10月の第1週は両親がさんふらわあで九州渡海をしてきましたのでご案内。
臼杵の石仏に行きたいということなので、フンドーキン目指して臼杵城・城下町へ。

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石仏観てから城下町へ。車を「石敢當」横の畳屋町市営駐車場に止めると便利。
浜町辺りの小手川商店で昼食。向かいは小手川酒造&野上弥生子文学記念館という
土蔵造の町並みが残るよい界隈。臼杵川側にはドドーンとフンドーキン工場がみえます。    

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小手川商店はフンドーキンの本体ですので、和風の商家な店内は味噌などフンドーキン商品が並んでます。
食事は奥でも食べられるようですが予約済みなので店頭で食事。
フンドーキン直結の味噌汁御膳は、赤みそ・黄飯・甘い胡麻豆腐・かやく・黄身のみそ漬けなどみそ尽くしでグットです。
郷土料理をもてなすにはなかなかいいところでした。
みそソフトもありなかなかイケましたよ。

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中央通りを歩いて長駆、臼杵城跡へ。
正面にあたる鐙坂周辺の整備が進んでおり、最初しっかり登れば臼杵公園となっている城内を散策できます。
大手である鎧坂の前に桝形状に雁木で囲まれた方形空間があり、そこから石橋で外部に繋がっています。
鐙坂を登ると現存する畳櫓があり、復元された大門櫓から二の丸→本丸にアプローチできます。

城郭部分は一見すると臼杵公園になっていて「これって城?」という臼杵城ですが、豊後岡城同様に縄張り理解をした上で歩くと
かなり楽しめます。
……とは言え、両親とヨメサンと歩いたのでほどほどで引き返しましたが(^^  草木が枯れたら撮影に行こうと思います。

臼杵から原尻の瀧を経由して竹田へ。
両親には久住で宿泊していただき、翌日は阿蘇、白水ダムから但馬屋で一服して別府まで案内しました。
さんふらわあで大分へ来られる方は、別府→臼杵→原尻の瀧→竹田(久住か長湯で泊)→阿蘇→荻(白水ダム)→竹田→別府
が面白いですよ(竹田から由布院方面→別府コースでもいいですけど)。
山道が多いので、ちょっとハードですが、お試しアレ。

Foxkeh! フォクすけ!


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