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2011年8月29日 (月)

ああ、憧れの阪神・別府航路。

今回のお盆の帰省では、九州へはさんふらわあ(神戸→大分便)を使いました。
夜景のキレイな神戸六甲アイランドを出航し、一路瀬戸内海を西へ行き翌朝には大分港到着です。
今回は、スタンダードの客室をおさえてリッチに夜行クルーズを愉しみました。
往時の文人墨客たちが行き来した航路を行くのもオツなものです。
大阪→別府便が本流っぽいけど翌朝出勤の都合があるので、神戸→大分便です(^^

神戸六甲アイランドでは出航前にはテープ投げを行います。ちなみに、大分港では銅鑼を鳴らしてくれます。
で、食事を抜け出して参戦。

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19時出航なので、食事をし終わって、ええ案配に明石海峡大橋を通過。

西からのゲートブリッジです。往時の畿内の西端、須磨浦にも近いので、
ここをくぐると「関西帰ってきたなあ」「関西また今度」となります。

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ピンボケな明石海峡大橋。雰囲気ぐらいは伝わるか?
23時頃には瀬戸大橋を通過。やはりピンボケ(´・ω・`)だったのでアップしないけどなかなかの光景。

今年は阪神・別府航路開設100年らしく、こんなノボリをこしらえていました。

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しかも、10月・11月の2回、36年ぶり復活の「昼の瀬戸内海クルーズ(別府→大阪)」を敢行するとのこと。
日中は瀬戸内海の美しい島々、夕方に瀬戸大橋、夜は明石・神戸のナイトクルーズと実にナイスな企画。

今回は、ショップで絵葉書を売っていたので仕入れました。
当時のポスター・案内を印刷したシリーズと歴代の船舶シリーズ。全部は厳しかったので船舶モノベースで10枚仕入れました。
昔は昼の瀬戸内海クルーズや宮島港入港で厳島神社参拝などいろいろと趣向を凝らしていた様子。
アートなポスターも時代を反映していて面白かった。

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これだけネタが揃っていたら、さんふらわあと別府などなどに協力していただいて「阪神・別府瀬戸内海航路」展覧会企画を
やれるなあと思った次第。アートでも歴史からでも斬れる。やらしてくださるところ、ないでしょうか。

090411_11570001 きっと、このオッサンも喜ぶと思うね。
なかなか充実した瀬戸内海の旅路でしたヽ(・∀・)ノ

追伸:阪神・別府航路と言えば、コンヨク2009で出展されたコレですね(^^
Y0UNG-HAE CHANG HEAVY INDUSTRIES
 PRESENTS HONEYMOON IN BEPPU (音出る、注意)

2011年8月27日 (土)

『國寶大垣城』買いました。

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大垣市文化財保護協会で復刻された『國寶大垣城』(昭和14年に大垣市より刊行)の普及版を仕入れました。
戦災で焼失する前の大垣城天守の平面・立面・断面図や建築写真が収録された当時のままに復刻したもの。
一部、南立面図に誤りがありますが訂正図が同封されています。
普及版は2500円(限定500部)、和綴じ・ケース付きが6000円(限定300部)です。

興味ある方はぜひ。

2011年8月26日 (金)

きれい、さっぱり。

そろそろ秋に向けて体力をつけるべく、夕方、近戸の自宅から裏手の豊後岡城まで巡検。
主郭の天神山まで登ってみると。。。。

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あれ??

古くからあった茶店が撤去されてました。

記憶が確かならば、昭和初期に竹田の町の有志が見晴らし茶屋として建てて、当時の竹田町に寄付したものだったはずなんですけども。。。
岡城観光の歴史を物語る建造物が跡形もなくなっていて、廉太郎もびっくり。

以前に茶店に住んでたおばさまに水の手で亡父が採集した古式の瓦を見せていただきましたが、貴重な資料だけに無事なのか心配。


[追記]そういえば、岡城会館も老朽化などでこの秋で閉まるそうです。

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で、かつてまちの人たちが支えた岡城観光の歴史は記録保存されるのだろうか。……昔の光、今いずこ。

2011年8月23日 (火)

「民都大阪の建築力」にシティを実感する。

盆の帰省を利用して、久々に建築の展覧会に行ってきました。
大阪歴史博物館で開催されている開館10周年記念展『民都大阪の建築力』です。

開館以来、近代大阪を建築からアプローチする視点で展覧会を続けている大阪歴史博物館の試みは興味深いなあと思っていたので、
行くぞと決めて観てきました。
会場は、当時の図面や貴重な資料が多く展示されており、実に満足した内容でした。

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シンプルに感想としては、以下のつぶやきの通り、近代の富裕市民が培った大阪シティを建築に関する資料から感じ取れるいい展覧会。
何よりも、けんちくな批評がない!のは好感。ともすれば建築家列伝やデザイナーズな抽象用語を連ねた都市論的解説で埋まりかねない内容ですが、
実証的なデータが引き出せるだろう資料を中心に歴史叙述中心の展覧会で構成されていました。

「民都大阪の建築力」を観て、近代大阪って欧州の「シティ」みたいに商業資本の市民が基盤となった我が国では珍しい都市なんだなあということと、
その繁栄が大震災による疎開と対アジア貿易の賜物という気づき。こんな社会的背景を踏まえて、今の大阪シティは考えないといけないなと思った。


商業資本な市民が基盤になったという点では京都市も似ているかもなあ。大阪シティも京都シティもそうした都市の市民層による地縁・社会団体の集積が
行政を構成してたならば、今の「行政、何とかしろ」と言う人たちには地縁的な日本版シティのあり方は理解できないだろう なと思った。

即興のつぶやきなのでいいかげんなこと書いてますが。。。
近代大阪は、欧州にみる「シティ」みたいなものだろうと直感的に認識できたのが収穫。ホントかどうかは図録などを読み込んで考えてみようと思うけど。
それだけに、明治〜大正・昭和前期の建築資料は多く残っているけど、昨今の心斎橋そごうや多くの解体された「モダニズム建築」のデータは
どこまで収集されているのか?その辺がとても気になりました。
その観点からは、解体した建物をウクレレにするのは残念ながら単なる免罪符でしかなく(やること自体は別にして)、
発掘調査のような記録保存と実測に力を割けるよう文化財行政からのアプローチが不可欠なこと、
それを可能にするための独自の編みかけができる条例(あるいは上位の法令)が必要だろうと再認識した次第。

日々、中・近世史と城郭研究をやっていますが、コチラへのアプローチも積極的にやらねばと再認識した帰省でした。
我が愛すべき故郷に貢献できる日を夢見つつ。。

ところで、この展覧会で「大阪シティ」を感じた伏線があって、
それが、前日の大阪ダービーのコレです。

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市章が自分たちのシンボルとして採用される雰囲気は、かつての東京市を解体した東京のJクラブでは絶対、ありえないだろう(^^
政治や経済では坂東に後塵を拝している「太閤の都」だけど、所謂「シティ」の雰囲気を持つ大阪という都市は他にないので、もっと自負していいはず。
大阪の富裕層や市民はより「シティ」としての大阪を培い、そして上のようにいろいろな形で表現してほしいなあ、と強く思う。

2011年8月22日 (月)

織豊期城郭研究会2011、参加します。

今年は熊本での開催以来、久々に織豊期城郭研究会が開催されます。
場所は彦根市で、報告者をみてわかるように世代交代となっています。
先日の懇親会&2次会でも、向こうの事務局で今回の報告者下高くんから集会への意気込みを伺ったので、実に楽しみです。

縄張り屋さんとしては、プロレス的な仕掛けよろしく議論を活性化できるようしっかり準備して臨む所存ですが、
今回は事例の集積を念頭、第2期のプロローグ的な構成になるようです。
できれば、若手が先代の成果をきちんと再検証し物申すような新たな視点が生まれることを期待。
ということで、9月第2週の週末は湖国へ遠征して参加してきます。

以下、研究会の概要と申込方法です。参考にして下さい。(リンクは中城研ページにあるものを使用しています)

織豊期城郭研究会2011年度集会のお知らせ
【テーマ】織豊期城郭の支城
2011年9月10日(土)〜11日(日)
10日(土)
○佐和山城見学会 13時集合~17時終了
近江鉄道鳥居本駅改札口前(JR彦根駅から近江鉄道線に乗換)
【内容】佐和山城跡見学(案内:彦根市教育委員会文化財部文化財課)
   〈見学コース〉鳥居本駅→城下町→大手土塁→かもう坂通り往還→本丸周辺→龍潭寺→懇親会会場へ

○懇親会 18時〜20時終了予定 ホテルサンルート彦根 3 参加費 6,000円

11日(日)
○研究集会
開催場所  滋賀県彦根市・彦根勤労福祉会館
  参加費 4,000円
開催内容

「織豊期城郭研究会第2期シリーズ開始にあたって」 中井均氏(織豊期城郭研究会)
「織豊系城郭の支城を考える」 下高大輔氏(織豊期城郭研究会)
「近畿地方における織豊系城郭の支城」 早川 圭氏(織豊期城郭研究会)
「若狭・越前にみられる支城群―与力の城、 戦時の城―
」 大野康弘氏(若狭国吉城歴史資料館)
「東海地方における織豊系城郭の支城」 溝口彰啓氏(織豊期城郭研究会)
「東北地方における織豊系城郭の支城」 平田禎文氏(三春町歴史民俗資料館)
「因幡地方における織豊系城郭の支城」 細田隆博氏(鳥取市教育委員会)
「伊予における織豊系城郭の支城の特質」 高山 剛氏(松野町教育委員会)
「九州地方における織豊系城郭の支城」 岡寺 良氏(織豊期城郭研究会)
シンポジウム「
織豊期城郭の支城を考える

申込み方法
①郵便番号 ②住所 ③氏名(ふりがな) ④所属(勤務先・研究会等) ⑤Eメールアドレス ⑥電話番号
⑦見学会参加の有無 ⑧懇親会の出欠(学生の方はその旨記載) ⑨11日の弁当(800円・お茶付き)の要不要
⑩図書交換書籍の有無(有の 場合はその詳細も)をお知らせ下さい。

メールでの申込みの場合は、
shokuhoujoken-2011@hotmail.co.jp>まで御送信下さい。
葉書による申込みの場合は、
「織豊期城郭研究会2011に参加希望」と記入の上、
〒525-0037 滋賀県草津市西大路町10‐10‐A‐904 林 昭男 宛へ御郵送下さい。
申込み締切 平成23年9月2日(金)
※見学会・懇親会は定員になり次第締め切ります。

2011年8月21日 (日)

第1回九州山岳霊場遺跡研究会に行ってきました。

20日は第1回九州山岳霊場遺跡研究会に参加するために、小郡市に引っ越した九州歴史資料館に行ってきました。
大分からは列車ではかなり不便なので、懇親会まで行く予定ながら車で行きました。
車は資料館に置いて二日市温泉(と言ってもビジネス(ノ_<))に宿をとることに。。。

山岳寺院をはじめとする山岳霊場遺跡の縄張り調査については、滋賀県をフィールドに縄張り研究者である藤岡英礼氏が積極的に活動されており、
これまで『忘れられた霊場をさぐる』報告書が栗東市教委から刊行されています。
寺院跡も城郭跡と同じく土木構築物が残っている場合が多く、事前に広範囲の分布調査において地表面調査による現存遺構の把握と遺構平面図作成が有効となります。
そして、平坦地の配置・直通参道の位置などから伽藍と僧坊の位置づけや寺院勢力の構造を読み解くだけでなく、仏教美術や仏教考古学の成果も重ねるベースマップとしても、
縄張り研究の手法の応用が期待される分野のようです。

ちなみに当の藤岡さんに伺うと、さまざまなノイズから防禦遺構を抽出して図化する城郭跡の縄張り図と違い、
寺院と思われる範囲のすべての平坦地や微地形を拾って作図する必要があるので大変とのこと。まだ遺構評価を試行錯誤している段階だそうです。
加えて、城郭跡と違い寺院跡は古代〜近代まで機能した時代を想定する必要があり、また膨大な先行研究を踏まえないといけないのでこれまた大変とのことです。
一方で、仏教考古学や寺院史研究の方からは、こうした調査については歓迎&期待されているようです。確かに、寺院跡は体系も悉皆調査もないですものね。

一方、九州では、同じく縄張り研究者である岡寺良氏が宝満城のある宝満山を図化したことが契機となったようで、近年、九歴を拠点に中心的な役割を担われています。
そして、九州の山岳寺院遺跡や修験道遺跡の調査・研究事例の集積を図ることなどを目的として、主に福岡県下を中心として今回の研究会の立ち上げとなったそうです。
縄張り調査の可能性が広がる分野でもあり、自分の城郭跡の調査でも関連遺跡として踏まえないといけないものなので、今回参加した次第です。

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10時スタートで、最初は、森弘子氏による講演「九州山岳霊場遺跡研究の現状と課題」です。
九州は早くから山岳霊場遺跡研究が盛んであったこと、但し近年は停滞していたこと、この研究会の立ち上げを機に
研究の活性化と従来の研究の再検証が期待されることを語られていました。
大分県では宇佐風土記の丘資料館以来の六郷満山の調査実績がありますが、研究史を押えることができたのはありがたかったです。

前半は事例報告が4本。首羅山遺跡(久山町)、宝満山遺跡(太宰府市)、正楽遺跡・一滴遺跡(宇美町)の発掘調査の報告と
西油山天福寺跡の現地調査による報告がありました。
後半は研究視点と手法について4本。文献史・美術史・民俗学からの報告があり最後が岡寺氏による「山岳霊場遺跡の縄張り調査・分析」でした。

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写真をみても平面遺構図の有効性が理解できるかと思います。
今後は事例の集積をより進めて行くと共にそれらのデータをどのように読み解いていくかの視点を磨くことが課題となりそうです。

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ちなみにボクが調査した二丈嶽(深江嶽)城も関連して採り上げられていました(^^
縄張り調査の際に北側の尾根筋に広い平坦地が連なっており、武家屋敷跡ではなく植林によるものと考えて縄張り図には入れなかったことがありましたが、
今回の山岳霊場遺跡調査の視点から、おそらく山岳寺院跡の遺構と解釈(山頂が聖地となった時代があるのでは?)という視点と成果が紹介されていました。

これまでも、西側の筑肥国境側を中心に山城跡を調査していると尾根筋に城郭跡とは関係のない平坦地をよくみかけた経験がありましたが、
従来はこの地で盛んだった植林によるものと考えていましたが、山岳寺院の可能性も考えて再検証する必要があると思いました。
秋からこの方面の再調査を進める予定ですが、その際も山岳霊場の山頂に最終段階で山城を築いた国衆勢力と山岳寺院・地域社会との関係を考える上でも有意義な視点でした。

会は1時間オーバーの17時30分に無事?終了。密度の濃い研究会でした。会の後は懇親会と二次会までお邪魔してきました。
皆さん、本当にお世話になりました。涼しくなったら精力的に筑肥方面の城郭跡調査に出る予定です。よろしくおねがいします(私信)

あと、今回ついてきた福岡県を中心に九州山岳霊場遺跡集成の収録された資料集は、後日有償頒布する予定だそうです。乞うご期待。

2011年8月18日 (木)

伊予松山城に行ってきました。

今年のお盆の帰省は四国経由で上坂して瀬戸内海航路で西行のスケジュール。
初日に伊予松山城、帰りに和歌山城を見る予定でしたが、後者はヘタって見ずじまい。

初日前夜に九四フェリーで渡海して松山で一泊。
午前中だけ時間を割いて、2時間ほど炎天下の伊予松山城へ寄ってきました。

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※現地の案内版を撮影したものです、念のため。

伊予松山城は、山上の本丸とその中核となる天守曲輪のある本壇、そして登り石垣というか外郭ラインの西側斜面と麓の二之丸、
さらに堀之内と呼ばれる三之丸とかなりの規模があります。
伊予鉄の大街道電停で降りて歩くだけで、東雲学園敷地の東之郭跡の高石垣が建物の向こうにチラリ。
とても2時間ではカバーできるものではなくて、結局リフトで登って、本丸南側の太鼓門(外桝形虎口)、筒井門(内桝形虎口)、
戸無門(外桝形虎口)、大手門&揚木戸門(外桝形虎口)をみる内に時間がなくなって本壇の曲輪を大急ぎでみてから黒門口へ下山、
二之丸を横目に県庁前電停に下りました。。。orz
二之丸もかなりの高石垣と桝形虎口があり、土塁・堀を廻らせた堀之内も現在東雲学園敷地の東之郭跡もまだまだあります。
まだまだ本丸も確認するところばかりなので、別に、丸一日かけて再訪と決めて引き揚げました。

伊予松山城は、現存天守のある山上の本壇と本丸に関心が集まりがちですけど、山頂から麓まで随所に技巧的な縄張りを堪能できます。
本丸は広めに空間をとって、南側と西側に櫓台による横矢がかりを組み合わせた
桝形虎口は積極的な出撃(押出し)の意識が見て取れます。
南側の大手は待合番所跡がいわゆる「L字の腕」を両端に振って2方向に桝形虎口を振り分ける橋頭堡となっているのもじっくりと観察。
2時間で南側だけでしたけど、あらためて伊予松山城の縄張り技術の技巧さを再確認してきました。

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そして、本壇は典型的な2つの門を持つ桝形門とスロープ状になった料金所横の外桝形虎口を観察してきました。

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帰りは登り石垣を見ることができる県庁裏への登城道ではなく、昔からある黒門口への登城道から下山。
絵図で想像以上に二之丸の石垣は高かった。
今は埋められている水堀とあわせると、斜面を下る石垣ラインと合わせて強固な遮断線で囲まれた空間となっていたことが理解できました。
同じく麓に築かれた東之郭も高石垣で構造的には同様のパターンですが、石垣ラインで山上と一体化させる分、二之丸の第2郭としての圧倒的優位さがわかります。
急ぎ足だったので、黒門の虎口からは次回にじっくり見るとします。

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駆け足でしたが、加藤嘉明により整備された伊予松山城は建物もさることながら、縄張りをじっくり堪能できるいい事例でした。

2011年8月 9日 (火)

城郭跡整備と文献調査。

たまたま目に付いた佐賀城天守跡調査のニュースは、城郭跡整備に絡む方々の思惑が透けて見える良記事でした。
佐賀城天守台跡、本格調査へ 9月スタート 

で、つぶやく。
既に縄張り研究の成果がある佐賀城跡の調査で「……委員は「文献調査ができなければ現地調査が生きてこない」だとか。
@sengoku_walker: 【ニュース】
佐賀城天守台跡、本格調査へ 9月スタート
↓  ※佐賀城跡の天守を含めた縄張りの評価と初期佐賀藩に対する位置づけについては、
↓   木島孝之氏の『城郭の縄張り構造と大名権力』(九州大学出版会、2001年)という成果が既に提出されている。

「文献調査ができなければ現地調査が生きてこない」と、「文献の解析については、職員配置が未整備と指摘。」というのは
城跡にかこつけて文献調査やりたいと言う歴史屋さんの意欲を現したもの。

↓  ※城跡調査にかこつけて古文書調査による藩政研究に繋げたいという思惑がみえてきます。

城郭跡の調査→気がつけば藩政資料集が成果品、というのは整備事業のお金で文書調査がしたい文献屋の悪い癖。
「ひとり学際」な城郭研究では、縄張りを押えた上で発掘調査の成果を消化し自分らから文献調査もするもの。


と、たまたまストレートに記した記事があったのを採り上げて、
なぜ全国の「●●城博物館」に城そのものの解説が乏しいか、文献史学の人ばかりが配置されるのかの一端をご案内。


城跡整備は縄張り調査による全体の把握があった上で、発掘するポイントを設定して調査し、
その成果をもとに文献史料で補完するが筋道。縄張り調査と発掘調査の両輪があれば十分なのに、
なぜ文献調査が「我々が裏付ける」と表に出たがるのだろう。


縄張り理解を抜きにした現状の城郭跡整備の問題点については、2011年年頭に発表させていただいた拙稿にて事例をあげて論じています。
これまでの城郭跡を巡る学際的研究は、城や文化財に詳しいとされる一部の文献史学者が最新の発掘調査に「文献による裏付け」を与えることで埋文行政の音頭取りしてきたもの。
最初こそは史跡破壊を止める保存活動の手法として機能しましたが、次第に一部の文化財に近い文献史学者による方便に変化していきました。
特に、城郭跡の整備は一般人の関心も高く、遺跡自体が様々な出来事の舞台になったために様々な文献史料を何でも絡めることができる。
そのため、限られた調査事業予算の中でも、様々なジャンルに効果的に調査費が引き出せる魅力ある「成長分野」として重宝されました。

本来なら文献調査は既存の史料編纂事業でやればよいもの。城跡調査に割りこんで文献調査枠を作ろうとする行為はお門違いというものです。
その割を食って、城郭跡を資料として扱う学際的研究を進める縄張り屋さんは、無償の現地調査者か「文献史学の問いかけ」に応えるパネラーの末席をいただくしかありませんでした。
そうした図式のたどり着いた先が、杉山城問題とされる「文献丸呑みの廃城年代から組み立てた年代観を基礎とした遺物編年案」による発掘成果を、
文献の人が鵜呑みにしたまま、さらなる文献の裏付けがあったと言って「城郭跡の年代観を問い直す問題提起!」と叫び聴衆を集めた一連の大騒ぎでした。
その時も、縄張り研究者はいつものように「文献史学の問いかけ」に応えるパネラーとして出向いたら、問題提起の「見せ物」にされたのは記憶に新しいところ。


「最新の発掘成果に文献による裏付けを加えた……」
「文献調査ができなければ現地調査が生きてこない……」
こういうセリフを公然とするような一部の文献史学者の振舞いに対して、
文献史料等を状況証拠として消化した上で遺跡やモノの史料的活用から得られた知見で結論を出す真の学際的研究を目指す城郭研究者は、
縄張り理解を踏まえて城郭跡を取り扱って下さる歴史学・考古学研究者と連携し、文献ありきで進められてきた城郭跡整備の問題点を示す時期にあると思います。

これまでの城郭跡整備を再検証し、「城郭跡を地域史と在地構造分析の史料として活用する」姿勢で、遺跡から文献史料を裏付ける視点を養い、
「文献は状況証拠であっても城郭遺跡の裏付けにはならない」「縄張り調査・分析のない城跡整備は不十分」という当たり前の視点が共有されるように、
縄張り理解のある歴史学・埋蔵文化財の現場の方々と同じ現場の者としてしっかりと議論を重ね、城郭跡からみた文化財学の構築に取り組まねばとあらためて思うところです。

2011年8月 8日 (月)

いざ、坂東。

たまたまだけど、今年の歴読で書いた「名城の条件」で担当した滝山城・本佐倉城・杉山城の三つは
関東攻めには最適なチョイスでした。
今思えばありがたいお題でした。足場も築いて、後は後詰めの八王子城攻めを待つのみ。


おおよその見通しは「名城の条件」で書いたので、あとは文献史料や考古学の既存の成果を
縄張りの視点から精査する作業をゆっくりと進める予定。



捜査は自白や手紙ではなく、最後は「動かぬ証拠」(動かぬ。。ですよ)がモノを言う。
動かぬ証拠→動く証拠→文字・証言の順番で考える目線はブレないように努めつつ。。。

九州からみながらの議論では、既に関東の城郭跡からみた戦国・織豊期研究の大筋はできていて、
いつでも、東征できる準備は整ってます。さらにいい準備ができるよう努めています。
それまで、しばし猶予を与えて、城郭にからむ彼らがどこまで突き進むのか、遠くから観察してます。

(´ー`)。oOお城屋さんは、いつでもみているよ。

2011年8月 3日 (水)

開発行為。

史跡保存をする側が、活用と言うお題目で史跡の改変と周辺整備と言う「開発行為」に手を染める。

(´ー`)。oOお城屋さんはいつでもみてるよ。

http://opac.ndl.go.jp/articleid/10920818/jpn

Foxkeh! フォクすけ!


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