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2011年5月16日 (月)

いよいよ美作荒神山城

この週末、14日・15日は好天に恵まれ、いよいよ美作荒神山城の調査に着手しました。
去年の2月にはじめて歩いてから、去年の4月に1度津山市の生涯学習講座で現地レクチャーをさせていただいた荒神山城。
特徴的な虎口プランを持つ事例であると共に、宇喜多氏段階最終期の様子を伝える遺跡とみられることから、縄張り調査しようと思った次第。

予定では下半期と思っていましたが、よもやの高速道路休日上限制が撤廃されるということで予定が大幅に変更。
大慌てで、5月中に調査の第1歩を踏み出しておこうということで実施しました。
津山の拠点がなくなったので前泊できないので、深夜に出発して関門経由で朝に津山に到着。
今回は津山駅前のα1が拠点です。リーズナブルな値段で結果的には、これまでの片道四国経由よりも安くなりました(^^ゞ
それだけに、今年度は継続!を2ヶ月で手の平を返されたのはホントに痛い。踏んだり蹴ったりです。
まあ、深夜割引でしのぐにしても研究費手出しの身では大赤字(ノ_<)。

Img_0266

今回、再訪してあらためて主郭部周辺の虎口プランを見直してみました。

主郭は曲輪の縁辺部は流れている部分もありますが、南西半分や斜面裾部分の切岸などはしっかりするなど織豊系城郭の雰囲気を強く残しています。
慶長期以降の支城ならば、これくらい手を入れた主郭には
虎倉城などのようにバシッと内桝形なり外桝形を決めるところですが、
荒神山城の場合は内桝形虎口っぽいスロープ状の虎口プランに留まっています。
ちなみに、主郭は相変わらず瓦がボコボコ落ちてましたが、あちこちに掘り返した穴ぼこが多くみられました。
猪じゃなければ、誰の仕業でしょうか(´・ω・`)。

一方、主郭東側の下位曲輪の隅角部にあった一段低い櫓台?状の箇所はあらためて見直すと、虎口プランだと判断しました。
前回の説明では「虎口じゃないだろう」としてましたが、この辺は修正しないといけません。
隅角部にやや変形版の外桝形虎口っぽいスロープ状の虎口を押し込んだプランになっていました。
何回もいろんな角度から見直してあーでもないこーでもないと検討に検討を重ねる。何とも難しい代物です。

また、主郭南西側の土塁と櫓台がある曲輪に配された大型の内桝形虎口、その外側の虎口もあらためて見直しました。
これまた何度も見直して、結局、虎口受けを伴い外側のかぎの手状に張出しスロープ状に出る虎口プランだと判断しました。
脇を土塁で締めているのですが、L字にはなっておらず。。。上の櫓台や内桝形虎口との繋がりがイマイチ。
櫓台から土塁を下ろして脇を締めたテラス状の空間に外桝形状に張出した虎口を組み込んだ、これまた何ともコチャコチャした虎口でした。
連続外桝形虎口と考えていましたが、こちらも修正しないといけませんね。いずれにしても解釈の難しい事例です。

今回見直してみてあらためて実感するのは、荒神山城の虎口プランは妙にコチャコチャしていて、全体に取ってつけたような感じのものが多いという点。
全体をみると、荒神山城は天神山城のような戦国期城郭の縄張りを主要部を中心に織豊系縄張り技術で改修したものです。
そうした改修した痕跡は上の写真の鋭い切岸などからも自明。
その中で、南西側にある土塁ラインと櫓台・件の内桝形虎口はそれだけは突出して技巧的な造りとなっています。
しかしながら、それ以外の虎口プランは鋭いものはなく、地形に合わせて小規模なパーツを組み込んだ
ものが多いのが特徴。
内桝形虎口とセットになる外側の虎口もテラス状虎口溜まりと組み合わせたスロープ状で、すっきりしたプランとは言えません。

荒神山城の虎口は全体的にそういう案配なので、何度も遺構を見ながらようやく虎口の雰囲気をつかむといった具合で、なかなか読み込みが難しい事例です。
技巧的な虎口プランを多用してはっきりとソレと見て取れる岩屋城攻城戦の陣城とはまた異なる印象を受けます。

詳細は縄張り図にしてみて(そもそもこれが目的)それぞれの虎口プランの感じがつかめると思います。
きちんと図面を仕上げることで、荒神山城は関ヶ原以前の縄張り技術を考える上での面白いサンプルになりそうです。乞うご期待。

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