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2011年5月23日 (月)

三本目の矢。

おしらせ。
別府大学の『史学論叢』最新号(41号)に拙稿を投稿しました。
タイトルは「豊後岡城と鬼ヶ城・木戸の城について―近世城郭と城下の関係を考える手がかりとして―」です。
豊後岡城と中川氏をテーマにした小論の3本目です。その内PDFで公開されると思いますので、拙いものですがよろしければヽ(・∀・)ノ

今回は、豊後岡城の城下にあるふたつの出城、上角鬼ヶ城と木戸の城について紹介しました。
近世城郭において、津和野城や米子城などのように、本城の近くに別郭を連ねる事例はあるけれども、
城外のすぐ近くに独立した出城を少なくとも2つも構えた事例はたぶん他にはないでしょう。
城内では、技巧的な縄張りを持つ天神山と東ノ郭が一城別郭な曲輪配置を構成して中核となる。
そして、重臣屋敷が集住する西方外曲輪などの下位曲輪を防塁ラインで囲い込み豊後岡城の城域が形成される。
それだけではなく、士分屋敷が丘陵上や谷あいに広く展開した上角丘陵の要衝にさらに独立した出城を2つ配置する。
戦時の陣立てをそのまま城内・城下の配置に転用したかのような、進駐軍である中川氏家中の軍事的に突出した様子を紹介しました。

上角鬼ケ城はご存知の方もいるかもしれませんが、
木戸の城は初耳の方も多いと思います。「豊後古人語集」にチョコッと載っています。
城と城下町という枠組みで竹田城下を解説してこられた文献史学者と、そのご託宣をあてはめて遺跡を解釈される方々に、
ホントに考古学的手法を用いて遺構から考察したら豊後岡城と竹田城下はそんな単純なものではないですよ、ということを論じた次第。

ちなみに、木戸の城は近戸の寓居のすぐ近くにあります。
自分の論文で紹介した城郭跡とフィールドを毎日通勤するというのもオツなものです(^^

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↑こちらは上角鬼ケ城の櫓台の石垣

  Rimg4143

↑そして、木戸の城の正面の両袖桝形の石垣。

引き続き、事務職で生計を立てている博士研究者として、宮仕え何するものゾ、な悪党の気概で駆け巡り、
豊後岡城と中川氏でもまとまった成果を提出できるようガンバリマス(^^

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