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2011年5月30日 (月)

関白秀吉と天皇

この前、ジュンク堂に行ってみた。
理系なじぶんとしては、小出裕章助教の隠される原子力・核の真実の仕入れが目的でしたけど、
ひとつの書籍に巡り合い、ひとつの書籍に出会いそびれた。

ひとつは、『天下人の一級史料』に続く二の矢な書籍、山本博文・堀新・曽根勇二各氏による『消された秀吉の真実』
うまく巡りあったので、買おうかなあと思った。。。けれども、
文献史学における豊臣政権論の見直しを仕掛ける書籍、ということなのでも少し様子見することに。
コチラの業界の「杉山城問題」でもありましたが、買わないといけないような体裁の書籍というのは何やら乗せられているようで悩ましいもの。
いずれ図書館に入れば読もうかなあということでしばし保留。

もうひとつは、出会えなかった方で、藤井譲治氏による『天皇と天下人』
本来ならば同じ日本史コーナーにないといけないのだけれども、天皇の歴史ということで後方のコーナーにあったようで見落とし。
帰ってからツイートをみて「あっ」と思った次第。
特に確認したいポイントはコレ→「
■天下人秀吉の朝鮮出兵に後陽成天皇はどう抵抗したか」
既に中野等氏による豊臣政権の諸研究の中で、後陽成天皇の宸翰により秀吉の朝鮮出兵の思わぬ障害となったという指摘があります。
それ故に、統一政権と天皇の関係について文献史学の側からの研究動向を把握する上で、
買わないといけないなあと思った次第。
近々、ジュンク堂に再征して中身を見てから仕入れようと思っています。

ところで、お城屋さんからこのテーマにどういったアプローチが議論されていると思いますか?(微笑)

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2011年5月29日 (日)

『軍事分析 戦国の城』

先日、津山ブックセンターで『軍事分析 戦国の城』を仕入れました。
K先生が小石原城を執筆してました。
さっそく、某α-1の1階で弾丸ハンバーグを食いながら読んでました。

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他の執筆者の方々が歴史上の事象から想定するシチュエーションをチョイスし、その舞台の中で城郭跡を論じるのに対して、
ひとり、小石原城の縄張りから境目に展開した黒田氏の思惑+黒田氏家中における当主と城持ち大身家臣との微妙な関係を明らかにする
城館史料学の視点で書く手腕はさすがだなあと感心。あらためて「城郭跡の史料的活用」を実践する意義を再確認した次第です。

城郭跡を史料として扱う場合、史料的限界があることを知り抜いた上で、
遺構から読み解ける要素をうまく抽出し、最大限に研究に活かすセンスは欠かせません。

文献史料などをもとに、有名な戦闘時に機能したとするおあつらえ向きのシチュエーションを設定して解説するのは楽しいです。
ボクも好きです。たぶん書籍も売れるでしょう。
でも、城郭跡を学術的に史料として扱う場合には、ホントにその状況と現存する遺構がイコールなのかを真摯に吟味しないといけません。
現存遺構は最終段階の様相を示すもの、文献史料に出ている間だけ機能していたとは必ずしも限らないという前提から、
ひとつひとつ丹念に現存遺構から言えることを絞り込み、他の事例と重ね合わせながら確からしさを詰めていく地味な作業が欠かせません。
軍事分析は大事です。城郭研究をやる上では軍事の視点がないといけない。
しかし、それだけでは研究にならない、ストイックな史料論が欠かせないことをあらためて確認させてくれる一冊でした。
城館史料学を志すわかものは、なぜ軍事分析の視点だけでは縄張り研究にならないかのアヤをしっかり読み取るように(σ・∀・)σ

もちろん、各事例は楽しく拝読させていただき、大変勉強になりました、念のため。

2011年5月28日 (土)

寓居の研究部屋。

クールラックを3台新たに仕入れて、計8台のクールラックにようやく研究資料を並べることが出来ました。
簡単に資料が引っ張り出せる環境になりましたヽ(・∀・)ノ

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前のひっくりかえっていたアパート暮らしから、借家の応接フローリングルームをまるまる占領して仕上げた研究室です。
たぶんどっかの大学の文系な先生の研究部屋並みかも(^^ゞ
無線LANもいれたし、ネットラジオを聴きながらお仕事をがんばらないといけませんね。
写真左手のクールラックの壁の後ろにはまだ段ボールが残るけど、片づければ打合せの机が置けるゾ、たぶん。
わが寓居は、都会の住宅事情では考えられない好環境です。

今のうちに、これまで買いためた書籍を活かしてしっかり勉強しないといけません(..ゞアセ
精進、精進あるのみ。

2011年5月23日 (月)

三本目の矢。

おしらせ。
別府大学の『史学論叢』最新号(41号)に拙稿を投稿しました。
タイトルは「豊後岡城と鬼ヶ城・木戸の城について―近世城郭と城下の関係を考える手がかりとして―」です。
豊後岡城と中川氏をテーマにした小論の3本目です。その内PDFで公開されると思いますので、拙いものですがよろしければヽ(・∀・)ノ

今回は、豊後岡城の城下にあるふたつの出城、上角鬼ヶ城と木戸の城について紹介しました。
近世城郭において、津和野城や米子城などのように、本城の近くに別郭を連ねる事例はあるけれども、
城外のすぐ近くに独立した出城を少なくとも2つも構えた事例はたぶん他にはないでしょう。
城内では、技巧的な縄張りを持つ天神山と東ノ郭が一城別郭な曲輪配置を構成して中核となる。
そして、重臣屋敷が集住する西方外曲輪などの下位曲輪を防塁ラインで囲い込み豊後岡城の城域が形成される。
それだけではなく、士分屋敷が丘陵上や谷あいに広く展開した上角丘陵の要衝にさらに独立した出城を2つ配置する。
戦時の陣立てをそのまま城内・城下の配置に転用したかのような、進駐軍である中川氏家中の軍事的に突出した様子を紹介しました。

上角鬼ケ城はご存知の方もいるかもしれませんが、
木戸の城は初耳の方も多いと思います。「豊後古人語集」にチョコッと載っています。
城と城下町という枠組みで竹田城下を解説してこられた文献史学者と、そのご託宣をあてはめて遺跡を解釈される方々に、
ホントに考古学的手法を用いて遺構から考察したら豊後岡城と竹田城下はそんな単純なものではないですよ、ということを論じた次第。

ちなみに、木戸の城は近戸の寓居のすぐ近くにあります。
自分の論文で紹介した城郭跡とフィールドを毎日通勤するというのもオツなものです(^^

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↑こちらは上角鬼ケ城の櫓台の石垣

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↑そして、木戸の城の正面の両袖桝形の石垣。

引き続き、事務職で生計を立てている博士研究者として、宮仕え何するものゾ、な悪党の気概で駆け巡り、
豊後岡城と中川氏でもまとまった成果を提出できるようガンバリマス(^^

2011年5月16日 (月)

いよいよ美作荒神山城

この週末、14日・15日は好天に恵まれ、いよいよ美作荒神山城の調査に着手しました。
去年の2月にはじめて歩いてから、去年の4月に1度津山市の生涯学習講座で現地レクチャーをさせていただいた荒神山城。
特徴的な虎口プランを持つ事例であると共に、宇喜多氏段階最終期の様子を伝える遺跡とみられることから、縄張り調査しようと思った次第。

予定では下半期と思っていましたが、よもやの高速道路休日上限制が撤廃されるということで予定が大幅に変更。
大慌てで、5月中に調査の第1歩を踏み出しておこうということで実施しました。
津山の拠点がなくなったので前泊できないので、深夜に出発して関門経由で朝に津山に到着。
今回は津山駅前のα1が拠点です。リーズナブルな値段で結果的には、これまでの片道四国経由よりも安くなりました(^^ゞ
それだけに、今年度は継続!を2ヶ月で手の平を返されたのはホントに痛い。踏んだり蹴ったりです。
まあ、深夜割引でしのぐにしても研究費手出しの身では大赤字(ノ_<)。

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今回、再訪してあらためて主郭部周辺の虎口プランを見直してみました。

主郭は曲輪の縁辺部は流れている部分もありますが、南西半分や斜面裾部分の切岸などはしっかりするなど織豊系城郭の雰囲気を強く残しています。
慶長期以降の支城ならば、これくらい手を入れた主郭には
虎倉城などのようにバシッと内桝形なり外桝形を決めるところですが、
荒神山城の場合は内桝形虎口っぽいスロープ状の虎口プランに留まっています。
ちなみに、主郭は相変わらず瓦がボコボコ落ちてましたが、あちこちに掘り返した穴ぼこが多くみられました。
猪じゃなければ、誰の仕業でしょうか(´・ω・`)。

一方、主郭東側の下位曲輪の隅角部にあった一段低い櫓台?状の箇所はあらためて見直すと、虎口プランだと判断しました。
前回の説明では「虎口じゃないだろう」としてましたが、この辺は修正しないといけません。
隅角部にやや変形版の外桝形虎口っぽいスロープ状の虎口を押し込んだプランになっていました。
何回もいろんな角度から見直してあーでもないこーでもないと検討に検討を重ねる。何とも難しい代物です。

また、主郭南西側の土塁と櫓台がある曲輪に配された大型の内桝形虎口、その外側の虎口もあらためて見直しました。
これまた何度も見直して、結局、虎口受けを伴い外側のかぎの手状に張出しスロープ状に出る虎口プランだと判断しました。
脇を土塁で締めているのですが、L字にはなっておらず。。。上の櫓台や内桝形虎口との繋がりがイマイチ。
櫓台から土塁を下ろして脇を締めたテラス状の空間に外桝形状に張出した虎口を組み込んだ、これまた何ともコチャコチャした虎口でした。
連続外桝形虎口と考えていましたが、こちらも修正しないといけませんね。いずれにしても解釈の難しい事例です。

今回見直してみてあらためて実感するのは、荒神山城の虎口プランは妙にコチャコチャしていて、全体に取ってつけたような感じのものが多いという点。
全体をみると、荒神山城は天神山城のような戦国期城郭の縄張りを主要部を中心に織豊系縄張り技術で改修したものです。
そうした改修した痕跡は上の写真の鋭い切岸などからも自明。
その中で、南西側にある土塁ラインと櫓台・件の内桝形虎口はそれだけは突出して技巧的な造りとなっています。
しかしながら、それ以外の虎口プランは鋭いものはなく、地形に合わせて小規模なパーツを組み込んだ
ものが多いのが特徴。
内桝形虎口とセットになる外側の虎口もテラス状虎口溜まりと組み合わせたスロープ状で、すっきりしたプランとは言えません。

荒神山城の虎口は全体的にそういう案配なので、何度も遺構を見ながらようやく虎口の雰囲気をつかむといった具合で、なかなか読み込みが難しい事例です。
技巧的な虎口プランを多用してはっきりとソレと見て取れる岩屋城攻城戦の陣城とはまた異なる印象を受けます。

詳細は縄張り図にしてみて(そもそもこれが目的)それぞれの虎口プランの感じがつかめると思います。
きちんと図面を仕上げることで、荒神山城は関ヶ原以前の縄張り技術を考える上での面白いサンプルになりそうです。乞うご期待。

2011年5月13日 (金)

ホームアンテナ開通。

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御討入以来、玄関入って寓居の中だけsoftbankがつながらないという田舎特有の問題に直面していましたが、
駄目元でsoftbankのホームアンテナFTを注文。1ヶ月半くらいで届いたので連休明けにセッティングしました。
私のプロバイダーは15年近くコアラのお世話になっていますので、光は使わずレガシーなフレッツADSLΨ(`∀´)Ψケケケ

もはや稀少?なNTTのADSLモデム(ルーター機能なし)に近くのB電器で無線LANのあるコレガのルーターを仕入れてつなぐ仕様。
最初につないでみましたがsoftbankだけに説明書き通りにやっても、予想通りすんなり開通しません。
そこで、順番にやっていくことにしてまずは無線LANから。
こちらもすんなりいきませんでしたが、コレガの説明書きを読みながら2〜3回四苦八苦している間にブラウザが設定をつかまえることに成功。
後はネットワーク設定を入力して、無事に無線LAN開通ヽ(・∀・)ノ
これで宅内
どこでもインターネット状態になりました。これだけでもMacBook Proでかなり快適。

無線LANもつながったんだからホームアンテナもいけるだろうと、
アンテナのスイッチを入れてしばらく放っておくと、緑ランプが点滅してあっさり開通。
小さな基地局であるホームアンテナからは携帯の電波もWi-Fiの電波も届きます。これでiPhone4もかなり快適になりました。
谷あいの寓居もコレでようやくネットワークに直結です。ようやっと快適な環境が構築できました、やーれやれ。

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写真のような感じで、居間の片隅に小さな基地局、完成です(^^ゞ
基地局ということらしいので、電磁波をあびて大丈夫なのか?と思いますが、まずは無事に開通したことを素直に喜ぼう。
ということで、携帯電話は自宅でもOKになりましたので、各位よろしくお願いします。

2011年5月10日 (火)

御渡海してきました。

去年と同じくカレンダー通りの連休になりましたので、6日に有休をとってヨメさんほったらかしで倭城踏査に参戦してきました。

4日朝に博多を出てビートルで3時間で釜山に上陸。
釜山の地下鉄で沙上へ。西部バスターミナルにて談話会系関西勢と中城研系関東勢と合流ヽ(・∀・)ノ
道路を爆走する韓国なら都市間バスで一路、今回のベースキャンプとなった西の境目、順天へ。

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3時間で無事に順天に到着。ここを拠点に5日〜7日まで西方の倭城踏査会(^^
朝は、食堂で朝食にチゲやピビンパ(5,000〜6,000W程度)を食べ、キンパフ(のりまき、1,500W程度)を買って昼の弁当。
市内バス(市内一律だいたい1,000〜1,100W)で城跡まで移動。(写真は泗川市のバス)
11時前から16時〜17時頃まで一日中、倭城ひとつを丹念に踏査。
そして宿舎に戻って夕食(10,000Wあれば十分満喫)→就寝、を3日間くり返し。
ちなみに順天倭城のもよりのバス停は「倭城」。以前は新城里までだったのが埋立地まで延伸して出来た様子。
「再現」前の順天倭城天守台跡の様子はココの写真でしか観れません(苦笑)

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行った倭城は、順天倭城(写真は、もちろん再現復元されていないところですw)は外郭ラインをじーっくり歩き。。。

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6日に行った南海倭城は天守台はブッシュで埋まってました。城跡はすっかり違法耕作で畑となってましたw。。。

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7日に行った泗川倭城は再現整備な歴史公園になっててお口あんぐりwでしたが、しっかりと外郭ラインを歩いてきました。。。

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釜山に戻って「現代版倭城」なビジネスホテルの東横イン西面に投宿して、
最終日の8日は昼過ぎまで地下鉄徳川駅から歩いて登れる亀浦倭城へ。日本国内でもなかなかお目にかかれないスゴイ縄張り。
ここも、近郊農民が城跡を思いっきり耕作してました(苦笑)

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4日中、3日は晴天。すっかり焼けましたヽ(・∀・)ノ
倭城のスゴイ縄張りと外郭ラインに、国内戦ではない対外戦争の激しかった様子を知ることができました。

一方で、史蹟整備されるものの我が国では既に「ダメだろ」と一蹴されるような再現的復元が国外に輸出されたのは残念なこと。
おそらく我が国からも専門家サイドから何らかの関与があったとは思いますが、この史料的価値の高い倭城跡について、
現状をみせる保存整備が韓国に伝えられていないことは極めて遺憾と思った踏査でもありました。

2011年5月 2日 (月)

今日も五斗買い、明日も御渡海。

5月4日〜8日まで、城郭談話会倭城班に随行してビートルにて韓国へ行ってきますヽ(・∀・)ノ
予定では連休前半の東方調査班にも行けたら良かった(西生浦城に行けたのに!)のですが、収拾がつかないので後半戦に参加してきます。
白国・赤国方面で順天・泗川・南海の倭城(仕置きの城)を1日ずつじーっくり観てきます。
最終日は釜山倭城に行けたらベター。
泗川倭城は中川秀成も築城に参加した城郭です。
秀成と同じく、近戸谷から出発ですヽ(・∀・)ノ

もっとも、釜山港から地下鉄乗って沙上バスターミナルまで無事に着かないといけません。
なんとか、ガンバリマス(^^ゞ

Foxkeh! フォクすけ!


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