« 梅ヶ峠からはって場まで踏査。 | メイン | 今日も五斗買い、明日も御渡海。 »

2011年4月24日 (日)

安楽平城跡・菟道嶽城跡登りました。

高速道路休日1,000円の「研究費(交通費)助成?」が突如打切られることになったので、岡山県方面の調査は暗雲立ちこめる気配。
年度末時点では現状続行見込みだったのを受けて毛利領調査から豊臣政権論まで視野に入れて調査続行を決めた矢先に、ハシゴ外された形でとても迷惑な事態。
交通費は行き四国路&帰り中国路でほぼ倍以上にはねあがる(ノ_<)。
もうひとつ、安楽平城など補足調査の宿題をこなして北部九州の戦国期城郭の考察の仕上げから調査しようかと練り直しの思案中。

そんな中、24日に北部九州中・近世城郭研究会の見学会で、安楽平城跡・菟道嶽城跡を見てきました。

安楽平城は小田部氏の城郭ということで著名ですが、小田部氏退去後は筑紫氏の持城となり筑紫大炊恒門が城主となっています。
恒門は大内氏時代の城督大村氏の出自。筑紫氏と姻戚関係があり筑紫氏の苗字を与えられ一門化したようです。
ちなみに、筑紫広門が1586年に島津勢に攻略され降伏した後、安楽平城も接収されています。
そして、立花山城に籠る立花統虎に城を明渡した場合に代替の城として与えると条件提示されたことが上井覚兼日記に出てきます。
上の写真は、ご存知、安楽平城の防塁型ラインの石垣を横から見たもの。
主郭に続く第三郭(切岸に石積みあり)下にも高さ1m強の石垣があり、安楽平城跡はおそらく筑紫氏時代に改修されたものと思います。
それを遺構から証明するのは至難の業ですが、勝尾城や周辺の城郭跡との比較検討から検証できるかな?(^^

一方、
安楽平城の西側にある菟道嶽城は、比高は低いものの独立峰にあり2〜3の曲輪を持つ小規模な山城。
福岡市早良区の入部出張所近くの天神社から登山道があります。
下の写真は、西側の菟道嶽城主郭部。説明を聴く参加者の姿から主郭の大きさがイメージできると思います。
小規模ながら複郭構造の山城が直下にあることは詰城の安楽平城との機能分担があるのか、或いは麓にNo.2な勢力の自前の持城があったかのか調べてみないと。
現存遺構が小田部氏時代のままか、筑紫氏時代まで何らかの改修があるのか?は、どちらとも言えるので何とも判断しかねますね(^^

Rimg3651

Rimg3657

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/26362901

安楽平城跡・菟道嶽城跡登りました。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart