« 無事に、御討入しました。 | メイン | 美作岩屋城を囲む陣城群、柿ノ木上陣城まで。 »

2011年3月22日 (火)

名島城跡へ行く。

さて、無事に豊後御討入も終わり、往時の豊臣大名中川氏よろしく豊後岡城の麓、由学館跡にも近い近戸谷に居を構えた小生。

既に、豊後岡城の縄張りについては全国的にも特徴的な点については、余すところ無く論じております。
また、そうした城郭研究の成果や全国の動向を見据えない整備が城郭遺跡の価値を損う破壊行為になること、
なぜ、そうした不幸が起きるのかについても、『日本歴史』2011年1月号にて余すところなく論じております。
今回、もう一本、やはり豊後岡城に関連して論考を出す予定にしています。
城内だけでなく城外でも豊後岡城が全国の近世城郭の中で極めて珍しい事例となることを論じております。

専門職から外れて一般職に居られる世界遺産候補・平泉のY氏に負けぬよう、フィールドから全国を見据えて精進したいものです(`・д・´)ノ

ということで、3/19は大分道をひとっ走り、福岡へ出て打ち合わせ。
その後、K先生に名島城跡を案内していただきました。

名島城跡は市によりすっかり歴史公園に整備され、南側にある神社の前の駐車場(帆柱石の浜)も有料になるなど商売づいていました。
歴史公園と言っても、主郭部分の出土した櫓台跡の石列は埋められてその上にある擬石はまったく見当違いに配置したものとのこと。
本丸跡周辺はほとんど往時の痕跡がわからないどころか擬石でかく乱されています。
写真撮る人は要注意ですよ。
ちなみにホンモノの遺構は神社敷地の裏の主郭部斜面にある根石
と、神社の北側にある歴史公園の東側斜面の桝形虎口の石列があります。

Img_0212

内桝形虎口の石列は出土した様子がそのまま残されています。大ぶりの表面を整えた石が現地に保存されています。

Img_0216

往時はまだまだ遺跡が丘陵上にあったようですが、すっかり宅地化してしまいこの「?」な整備だったらしい歴史公園に史跡部分が残されています。
古代ばかりに目を向けずにもう少し近世城郭にも目を向けて下さってたら、全国に希有な文禄・慶長期の豊臣系城郭の最前線がわかったのに
勿体ないことです。

小早川隆景ゆかりの名島城跡では、公園化された主郭部の片隅に残る内桝形虎口がポイントです

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/26188225

名島城跡へ行く。を参照しているブログ:

コメント

神社の裏手の山が天守台跡でしたっけ?
宮路岳線廃止の折についでに行ってやろうと思ったら
立ち入り禁止になってました。

名島神社の北側にある高台です。たぶん、歴史公園として整備するための発掘調査などの最中だったのではないでしょうか。
今では整備されて見ることができます。
高台から伸びる東側斜面に発掘調査で出土した内桝形虎口がありますので、ご覧になって下さい。

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart