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2011年3月26日 (土)

歴史読本2011年5月号に書きました。

金曜日、近戸の寓居に、新人物往来社の老舗歴史雑誌こと、歴史読本5月号『日本全国名城の条件、この城がすごい!』が届いていました。
今の仕事場に持っていって昼休みにニヤニヤしつつ自分の文章の下手ッぴさにチェックしながら読んでました。

この号は、縄張で6つの事例を書くという軍役を拝命仕り、うんうん唸って執筆させていただいたものです。
6つは、ご指名で杉山城跡・滝山城跡・本佐倉城跡の関東の戦国三城と姫路城跡、赤穂城跡、五稜郭です。
西国に住むボクとしては、せめて熊本城跡か福岡城跡を。。。と思いましたが適わず(^^ゞ、上記の城について書きました。
今、思えば「岡城跡にしてください」と言えばヨカッタかもσ(^_^)

9994404905113

書いた文章は一般向けに書こうと思わずに書いたので、「???」なかもしれませんが、ご容赦下さいませ。
杉山城跡・滝山城跡・本佐倉城跡の関東の戦国三城は、基本的な理解を含めて準備に苦心しました(西国ですのでリサーチも難しい)が、
おかげで関東の後北条氏系城郭の基本原則と最終段階での外郭ラインの創出について見通しを立てることができ、収穫多しでしたヽ(・∀・)ノ
姫路城跡も今回じっくり縄張を読み直すと共に、某所からいろいろと頂いたアドバイスを活かしてまとめることができました。
赤穂城跡もしかり。
そして、五稜郭跡は近年楠葉台場などの稜堡式城郭の調査成果を下敷きに、稜堡式の持つ意味について単なる見せかけや時代遅れの産物でないことを示しました。
いずれも、あらためてじっくり学び直す機会になり、非常にあり難かった次第です。
来年はお呼びがあるか不明ですが、いい勉強になりました。
ありがとうございます(._.)オジギ

ということで、
歴史読本5月号『日本全国名城の条件、この城がすごい!』1090円ですのでお手に取ってみて下さい。
ぜひ、よろしく(・∀・)ノ


追記:去る筋から馬出し理解がわかりづらいという感想がありましたので、再度、杉山城・滝山城などで述べた後北条氏系城郭のスゴイ点についてまとめてみると……
関東によくみられる台地状地形を横堀で区画して主郭を形成する。その際、対岸の削り残しの内、足場となる膨らみの部分を馬出し(角馬出)として整形し土橋(木橋)をつないで出入り口を固める橋頭堡とする。
角馬出しが大型化するタイプが出現し馬出し曲輪となることで第2郭を形成する。さらにその外側への出入り口に角馬出しが構えられる。
それをくり返すことで、主郭→第2郭→第3郭と主郭を頂点とした求心的な曲輪配置を持つ城域が構成される。
角馬出しの一般曲輪化(馬出し曲輪)により同じパターンをくり返し城域が再生産されること&主郭を中心とする求心的な曲輪配置を生み出した点に、後北条氏の成熟した優れた築城技術がみられるでしょ?というお話です。

そういう目線でみると、後北条氏により築かれた滝山城は、主郭からの求心的な曲輪配置+技巧的な惣構え的外郭ラインの組み合わせで解釈できます。
一方、千葉氏→後北条氏の本佐倉城は、ぶつ切り型の在地系城郭+技巧的な惣構え的外郭ラインの組み合わせ、
その差異からも、角馬出しによる求心的な曲輪配置は後北条氏の成熟した軍事編成の賜物と推察できます。
これを基本として考えると、杉山城は滝山城から技巧的な惣構え的外郭ラインがないタイプ。逆に八王子城は技巧的な惣構え的外郭ラインのみが突出したタイプで解釈できるわけです。
そもそも、関東以外でも主郭への求心的な曲輪配置を達成した勢力は織田・豊臣政権くらいなものですから、滝山城や杉山城にみられる縄張りプランが如何に優れたものであるかは理解できると思います。

遺構の比較検討からも自明ですが、主郭を頂点とする組織的な軍団編成ができた勢力が天正後期の後北条氏であると考えるのは至極当然のことと言えるでしょう。
近年の文献史学の成果でも、沼尻合戦や天正壬午の乱以降の畿内・東海の織豊政権と向かい合うかたちになり、極度の緊張と絶え間ない戦闘、激しい外交戦が繰り広げられたことが論じられています。
これらの成果も、天正期の関東のエリート大名後北条氏による築城技術の展開を補強する材料となるでしょう。
(もっとも、一方で15世紀末とは物量共にケタ違いの天正期の争乱を論じておいて、もう一方で杉山城を15世紀末〜16世紀初頭の戦闘の産物としてそれ以降発展がないとする「関東流文献史学」の変幻自在さも何ですが)

以上のように、シンプルに縄張りを読み解くことで関東の戦国期城郭の法則性を見出す作業は、何度も杉山城や滝山城を歩かれた方ならそう難しくないはずです(^^。

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歴史読本2011年5月号に書きました。を参照しているブログ:

コメント

はじめまして。お城好きです。歴史読本で記事を読みました。
僕も杉山城が上杉とは到底考えられないと思っているので、面白かったです。ただ中井先生だったと思いますが杉山城は織豊系城郭という説に賛成です。どうみても織豊系の陣城にそっくりで、記事に書かれた後北条の特徴も織豊系と考えてもよさそうにみえます。杉山城は織豊系城郭というのは完全に間違いですか?

こんばんは。

私が教わり学んできた縄張りの見方では、桝形虎口にみられる織豊系城郭の発達方向は、後北条氏系城郭の発達方向とは異なると解釈していますので、私は書いた通りに解釈しています。

議論は複数の論者が交える中でおおよその方向性が自明のものになるものだと思います。
特定の人が特定の方の説の当否を審判するものではありませんので悪しからずご了承下さい。

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