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2011年2月23日 (水)

楽万上陣城調査、進行中!

本業多忙につきウェブログの更新が遅れる年度末。
豊後御討入な近場をお引っ越しプログラムも加わり、余裕がありません。

でも、19日・20日は津山まで遠征。行きは九四フェリー&松山・高松道・瀬戸大橋、帰りは中国道のドライブコース。
天候にも恵まれ、存分に楽万上陣城調査を進めてきました。
忙しい中、時間を捻出しての2日間、しっかり調査できて◎です。
あと、もう2日作業があれば完成。
どうも、地籍調査で磁石がピンポイントで埋められている場所があって、その辺ではコンパスが狂って困りました(´・ω・`)。

ここを終えたら、陣城をひと通り確認踏査して小論にまとめようと思っています。
そして、いよいよ荒神山城へ展開します。

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土造りですけど、十分エッジが効くくらいに直線的な仕上げとなっています。
下の写真は、堀切のように掘り抜いた尾根筋に向かって直面して張り出した櫓台状の土塁。圧巻です。
この陣城群を宇喜多勢が主力でやったのか、羽柴勢のバックアップのもと成し遂げたのかで大きく解釈が変わるので、
その辺も詰めていきたいところです。
どっちの結論でも面白いけど、すべては遺構の解釈が決め手なのがポイント。

2011年2月 6日 (日)

楽万上陣城、2日目。

昨日に引き続き、6日も楽万上陣城の主郭を調査作図。
ポイントとなる桝形虎口辺りを調査しました。

長城ラインの一角を占める主郭部は、岩屋城から伸びる稜線先の枝分かれする辺りに横堀を一周回して築いたものです。
稜線に向けて大きく堀切状に横堀を回し、稜線に向かって真っ正面に櫓台を構えて待ちかまえるプランとなっています。
切岸も2.5mもあり、土造りながらとてもシャープな塁線に仕上がっています。
そして、反対側に横堀へ出るための桝形虎口が構えられています。
桝形虎口の外側は、横堀をまたぐ形で土橋状の通路が張り出した形で、千田嘉博氏の虎口編年4B-2のような感じの虎口プランとなっています。
先だって作図した荒神上陣城と併せて、1584年段階に用いられていた織豊系の虎口プランが複数事例特定できる重要な城郭跡となっています。
それ故、今回の虎口プランの形も精査するために、楽万上陣城の縄張り図を書こうと思った次第です。
それにしても、岡山県の城郭跡は、研究する上で有益な事例を数多く提供してくれます。はるばる往来する価値があるというものです。

楽万上陣城は、主要部と別に方形区画の陣城もあるので手間がかかりますが、何とか春までに仕上げたいと思います。
写真はその桝形……と言いたいところですが、やはりわかりづらい(・_・;)。

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2011年2月 5日 (土)

楽万上陣城、踏査開始。

5日は、美作岩屋城を包囲した羽柴・宇喜多勢の築いた陣城の一つ、楽万上陣城の調査を開始。
年明けにやろうと思っていたものの、三連休を風邪引き&大寒波で1ヶ月遅れになったもの。

さて、どう考えても10回くらい来ないと行けない。春までに間に合うかしら?
主郭部の虎口プランを精査するのが目的ですが、全部書くとけっこうかかる自己見積もり。
横堀を兼ねた大堀切に面して櫓台を構えたり横矢を掛けたりと油断すると見落としかねない細かい仕上げを読み解くのに時間もかかる。
で、同時代の様相を知る上でなかなか史料的価値の高い魅力的な遺構、しっかり調査したいと思います。

陣城群の中でもかなりの土木量が投下され規模も大きく、織豊系城郭の要素が随所に詰まった興味深い事例です。
みよ、この切岸の高さを。

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見づらいので、目印を立ててみましたが、桝形虎口です。手前にあるのは地籍調査のポイントです。

2011年2月 4日 (金)

『体感、実感!にっぽんの名城』@徳川大坂城

歴ーっしゅ!
3日は、『体感、実感!にっぽんの名城』第5回目を観ました。
あまりにお城好きのハートを刺激するNHK大阪制作の好番組に嫉妬したのか?NHK総合の『ブラタモリ』はこの日は江戸城外濠(´・ω・`)。
おかげで、ツイッターな方々は録画してブラタモリへ行ってたようで閑散とした感じ。ほとんど嫌がらせですね(^^ゞ

第5回は、名古屋城に続いて、徳川氏の天下普請による徳川大坂城。
太閤の城というイメージと、既に文化財の地位を得た「大阪城天守閣」(昭和建築なので大坂城ではなく大阪城)ばかりが注目されますが、
現在の大坂城は徳川将軍の西の居城としての大坂城の様相を楽しむポイントがたくさんあります。
美甘子さんが言ってたように、大坂城が居城として機能したのは幕末の将軍家茂・慶喜の時です。
この時期は政治の舞台は江戸じゃなくて京坂の地。まさに、「大坂幕府」状態でした(^^ゞ
時と場合によっては、幕末に鳥羽伏見の戦いに続く、第2次大坂陣があったかもしれませんね。
今回は、大手門・千貫櫓から二の丸を経て本丸まで&南水堀・六番櫓までのコース。

南西側にNHK大阪放送局(BK)がある地の利を活かしての大坂城遠景を用いた解説はとてもわかりやすくて G Jヽ(・∀・)ノ
但し、NHK大阪放送局からでは北側の京橋口・青屋口からの高低差の激しい石垣壁面のアングルまではカバーできないのが惜しいところ(*^_^*)
とは言え、片町方面からのアングルが可能だったとしても、たぶん樹木に隠れてあんまりわかりづらいだろうなと思います。
ツイン21から撮影させてもらうわけにいかないでしょうし(爆)

冒頭は大手門にある典型的な桝形門(2つの門と石垣で枡状に区画したユニット化した城門)の丁寧な解説。
ここでは、もちろん大手土橋に対する千貫櫓からの横矢掛かりや門にある鏡石も概説。
5回目ともなると、すっかり「横矢掛かり」は定着してきましたですね(^^ゞ
今回は、絵図に加えて古写真の収録された図録などを持って歩くと往時の様子を踏まえることができることも紹介されていました。
案外、焼失したものが多いので、一見、広い敷地にみえる場所も案外建物で埋まっていたことを知ることができます。
一般の方にはちょっと敷居が高いかも知れませんが、チャレンジしてほしいなあと思います。
続いて、二の丸の解説。ここでは、巨大化して一般曲輪化した馬出しを説明。千田さんの研究の大きなポイントとなるお話。
もちろん、25分に収めなければいけないので概説という案配でしたが(^^ゞ
併せて、南水堀に面した激しい一番櫓・六番櫓からの横矢掛かりを紹介されてました。

名古屋城の回もそうですけど、徳川大坂城も一度全体の曲輪配置を図で把握してから見た方がよかったかも?と思いましたけど、
それはさておき、ここまで大阪城天守閣抜きでここまで徳川大坂城の魅力をじーっくり語った番組なんて今までなかったでしょう。
ホントに毎回、感慨深いなあと思いながら観ている次第、ありがたいことです。
次回は、あの『豊臣大坂城屏風』を用いての失われた豊臣大坂城を探るの巻です。楽しみですね。

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Foxkeh! フォクすけ!


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