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2011年1月30日 (日)

城館史料学講義、無事終了。

別府大学大学院での城館史料学概論の講義は、22日土曜日に全15回(3コマ×5日)無事終了。
前回から、実際に研究する上で実際に歴史研究(文献史学・歴史考古学)において城郭跡を活用した研究手法について具体論に入っていますが、
最終回は、歴史考古学と関係する、城郭瓦、石垣、遺物(陶磁器)研究において城郭跡を活用した研究手法、
そして、近世城郭の史料的活用からの初期藩政研究の視点を紹介しました。

特に重点を置いたのは、歴史考古学と関係する領域の研究手法。
歴史考古学研究の一分野である城郭研究ですので、そうした研究の志向を意識しての内容構成としました。
というのも、城郭研究者でも城郭跡の調査成果を下にこの領域に積極的に問題提起をしている方はほとんど居ないからです。
基本的にはほとんどの城郭研究者は文系の人だからかと思われるのですが、歴史考古学の成果には何ら疑いもなく鵜呑みにしています。
ですから、大永年間とした決め手の陶片が、実際は同形のものが新府城で検出と報告されている「遺物編年が尺度となりうるのか」という考古学的課題であるものを、
「城郭遺構の年代観はどうだ?」と
関係者の間で問題提起として、すばらしく学際的仕立てが為された杉山城の議論の場に呼ばれたにも関わらず、
遺物編年の根本的な不備を遺構評価から厳しく指摘する機会を逃した上に、自ら「杉山城問題」と認めて年代観は意味がないと言ったりして、
「文献や遺物の年代比定に耳を傾け、未来に生きていくための縄張り研究をめざせ」と説教されてきたわけです(´・ω・`)。
その中で、精力的に城郭跡そのものの見解を柱に問題提起を加えている木島孝之氏の諸研究などを紹介する形で、
歴史考古学の見解を消化した上でさらに遺跡の目線から相対化させて議論をするためにも、今後の可能性ある研究テーマとして解説した次第です。

城郭瓦では、名称や丸瓦制作におけるタタラからの粘土板切取り技法の差異に着目するコビキA・B技法などの基本を説明した上で、
同笵、同形関係から大名権力と瓦工人の関係を論じた織豊期城郭研究会の初期の成果や山崎敏昭氏の研究、
木島氏の鷹取城・益富城の調査事例を用いた瓦工人掌握の問題などの研究を紹介し、
城郭瓦そのものの史料的活用について、城郭跡そのものに着目する視点を応用して実践する視点を解説しました。
石垣では、基本的な見分け方を説明した上で野面積みから切込接への流れはあるが、バラつきがあるため杓子定規に編年資料としては用いるのではなく、
石垣のある城郭跡の縄張り評価などとクロスチェックさせて複眼的な判断で史料として用いる研究手法を紹介しました。
そして、陶磁器編年では、岸嶽城を寺澤氏が慶長年間に大改修して築いた石垣づくりの近世城郭と評価する「城郭遺構の年代観」から、
岸嶽城廃城を波多氏段階と評価して年代比定を行っていた古唐津編年の根本的な不備を指摘した木島氏の研究をもとに、
陶磁器編年で年代比定の根拠に使用される城郭遺跡の廃城年代については、今では考えられないような不備も散見されるので、
千田・木島両氏による城郭遺構の年代観を自らのものとして消化して、年代観のズレを厳しく指摘する研究も今後の可能性ある研究視点のひとつと紹介しました。

もうひとつは、近世城郭の史料的活用からの初期藩政研究の視点。
これは、木島氏の福岡藩などの研究と私の岡藩の研究をもとに紹介しました。
案外、城郭研究で近世初期を論じることは少ないので、その辺も今後の可能性ある研究視点として併せて解説しました。

前回・今回と解説した一連の研究視点が、城郭跡そのものの評価を軸に「真の学際的な歴史研究」または「新しい歴史考古学の一視点」たらんとする、
本当の意味での「未来に生きていくための縄張り研究」=城館史料学と考えています。
大学院の講義ですから、単に城郭の概念の解説や現地踏査による着眼点の解説に留まらず、今後の研究手法の着眼点も併せて紹介し実践を促した次第。

いきなりハイスペックはどうかな?とも思いますが、今回受講してくれた院生諸氏に伝わればいいけどなかなか難しいかも知れません(^^ゞ

以上、15コマ無事にお役目終了(ホントは演習編もしたかったなあ。)
ベースができたので、この講義録をより精査して、城館史料学概論を磨いていきたいと思います。
今回、こうした機会をいただいた白峰先生の学恩には感謝する次第です。
イチから学び直すいい機会となりました。本当にありがとうございますヽ(・∀・)ノ

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城館史料学講義、無事終了。を参照しているブログ:

コメント

大変ご無沙汰しております。

昨年のセミナーや城郭談話会などでお世話になりました、三重大院の松永久秀です。

別府大院での「城館史料学概論」の講義を拝聴したかったのですが、如何せん九州までは遠く、いつもブログの更新を楽しみに拝見しておりました。

もっと講義の内容を詳しく知りたいので、もしよろしければ、今度お会いしたときに講義録もしくはレジュメなどをいただけないでしょうか?不躾ながらよろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。
まだまだver.1にも届かないものですので、もう少し精査させてください。
しゃべってみて足りないと気づいたところもところどころありますので。

最悪でも夏までには準備しておきたいと思います。
それより早い方がいい場合は、ver.1未満でよければ、送り先をご案内下さい。

>nakanishi 様
早々とご返事ありがとうございます。

承知いたしました、お待ちいたします。
お忙しい中、恐れ入りますがよろしくお願い申し上げます。

ご無沙汰しております、姫路ではお話できて大変ためになりました。ありがとうございました。

>杉山城問題という、大永年間とした決め手の陶片と同形のものが新府城で検出されたと報告されている「遺物編年が尺度となりうるのか」という考古学的課題

「逆杉山城問題」ですね(笑
今夏の文章ではどうして「杉山城問題を重大視していないのか」を、もう少し詳しく突っ込む所存です。が、先日篠原城という横浜市にある城の現説で当城を研究されている考古学のI助教とお話をする機会があったのですが、ほとんどの考古学者はご指摘の課題を深く自覚していると感じましたので、安心はしております(^^

どうも発掘とかやったことのない、考古学から遠い方に限って純真無垢に鵜呑みにされるのは困ったものですが、考古の現場におられる方は竪穴住居跡掘ったら縄文式土器の下から弥生が出てきた、なんてことを時々体験されているので、大半の方は大丈夫なんじゃないかと、考古学を学んで大学出た小生は思う次第です。

あ、あとこの講義、何らかの形で文章にしてほしいなぁと思います。ではでは。

コチラの武闘派な古唐津編年の不備を一突きした某先生との議論で鍛えられているお話です(^^

ご指摘の通り、普通に考古学している側が妙に「決め手」みたいにされて困惑しているのは何となくわかります。
元々、杉山城どうこう以前に、現地で縄張り調査して試行錯誤している研究者に対して、自分が手を汚してもない発掘成果に便乗して「動かぬ証拠」みたいに振りかざすのってどうよ?と思うところがあって、そういう人に限って考古学サイドと共通の議論を経ている、とか言うのも昔から共通していて面白いなあと思っています。

これまでゆるっと傍観してましたが、『日本歴史』に書いてしまったこともあり、せっかくの機会ですから、夏のセミナーまでに手元の資料で関東の戦国・織豊期の城郭研究を考古資料もあわせて勉強したいと思っています。

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