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2011年1月15日 (土)

新年に周匝茶臼山城に行ってきました。

新年4日に津山からの帰りに吉井川を下って、赤磐市周匝の茶臼山城跡に行ってきました。
あんまり時間がなかったので、大仙山城跡への行き方を確認するための登山です。
と言っても、現在の茶臼山城跡は天守風の展望台や塀などがあって「模擬近世城郭」となっています。
なので、車で山上まで上がることが出来ます。

「模擬近世城郭」を築く際に発掘調査が行われており、その際に村田修三氏の縄張り図が作成されています。
それを見ながら、周辺をみると、巨大な堀切があり曲輪には低い土塁が確認できます。
また、眺望を得るために樹木を抜開したために下草と野バラがいっぱいという「厄介な斜面」を通るのに苦心したので、
通路となった巨大空堀を下りて回り込むと、切り倒した樹木の枝などが積まれた間に畝状空堀群を確認することが出来ました。
しっかりと「戦国期城郭」であることを最低限、確認してきました(^^ゞ

尾根筋に近世岡山藩・周匝池田氏の歴代墓所があり、池田時代の遺物も確認されることから、茶臼山城=周匝池田氏の城、から「模擬近世城郭」にしたのでしょうか。
周匝池田氏墓所はそれ自体いい遺跡で、近世周匝を知る一級史料と言えます。
それだけに、戦国期のままの茶臼山城跡をそのまま保存していたら、戦国〜近世の茶臼山の変遷が一目瞭然だったのにと思うところがあります。
「郷土愛」が仇になったとても残念な事例と言えるでしょう。

発掘調査による報告書があるのがせめてもの救いですが、周匝地方を知る史料的価値の高さを思うと惜しいことだと思います。

実際の茶臼山城跡は、堀切がやたら巨大で遠堀なども多用する割には、畝状空堀群が相対的に浅いという特徴があります。
そして、近傍にある天神山城跡と比較した場合に、巨大な堀切以外は案外造作が少ないなあというのが感想です。
巨大な堀切を多用した戦国期城郭のタイプとして押えておく事例と評価できそうです。

一方、今回は行けませんでしたが、縄張り図を見る限りでは、尾根を挟んで同じ山塊部の向いにある大仙山城は、
土塁を回して虎口もしっかり造られており茶臼山城よりも明らかに出来が良さそうです。
茶臼山城→大仙山城へという時期差なのか機能差なのか?この2つの城を併せて考えることから、
周匝地方の中・近世移行期を探る手がかりが得られそうだなという印象を持って、次回の調査を期したいです。

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