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2011年1月30日 (日)

城館史料学講義、無事終了。

別府大学大学院での城館史料学概論の講義は、22日土曜日に全15回(3コマ×5日)無事終了。
前回から、実際に研究する上で実際に歴史研究(文献史学・歴史考古学)において城郭跡を活用した研究手法について具体論に入っていますが、
最終回は、歴史考古学と関係する、城郭瓦、石垣、遺物(陶磁器)研究において城郭跡を活用した研究手法、
そして、近世城郭の史料的活用からの初期藩政研究の視点を紹介しました。

特に重点を置いたのは、歴史考古学と関係する領域の研究手法。
歴史考古学研究の一分野である城郭研究ですので、そうした研究の志向を意識しての内容構成としました。
というのも、城郭研究者でも城郭跡の調査成果を下にこの領域に積極的に問題提起をしている方はほとんど居ないからです。
基本的にはほとんどの城郭研究者は文系の人だからかと思われるのですが、歴史考古学の成果には何ら疑いもなく鵜呑みにしています。
ですから、大永年間とした決め手の陶片が、実際は同形のものが新府城で検出と報告されている「遺物編年が尺度となりうるのか」という考古学的課題であるものを、
「城郭遺構の年代観はどうだ?」と
関係者の間で問題提起として、すばらしく学際的仕立てが為された杉山城の議論の場に呼ばれたにも関わらず、
遺物編年の根本的な不備を遺構評価から厳しく指摘する機会を逃した上に、自ら「杉山城問題」と認めて年代観は意味がないと言ったりして、
「文献や遺物の年代比定に耳を傾け、未来に生きていくための縄張り研究をめざせ」と説教されてきたわけです(´・ω・`)。
その中で、精力的に城郭跡そのものの見解を柱に問題提起を加えている木島孝之氏の諸研究などを紹介する形で、
歴史考古学の見解を消化した上でさらに遺跡の目線から相対化させて議論をするためにも、今後の可能性ある研究テーマとして解説した次第です。

城郭瓦では、名称や丸瓦制作におけるタタラからの粘土板切取り技法の差異に着目するコビキA・B技法などの基本を説明した上で、
同笵、同形関係から大名権力と瓦工人の関係を論じた織豊期城郭研究会の初期の成果や山崎敏昭氏の研究、
木島氏の鷹取城・益富城の調査事例を用いた瓦工人掌握の問題などの研究を紹介し、
城郭瓦そのものの史料的活用について、城郭跡そのものに着目する視点を応用して実践する視点を解説しました。
石垣では、基本的な見分け方を説明した上で野面積みから切込接への流れはあるが、バラつきがあるため杓子定規に編年資料としては用いるのではなく、
石垣のある城郭跡の縄張り評価などとクロスチェックさせて複眼的な判断で史料として用いる研究手法を紹介しました。
そして、陶磁器編年では、岸嶽城を寺澤氏が慶長年間に大改修して築いた石垣づくりの近世城郭と評価する「城郭遺構の年代観」から、
岸嶽城廃城を波多氏段階と評価して年代比定を行っていた古唐津編年の根本的な不備を指摘した木島氏の研究をもとに、
陶磁器編年で年代比定の根拠に使用される城郭遺跡の廃城年代については、今では考えられないような不備も散見されるので、
千田・木島両氏による城郭遺構の年代観を自らのものとして消化して、年代観のズレを厳しく指摘する研究も今後の可能性ある研究視点のひとつと紹介しました。

もうひとつは、近世城郭の史料的活用からの初期藩政研究の視点。
これは、木島氏の福岡藩などの研究と私の岡藩の研究をもとに紹介しました。
案外、城郭研究で近世初期を論じることは少ないので、その辺も今後の可能性ある研究視点として併せて解説しました。

前回・今回と解説した一連の研究視点が、城郭跡そのものの評価を軸に「真の学際的な歴史研究」または「新しい歴史考古学の一視点」たらんとする、
本当の意味での「未来に生きていくための縄張り研究」=城館史料学と考えています。
大学院の講義ですから、単に城郭の概念の解説や現地踏査による着眼点の解説に留まらず、今後の研究手法の着眼点も併せて紹介し実践を促した次第。

いきなりハイスペックはどうかな?とも思いますが、今回受講してくれた院生諸氏に伝わればいいけどなかなか難しいかも知れません(^^ゞ

以上、15コマ無事にお役目終了(ホントは演習編もしたかったなあ。)
ベースができたので、この講義録をより精査して、城館史料学概論を磨いていきたいと思います。
今回、こうした機会をいただいた白峰先生の学恩には感謝する次第です。
イチから学び直すいい機会となりました。本当にありがとうございますヽ(・∀・)ノ

2011年1月28日 (金)

『体感、実感!にっぽんの名城』で馬出しが語られました。

歴っしゅ!
27日は、千田先生と歴っしゅ!美甘子さんの『体感、実感!にっぽんの名城』第4回を拝見しました。
今回は、25分丸々、尾張名古屋城を歩くの巻。
絵図を観ながら今とは違う名古屋城の初期プランを探ろうという、少し学術的な内容(^^
国立公文書館データベースからダウンロードしたデータをiPadに入れての城歩きです。
と言っても、アナログな方は学研か新人物往来社なムック本に収録されている城絵図コピーでもいいとは思いますヨ。

最初は、名古屋城の石垣を観ながら、西国大名を中心に石垣を運んで築いた名古屋城天下普請について。
家康さんの天下普請は、一般的には豊臣恩顧の西国大名を疲弊させるための「容赦なき軍役」と言われています。
けど、朝鮮出兵を経験した西国大名や慶長期に西遷して新たに築城した大名の方が城郭普請に手慣れていることを思えば、
土塁に石垣を張る程度の東日本の大名に石垣普請させるよりも、天下普請を彼らにやらせるのは当然のことと思います(^^ゞ
また、西国大名は過酷な朝鮮出兵直後も関ヶ原の内戦に参戦し、新たに得た領国にも新規に本城・支城を築き続けていたことを思えば、
キッツイ軍役だったとは予想されますが、潤沢な収入をもとに残業を厭わないエリートのように軍役をバリバリこなしたことと思います。

もちろん名古屋城ですので、「加藤肥後守 内小代下総」という有名な刻文のある天守台算木の石材も紹介されていました(・∀・)
現地行くとわかるのですが空堀に面して潅木があって、実に撮影したり見づらいのが難点(^^
ちなみに、小代氏は加藤の重臣。もともと肥後国衆の出自で、今の荒尾市辺りの国人領主です。
そんな彼も加藤氏に仕えてバリバリの織豊系城郭技術を使いこなしていたわけですね。

その次は、表二之門前の今は一部が埋められてしまっている「幻の馬出し」についての解説。
門の前に空堀を回して出丸のような防御空間をつくり、両側面に細い土橋の通路を設けて出入り口とする工夫が馬出し。
名古屋城では馬出しに雁木をつけ多聞櫓を廻して橋頭堡にしたことや東側の土橋には外側から横矢掛かりが効く工夫を紹介されていました。
「桝形虎口」と並ぶ近世城郭の出入り口である「馬出し」の工夫について、千田さんが丁寧に解説。
平地の近世城郭によく見られる「馬出し」も熊本城でみた桝形虎口同様に我々の業界?では一般的に語られますが、
「馬出し」がその仕組みと共に、テレビで当たり前のように語られるのも、多分今回がはじめてのことでしょう(^^
これまで隣接する人文領域から「城オタクの用語」と揶揄されてきたことを思えば、城郭研究者にとっては実に感慨深いことですね(^^ゞ

そして、千田さんが最近論じられている、《なごや御城惣指図》にある名古屋城天守の初期プランのお話。
天守から本丸への桝形虎口と、御深井丸に出入り口をどう設定するかで大天守から小天守を介して木橋で虎口をこしらえるプランです。
確かにスゴイんですけど、この案がボツになったのはコチャコチャしすぎてうっとおしいからじゃないかと勝手な想像。
名古屋城は、空堀と石垣の遮断効果を重視して直線的な塁線の多い技術的に合理化されつつある段階の城郭で、
初期の織豊系城郭仕込みの実戦的なコネコネしたプランが精査されていく時期にあります。
たぶん、当初のプランを考えた技術官僚(武将)は、徳川氏テイストの期待に添うような「実戦色プラン」を書いたような気がします(^^ゞ
コレって、浜松城とか初期江戸城のコネコネしたプランが多い徳川氏サイドが「これは、スゴイ」と言いそうな感じしません?
でも、豊臣恩顧の西国系な方々が「そんなカッコ悪いことしなくてもサッパリやった方がいいだろ」でボツったのかなと思いますσ(^_^)。

最後は、意外に忘れられている三の丸の外構えと今は道路になっている城門跡まで触れられました。
実は案外残っているんです。そして道路の折れが実は桝形門の痕跡だというのも紹介されていました。
従来はあんまり言及されない部分までしっかり押える視点を出されるのも、千田さんが講師だからこそ。
絵図を持って城下まで歩くと、外堀と城門や惣構えまで見て回れるというお城歩きの秘訣で締め。

今回の馬出しを含めて、1〜4回の中で様々に城郭関係用語が紹介されてきました。
城門に注目→門、桝形虎口、馬出し、石垣、天守・隅櫓……この辺を押えておくと近世城郭の城歩きが本当に面白くなります。
もう一度おさらいしておくと良いと思います(・ω・)ノ
それにしても毎回、濃密な25分間です。
あらためて、千田さんの解説で「学術的な城郭研究で共有されている概念」が広く紹介される機会が得られて本当に意義あるなあと思う次第ヽ(・∀・)ノ

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2011年1月26日 (水)

『体感、実感!にっぽんの名城』で櫓・石垣・堀が語られました。

歴っしゅ!ということで、先週20日は『体感、実感にっぽんの名城』第3回熊本城その2を見ました。
感想書こうかなあと思ったけど、週末が別大非常勤の講義があったので書けずグズグズしてたら1週間経ったのであわてて書いてます。

桝形虎口と本丸御殿・天守に登った&写真の撮り方までを25分でやった前半の第2回に続く、後半戦。
宇土櫓を前に隅櫓と多聞櫓の解説に始まり、二様の石垣までの間で石垣の見方や積み方から時代差をみる視点を語った後、
ぶった切りな大空堀にて多聞櫓などと絡めた守りの仕組みまで、タイトな時間の中で千田先生、懇切丁寧に要点を語っていました。

特に石垣では、野面積み、打込接に間詰石、切込接の特徴から、隅角部の長短の石材を積む算木積みまで一連の解説があったのが印象的。
石垣の積み方について時間を割いてテレビで放映されるのはたぶん始めてではないかと、感慨深いものがありました。
石垣は直接、お城のイメージに結びつくくらいに著名なポイントなんですけど、
だいたいが堅固な……とか、形容詞付きで語られるくらいで、
算木積みはもちろん、それぞれの積み方について語られたことはほとんどなかったと思います。
研究をしている方としてはなじみのある用語ばかりですが、よくよく考えれば意外に普及していないので
今回、じっくり説明があったことはホントに意義があったと思いますね。矢穴とかあったらバッチシでしたけど(^^ゞ

時間的制約などいろいろあるのは仕方ないとして、熊本城編2回分で近世城郭の要点はちゃんと抑えられているのは、千田さんが講師だからこその構成。
一般の方にどういう視点から解説すると良いか観ながら参考になります。
今回の『にっぽんの名城』の番組を通して、これまでの入門書や概説書とはまったく違う縄張りベースの城郭観が
お城好き・歴史好きの皆さんに広がることで、
城郭跡を体感・実感することから戦国・織豊の歴史が語られるようになったらなあと思いますねヽ(・∀・)ノ

2011年1月15日 (土)

新年に周匝茶臼山城に行ってきました。

新年4日に津山からの帰りに吉井川を下って、赤磐市周匝の茶臼山城跡に行ってきました。
あんまり時間がなかったので、大仙山城跡への行き方を確認するための登山です。
と言っても、現在の茶臼山城跡は天守風の展望台や塀などがあって「模擬近世城郭」となっています。
なので、車で山上まで上がることが出来ます。

「模擬近世城郭」を築く際に発掘調査が行われており、その際に村田修三氏の縄張り図が作成されています。
それを見ながら、周辺をみると、巨大な堀切があり曲輪には低い土塁が確認できます。
また、眺望を得るために樹木を抜開したために下草と野バラがいっぱいという「厄介な斜面」を通るのに苦心したので、
通路となった巨大空堀を下りて回り込むと、切り倒した樹木の枝などが積まれた間に畝状空堀群を確認することが出来ました。
しっかりと「戦国期城郭」であることを最低限、確認してきました(^^ゞ

尾根筋に近世岡山藩・周匝池田氏の歴代墓所があり、池田時代の遺物も確認されることから、茶臼山城=周匝池田氏の城、から「模擬近世城郭」にしたのでしょうか。
周匝池田氏墓所はそれ自体いい遺跡で、近世周匝を知る一級史料と言えます。
それだけに、戦国期のままの茶臼山城跡をそのまま保存していたら、戦国〜近世の茶臼山の変遷が一目瞭然だったのにと思うところがあります。
「郷土愛」が仇になったとても残念な事例と言えるでしょう。

発掘調査による報告書があるのがせめてもの救いですが、周匝地方を知る史料的価値の高さを思うと惜しいことだと思います。

実際の茶臼山城跡は、堀切がやたら巨大で遠堀なども多用する割には、畝状空堀群が相対的に浅いという特徴があります。
そして、近傍にある天神山城跡と比較した場合に、巨大な堀切以外は案外造作が少ないなあというのが感想です。
巨大な堀切を多用した戦国期城郭のタイプとして押えておく事例と評価できそうです。

一方、今回は行けませんでしたが、縄張り図を見る限りでは、尾根を挟んで同じ山塊部の向いにある大仙山城は、
土塁を回して虎口もしっかり造られており茶臼山城よりも明らかに出来が良さそうです。
茶臼山城→大仙山城へという時期差なのか機能差なのか?この2つの城を併せて考えることから、
周匝地方の中・近世移行期を探る手がかりが得られそうだなという印象を持って、次回の調査を期したいです。

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2011年1月14日 (金)

『体感、実感!にっぽんの名城』で桝形虎口が語られました。

歴ーっしゅ!
13日は、Eテレでやっている千田嘉博さんの『体感、実感!にっぽんの名城』2回目を観ました。
熊本城跡を舞台に、外桝形虎口・内桝形虎口といった桝形虎口の解説をしながら竹の丸から本丸へコースを歩く前半と、
お城の写真の撮り方を組合せた後半がコンパクトに組み込まれた、本当に「濃い内容」でした。
櫓や石垣は次回だとのこと。やっぱり、でっかい近世城郭は2回くらいに分けた方がいいですね(^^ゞ。

今回の放送は、おそらくテレビの講座でははじめて「桝形虎口」について具体的な解説が成された記念碑的なものになりました。
しかも、織豊系城郭の虎口モデルを論じられた千田さんによって一般の方々に広く伝えられたのは大変有意義でした。
できればCGとまでいかないまでも絵図で赤線とかでジグザグに折れる様子を図化してもらえたら、さらにわかりやすかったでしょう。
番組では、千田さんは自らが論じられた虎口の通路空間にて、美甘子さんに横矢を掛けられて右往左往という名演技?なシーンもあって、
氏の「芸風」が広くお城好きに知られたこともとても意義あった?と思います ^皿^

織豊系城郭から近世城郭への理念である「桝形虎口」や「横矢掛かり」がNHKで普通に解説される時代が来るとは感慨深いです。

今回の熊本城は一見複雑ですが、主郭を中心に桝形虎口を連発させることで縄張りの骨格が形成された理路整然としたプランとして縄張り研究者の間では知られています。
厳密には、虎口の折れよりもL字状の石垣塁線を重ねて通路ができていると理解した方がいいかもしれません。
今回の放送にあるような桝形虎口や馬出しにみられる織豊系城郭の理念が一般的に周知されるようになったら、
いつもの著者のいつものお城のいつもの解説に載っているような輪郭式とか梯郭式といった分類は「過去の遺物」になるでしょう(^^ゞ

近世城郭を楽しむ際には、変な軍学用語紛いの「用語」を覚えなくてもなんら支障はありません。
今回の講座で語られているように、精度の高い見取図や縄張り図を片手に城跡を歩きながら、城道の出入り口(虎口)に注目し、
L字の石塁により形成される桝形虎口・織豊の馬出しの連続モデルを見つけることから十分に楽しめます。
その上で、天守や櫓、塀などの仕組みや構造を理解して立体的にイメージすることで、築城した人たちの防禦の工夫を読み解くことができます。
城郭跡を介して当時の人々の実像と直接向かい合うことができるのが城歩きの面白いところです。
城郭跡は過去と今をつなぐタイムカプセルみたいなものとも言えます。縄張りを理解することはカプセルを開く鍵を得るようなもの。
城郭跡の仕組みを理解して城郭跡から往時の人たちの様子をあーでもないこーでもないと探る楽しみは何ものにも代えられません。

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2011年1月 8日 (土)

『体感・実感!にっぽんの名城』観ました。

8日は部屋の片づけをする予定が風邪がぶり返して寝てました。
ようやく夜になって復調してきました。

というわけで、
歴ーっしゅ!!木曜日に『体感・実感!にっぽんの名城』1回目観ました。
25分があっという間に終わり、とても面白かったです。

1回目は、姫路城。
やっぱり、にっぽんの名城、一般的に流布する「お城=天守」では外すわけにはいきません。
でも、今の姫路城跡は天守は修築で覆屋に隠れて入れません(^^ゞ
「えー、それじゃあ、一般向けお城講座にならないでしょう」
となりますが、姫路城は城門のカタチや曲輪配置、城壁や多聞櫓などから防禦の工夫を知ることでも十分に堪能できますよ、という構成。
まずは、お城の平面構成(縄張り)を楽しむ準備。
精度の良い見取図等を持ちながら、リュックサックとスニーカーとカメラとコンパス持って歩くわけです。
そして、いつもは姫路城コースのお帰り道になる方が本来のメインルートで備前丸まで歩く構成。
予め、曲輪の配置と出入り口(虎口)の形状に注目することの説明をしてから、実際に、菱の門、埋門、ぬの門を通って備前丸へ。
天守付近は工事のため通れないので、ワープして西の丸の現存する長大な多聞櫓で25分。
それらを歩きながら、門の形状やカタチ、曲輪の配置、塁線にあった城壁(狭間)や多聞櫓などを観ながら防禦の仕組みをアレコレ考えての
お城歩きの楽しみ方を紹介するイントロでした。

とあれ、自分の経験でも、一般の方に説明する際には「縄張り」を言葉で説明して理解してもらうのは案外難しい。
去年やった津山市の荒神山城跡や、福岡城跡でも虎口概念を冒頭、口で語る方もなかなか取っ付き部分が得づらいものでした。

たぶん、歴ーっしゅ!!」の美甘子さんも「???」な世界だったかも(笑)
あの辺は、模式図など別画面で紹介しておいたらよかったかも。キモでしたから(^^ゞ
姫路城跡でかいですから2回くらいにわけてもよかったのではと思うところもありますが、追々何とかなるんじゃないかと思います。


自分なりに整理すると、城郭では、守り手がガンガン城壁や空堀を固めて攻め手を遮断したとしても、どうしても自分たちの出入りに城門が必要なわけです。
なので攻め手は下手に犠牲を伴う城壁などよりも、木製の城門前に張り付き城内側からの攻撃を仕寄せで防ぎながら破壊する手法を採ります。
そこで、守り手側にとって、城門前に張り付く攻め手に効果的に迎撃した上で中から押し出して撃退する「出入り口の工夫」が必要となるわけです。
ところが、案外それを実践した勢力は少なくて、出入り口を防禦壁に一体化させることで対応していたようです。
実際に工夫した勢力は次の三つ。
ひとつは、出入り口(虎口)の通路を曲げ、前面に石塁や土塁によるL字の張り出しを造る方法で対処した織田・豊臣氏。
この他、横堀を多用する台地状地形に割拠したことで、横堀の前に緩衝空間(馬出し)を造って対処した武田氏や後北条氏、この3勢力くらいです。
結果的に、武田氏や後北条氏じゃなくて、
織田・豊臣氏が全国を席巻したので、彼らのモデルが近世城郭のスタンダードになりスケールアップして再生産された。
ということで、各地の近世城郭は、彼らのモデルが忠実に反映されておりわかりやすいので、見取図片手にハイキング気分で楽しめる、
織田・豊臣氏が創出した虎口のカタチと曲輪の配置の工夫を理解しながら歩くと、それぞれの防禦の仕組みを満喫できる、
その上で、従来の天守や櫓、多聞櫓・城壁、御殿などの理解がさらに深まる、というわけです。


天守や櫓、多聞櫓・城壁などは、すべからく縄張りと呼ばれる平面構成の上に建っています。
これまでの城郭鑑賞講座などでは、上に建っているものやそこで起きた出来事などを専門家が語り、それを解説したらお城の解説となっていました。
ですから、建物がなければ何もない、城=白亜の天守というイメージを一般向けに植え付け続けてきたわけです。
誤解を怖れず言うと、城郭はたびたびブームになったこともあり、天守や櫓の復元などで「復元考証する専門家」の飯の種になり、
近年は史跡整備や「歴史的景観」など文化財行政の花形となることで文献史学系の先生方にとっても実績作りになるため、
城郭研究に隣接する分野の専門家さんたちが顧問や委員として各地で関わり、
城郭そのもののカタチを二の次にしたまま
建物復元や石垣修復、文献史料偏重の城の歴史、城主譚などから自分たちの専門領域に引っ張り込んで城郭を語っていたわけです。
それらの視点があるとしても、城郭にあるあらゆる構成要素を理解するためには、いの一番に「縄張り」に顕れる防禦の工夫を知ることが大事ですよ、
というのが、「城博士」(^^ゞの千田さんがされる城郭鑑賞講座のキモになると思います。

これからは、城郭そのもののカタチを理解しないで城郭を構成する要素は語れない時代がやってくるし、
これまで「おとなりの専門家さん」たちが言ってきた城郭に関する通説や、単に城史や城主像にひきつけて語るような概説はどんどん塗り替えられます。
その嚆矢として、天下?のNHKを通して一般向けを対象に、城そのもののカタチに着目した城郭鑑賞講座が語られる意義は大きいのですヽ(・∀・)ノ

↓白亜の天守の出入り口も、ほら、曲がってる(^^ゞ

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2011年1月 5日 (水)

直伝 和の極意で「体感・実感 にっぽんの名城」

新年帰省も終わり、1日遅れの初出勤の予定が姪っ子経由の風邪でダウン(ノ_<)。夕方には復調したので何とかなりそう。

さて、NHKのEテレ(教育テレビ)の『直伝、和の極意』の2011年1-3月シリーズは、「体感・実感 にっぽんの名城」
奈良大学の千田嘉博さんが講師で「新たな城観賞のポイント」を案内するものとのこと。
1月6日(木曜日)から毎週木曜日22:00〜22:25で12回するそうです。
個人的には、一般向けに、どのように話を進めるのか内容をどう構成しているのかに関心がありますし、
縄張り研究ベースの城郭研究からの視点での城観賞講座というテイストでやっていただけるなら、実に楽しみな講座。

前半は、近世城郭を中心に進めて、後半は、山城歩きから縄張り図まで作成する内容となっています。
テレビで「縄張り図の作成」が出てくるとは感慨深いものがありますね。
さてさて、何城でやるのでしょうか(鹿背山城っぽいけど)
後、8回目と9回目の模型を作るとはどんな模型をこしらえるのでしょうか?
そして、軽妙なトークでポイントを抑えて解説する千田さんのお話をぜひ楽しんでほしいですね。

⇩ということで、はじめて縄張り図の作成がテレビ上に出る画期的?な千田先生の「城観賞」講座、要チェックです。

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追記:年始に千田先生からテキスト本をいただきました。ありがとうございます!!
そこいらに氾濫しているハウツーものや入門本よりも、一般向け入門書として適した内容と思います。1300円ですのでぜひ。

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2011年1月 3日 (月)

あれこれ・ラボのお仕事 ver.2011-01

中西義昌として、研究で書いた文章など主な内容は下記の通り。城館史料学を中心にこんなことしてます。

[著書、分担執筆] 
1 近世地方都市形成過程の一考察—瀬戸内の港町の動向からみた近世への転換—
1-78、1997年、私家本(修士論文)→九州大学建築史研究室にあります、鞆と上関を扱っています。

2 柳川城—縄張り研究の視点から—
柳川市史編集委員会編『地図のなかの柳川 柳川市史 地図編』1999年
担当: 99-104 を執筆。

3 歴史史料としての戦国期城郭 
1- 187、2001年、花書院  著者:中西義昌・岡寺 良
担当:地域毎の城郭調査と解説、及び全般的な考察をそれぞれ分担した。

4 戦国期城郭の縄張構造と大友氏領国 
鹿毛敏夫編『戦国大名大友氏と府内』 2008年、高志書院
担当:257-282を執筆。

5 志摩町域等の戦国山城・丘城
『新修志摩町史』編集委員会編『新修志摩町史』上巻 2009年
担当:376-396 を執筆。

6 城郭の縄張り構造と戦国後期の領主権力 —城郭跡の史料的活用を通して—
学位請求論文、2009年、私家本

7 概説—美作国の山城・丘城・館城
第25回国民文化祭津山市実行委員会編『美作国の山城』 2010年
担当:403-418 を執筆。
                    
[論 文] 
1 朝鮮通信使来朝時の都市空間の研究〜延享・宝暦度の鞆町への寄港から〜
日本建築学会中国・九州支部研究報告、第10号、729-732、1996年 

2 小規模山城・丘城の縄張構造にみる小規模在地勢力の様相
 〜筑前国糟屋郡・席田郡・志摩郡を中心に〜
愛城研報告、第4号、200-219、1999年 

3 豊後直入郡岡城の縄張り構造〜縄張り分析に基づく城郭遺構の史料的活用〜
日本建築学会九州支部研究報告、第39号、413-416、2000年 

4 戦国期城郭にみる大友氏の軍事体制〜縄張り研究に基づく大友氏領国の基礎研究〜
城館史料学、創刊号、25-66、2003年 

5 戦国期城郭にみる戦国期国衆の領国構造〜縄張り研究に基づく戦国期北部九州の基礎的考察〜
中世城郭研究、第18号、102-143、2004年 

6 縄張り調査と城郭跡の史料的活用〜豊後岡城東ノ郭の縄張り調査を通して〜
史学論叢、第38号、13-40、2008年 

7 中・近世城郭の構造分析と城郭跡の保存・整備—城館史料学の視点から—
日本歴史 2011年1月号、2011年

8「豊後岡城と竹田城下の櫓屋敷について—織豊取立大名中川氏と近世城郭・城下に関する考察—」
城館史料学、第7号、2011年 掲載予定



[報 告]
1 倭城の石垣遺構から何を読むか —倭城研究シンポジウム研究報告—
倭城の研究、第3号 14-15、1999年 

2 九州からみた「臨時築城」の視点
第22回全国城郭研究者セミナー「陣城・臨時築城をめぐって」122-126、2005年

3 西南日本の城郭の横矢掛りから考える—城郭研究と年代観— 
第27回全国城郭研究者セミナー「横矢掛りから考える」103-120、2010年

2011年1月 1日 (土)

謹賀新年、平成辛卯年

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あけまして、おめでとうございます!
旧年は私事ながら慮外なことでひとつの転換点を迎えましたが、
皆様方の学恩に支えられ研究者として精力的に活動することができました。
各方面にお世話になり、本当にありがとうございました。

本年も、縄張り研究を基礎とする城館史料学の領域から中・近世史研究を進展させると共に、
岡山県の城郭跡という戦国・織豊期研究における重要な資料群の調査を継続的に進めるなど、
さらなる活動の深化を目指し、卯の年にふさわしくホップステップで精進したいと思います。

皆様のご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願いいたしますヽ(・∀・)ノ

Foxkeh! フォクすけ!


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