« へうげもの、アニメ化。 | メイン | 城郭跡を史料としてみること。 »

2010年12月19日 (日)

合志市の竹迫城跡に行きました。

今日はお誘いされましたので、合志市の竹迫城跡に行ってきました。
合志郡は台地と迫地の多い特徴ある地勢条件がみられます。
竹迫はもともと竹迫氏の本貫地、その後、郡内の国衆合志氏が拠点として今日残る竹迫城を整備したようです。

ちなみに竹迫氏は肥後を去って、豊後大野郡の戸次道雪の被官となります。
そして永禄年間の道雪の北部九州出兵に同陣し、立花山城督戸次道雪・立花統虎の家中に属して柳川藩立花氏に仕えます。
どこかで聴いた名前だなあと思っていましたが、思わぬところでつながりました。

城郭跡は公園整備されていて遺構の確認が難しくありますが、ほぼ単郭規模の肥後国衆クラスの居城として典型的な事例でした。
周囲を迫地が貫入した丘陵上に、単郭構造の主郭と帯曲輪から構成されます。迫地に手を加えたとみられる空堀状地形もみられます。
一方、城下は居住域と近いこともあり、迫地の地形に、巨大な空堀と間違いやすい後世の開削による掘り抜き道や区画溝が多数みられました。
城郭類似遺構がかなり多く、要注意です。
それでも、南側を中心に寺院跡や城戸内、陣の内と呼ばれる河岸段丘の高台が点在し、当時の城下集住のあり方も窺えます。
そして、後の熊本藩時代には東側に合志手永の役所と一本街村が整備されており、戦国から近世への推移もわかる事例と言えます。

肥後の国衆は、北部では戦国期に没落した菊池氏の後を受けて、隈部氏・和仁氏や赤星氏、合志氏、小代氏などが急速に台頭します。
肥後北半部の城郭は迫地の入り込んだ台地状地形に立地するタイプが多く、おおよそ単郭構造で周囲に空堀がある場合がみられます。
竹迫城はその典型例として評価できるでしょう。

今回、地勢を含めて実見できて勉強になりました。
ご案内いただき、ありがとうございましたヽ(・∀・)ノ

Rimg6446

Rimg6430

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/25620729

合志市の竹迫城跡に行きました。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart