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2010年12月26日 (日)

備前国進駐、天神山城跡を観てきました。

25日は、来年の企画の打ち合わせと山城サミットの『美作国の山城』編集委員会の反省会に参加してきました。
そして、今回の年末調査最終日になる26日は朝から冬晴れだったので、吉井川を下って和気町(旧佐伯町)の天神山城跡を確認踏査してきました。
天正中期に浦上宗景が宇喜多直家と戦い落城したとされる浦上氏の居城です。
今回の目的は、遺構としてその後の改修が入っているかどうか。

現地は、山頂部を含めて岩盤質の平坦な稜線が続く地形に曲輪が連なるカタチで築かれた縄張りとなっています。
天神山城跡は、主郭から北側の曲輪群を中心に石垣があり(もっとも東麓に石切り場跡があり、後に持っていかれている可能性高し)、
報告では瓦も確認されている事例です。
それにも関わらず、虎口は側面からスロープ状に出入りする程度のものしかありませんでした。
また、石垣は大半は戦国期城郭に多く見られる粗雑な石積みであった点も興味深くありました。
もっとも織豊系城郭にも粗雑な石積みのような石垣がないわけではないのですが、
天神山城跡では縄張りプランと連動するカタチで石垣が築かれていなかった点で、織豊系城郭とは少し様相が異なる印象を受けました。
なので、踏査してみて、豊臣期宇喜多氏による改修はなく、浦上氏段階か戦国期宇喜多氏段階の様相を残す事例と思いました。
備前・美作・播磨西部の戦国織豊期の城郭跡を考える上でひとつの指標となるのでは?と言う予見を立てることができたのが今回の収穫。

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と言うことで、次は周匝の茶臼山城跡隣にある土塁を多用する大仙山城跡を見てこないといけないなあと思いました。

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