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2010年12月24日 (金)

1584年の戦場の痕跡。

今日は寒波到来前に、岩屋城攻め陣城の内、妙福寺上陣城跡・楽万上陣城跡・往還上陣城跡から柿ノ上まで歩いて確認踏査してきました。
中でも、楽万上陣城は土塁ラインといい陣城部分といい抜きん出たサイズでした(^^ゞ
毛利氏との国分け交渉で懸案となった美作国衆の下城を迫る戦闘に、ここまでの物量を投下したのかと感慨深いものがありました。
従来、高松城水攻めばかりが注目される一方、文献史料の乏しさから関心を持たれなかった羽柴・宇喜多と毛利氏の支援する美作国衆の戦闘。
美作国では、高松城水攻め休戦後、2年余も戦闘が続き羽柴・毛利間の懸案事項となります。
岩屋城攻めの遺構からは、一連の戦闘は単なる局地戦ではなく、高松城攻防戦に勝るとも劣らない中国戦役のもうひとつの戦線だったことがわかります。
また、宇喜多氏権力の構造を考える上でも、この陣城群は重要な史料となります。

論よりも、物証。城郭遺構は適切な手法を用いれば雄弁にその時の様子を語ります。
妙福寺上陣城や往還上陣城など個人所有のところは一部破壊が入っていますが、それ以外のところはほぼ完存というのがスバラシイ!

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コメント

宇喜多氏の岩屋包囲陣城群はすばらしいと思います。宇喜多の重臣の長船氏に従う地侍18人衆の一人が先祖の一人ですので、この包囲戦に当然のこと、参戦しています。

今日は吹雪いていて大変だったでしょう。私も仲間と総勢5人で同じようなことをしておりました。
この包囲戦の2年前の毛利軍団の本陣(総大将・小早川隆景)を攻めておりました。予想を大きく超えて陣所の広がりと毛利型の堀切やV字型堀切竪堀など確認しましたよ。雪の中で弁当をとりましたよ。

ときおさん、こんばんは。
日曜の深夜に四国経由で寒波をくぐり抜けて帰り着きました。
この日は思ったよりも天候がよくて助かりました。本当に雪が積もっていたらどうしようかと思いました。
岩屋城攻め陣城群は、羽柴氏が関わった陣城の中でも完成されたシステマチックな印象を受けます。
そうした中に宇喜多氏の重臣が参戦していることは興味深くありました。

引き続き、楽万上陣城は調査しようと思っています。
今後ともよろしくお願いします。

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