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2010年12月30日 (木)

転換点の2010年から。

2010年は年頭に、今年は転換点となると言われましたがその通りでした(^^ゞ
前任者と同じコースでお役御免となり畑違いの仕事に移りました。
以前と異なり今回は後任者の公募もなく入替え。他の専門分野とは異なる学芸員資格の取扱いを目の前にして、
博物館法に明文化されている学芸員資格に対して、どのような位置づけで捉えているのかを思い知らされた出来事でした。
私のこと云々を別としても、学芸員資格が一般にどうみられているかの一例として博物館学の関係者に認識していただきたい現実です。

とあれ、かつての初代学芸員さんのように、二代目の私も専門領域から外されて何もできないだろうと思っているんだったら、大間違い。
いずれ、学芸員資格や学術研究領域のためにもケジメはつけないといけませんが、
私の研究分野は長らくハコの外で土日・休日を用いて在野の研究者が積み上げてきた領域、
しがらみもなく好機到来と、久方ぶりに本職の城郭研究者として基礎から徹底して学び直すことができました。
おかげで、城郭跡を史料として活用し決め手とする学際的な歴史研究という、自分の研究スタイルへの手応えを掴むことが出来ました。
また、現在の「畑違いの一般職」も怪我の功名で、リアルな歴史認識を深める機会にもなりました。

そして、何よりも、学会から遠い環境にありながらも、各地の城郭研究の幅広いネットワークに支えていただいたことに感謝する2010年でもありました。
全国城郭研究者セミナーでお世話になった城郭談話会と姫路市教育委員会、
国文祭の全国山城サミット・生涯学習講座でお世話になり、引き続き岡山県内の城郭跡の調査研究でお世話になっている津山市教育委員会、及び美作地域史研究会。
福岡での城郭研究でお世話になった福史連・福岡地方史研究会、の皆さんには本当にお世話になりました。
そして、「城館史料学概論」の授業計画を了解いただいたS先生をはじめ、全国各地で活動する城郭研究者の皆さんにもお世話になりました。
本当に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございましたヽ(・∀・)ノ

2011年は、皆さんの学恩を感じながら、しがらみのない環境でさらに城館史料学の研究を突き進む所存です(エコ芸もやりたいですが)。
今後数年は、城郭跡を史料として活用し決め手とする学際的な歴史研究を固めるべく、日々山野を駆け巡り論考にまとめ精進していきます。
ご支援いただいています皆様方各位には、ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。

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2010年12月27日 (月)

日本中世の西国社会1「西国の権力と戦乱」

清文堂から新たな論集シリーズ『日本中世の西国社会』が刊行されるとのことです。
川岡勉・古賀信幸両氏による編となっています。
近年、関東・東国の中世・戦国期論集があれこれ出ていることを思えば、西国は静か過ぎたので、
こうした試みは心強いものがあります。

その第1巻は「西国の権力と戦乱」
九州北部関連では、北部九州中・近世城郭談話会の中村修身さんが執筆されており、
図面提供したこともあって謹呈いただきました。
しっかり勉強させていただきます。ありがとうございますヽ(・∀・)ノ

なお、お値段は3800円+税とリーズナブル。
続いて、第2巻が「西国における生産と流通」第3巻が「西国の文化と外交」だそうです。
楽しみですね。

2010年12月26日 (日)

備前国進駐、天神山城跡を観てきました。

25日は、来年の企画の打ち合わせと山城サミットの『美作国の山城』編集委員会の反省会に参加してきました。
そして、今回の年末調査最終日になる26日は朝から冬晴れだったので、吉井川を下って和気町(旧佐伯町)の天神山城跡を確認踏査してきました。
天正中期に浦上宗景が宇喜多直家と戦い落城したとされる浦上氏の居城です。
今回の目的は、遺構としてその後の改修が入っているかどうか。

現地は、山頂部を含めて岩盤質の平坦な稜線が続く地形に曲輪が連なるカタチで築かれた縄張りとなっています。
天神山城跡は、主郭から北側の曲輪群を中心に石垣があり(もっとも東麓に石切り場跡があり、後に持っていかれている可能性高し)、
報告では瓦も確認されている事例です。
それにも関わらず、虎口は側面からスロープ状に出入りする程度のものしかありませんでした。
また、石垣は大半は戦国期城郭に多く見られる粗雑な石積みであった点も興味深くありました。
もっとも織豊系城郭にも粗雑な石積みのような石垣がないわけではないのですが、
天神山城跡では縄張りプランと連動するカタチで石垣が築かれていなかった点で、織豊系城郭とは少し様相が異なる印象を受けました。
なので、踏査してみて、豊臣期宇喜多氏による改修はなく、浦上氏段階か戦国期宇喜多氏段階の様相を残す事例と思いました。
備前・美作・播磨西部の戦国織豊期の城郭跡を考える上でひとつの指標となるのでは?と言う予見を立てることができたのが今回の収穫。

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と言うことで、次は周匝の茶臼山城跡隣にある土塁を多用する大仙山城跡を見てこないといけないなあと思いました。

2010年12月24日 (金)

1584年の戦場の痕跡。

今日は寒波到来前に、岩屋城攻め陣城の内、妙福寺上陣城跡・楽万上陣城跡・往還上陣城跡から柿ノ上まで歩いて確認踏査してきました。
中でも、楽万上陣城は土塁ラインといい陣城部分といい抜きん出たサイズでした(^^ゞ
毛利氏との国分け交渉で懸案となった美作国衆の下城を迫る戦闘に、ここまでの物量を投下したのかと感慨深いものがありました。
従来、高松城水攻めばかりが注目される一方、文献史料の乏しさから関心を持たれなかった羽柴・宇喜多と毛利氏の支援する美作国衆の戦闘。
美作国では、高松城水攻め休戦後、2年余も戦闘が続き羽柴・毛利間の懸案事項となります。
岩屋城攻めの遺構からは、一連の戦闘は単なる局地戦ではなく、高松城攻防戦に勝るとも劣らない中国戦役のもうひとつの戦線だったことがわかります。
また、宇喜多氏権力の構造を考える上でも、この陣城群は重要な史料となります。

論よりも、物証。城郭遺構は適切な手法を用いれば雄弁にその時の様子を語ります。
妙福寺上陣城や往還上陣城など個人所有のところは一部破壊が入っていますが、それ以外のところはほぼ完存というのがスバラシイ!

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2010年12月23日 (木)

荒神上陣城5日目。

週の後半は休みをいただいて津山市に滞在して調査です。終わったらヨメサンとゴロゴロ(^^ゞ
23日は、ようやく陣城部分を完成させました:.゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚
用紙からはみ出るので、他の陣城に続く土塁ラインは途中までで止めておきました。

いつも地域の保存会の方々が草刈をして下さっているので、遺構も見やすくずいぶん調査もはかどりました。
写真は荒神上陣城の北側の長城ラインです。

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仕上げた図面は、持って帰って清書です(^^ゞ
24日は寒風の中、妙福寺上陣城・楽万上陣城の下見を予定です。大丈夫かな?

2010年12月20日 (月)

城郭跡を史料としてみること。

既存の城郭史研究と、縄張り研究から広がりを見せて今日に至る城館史料学では、城郭跡に対する姿勢が異なります。
既存の城郭史研究では、文献史料の記述や絵図・考古資料等から得られる見地から城郭の復元や考証、研究を行います。
これに対して、縄張り研究以来の城館史料学では、城郭跡そのものを歴史研究の資料として捉えて調査を行うことが中心にあり、

文献史料・絵図・考古資料等で状況証拠を固めた上で、城郭跡そのものの分析から得られた見解を以て結論づける歴史研究を行います。

文献史学の人が古文書の記述を決め手として重視されるように、
考古学の人が遺物から得られる年代観を決め手として考察されるように、
城館史料学では、城郭跡そのものからわかることを決め手として研究を進めます。
もちろん学際的な研究ですから、様々な資料を同等に取扱い総合的に捉えて状況証拠を固めます。
その上で、
文献史料と比べて、城郭跡は史料として恣意性が介入することが少なくストレートに当時の様相を残すこと、
考古資料と比べて、地表面観察故に、当時の物証である城郭跡について複数の調査者により何度でも再検証が可能であることから、
文献史料や考古資料で結論づけるよりも、相対的に「確からしさ」で優れていると判断する故に、城郭跡を以て結論づけることを選択するのです。
よって、広義では城郭史専攻でやっているのですが、既存の手法と区別するために意図的に「城館史料学」を用いているわけです。

こうした研究手法が可能なのは、ケバ図表記の縄張り図を確立させ各地で精力的に調査してきた在野の城郭研究者の成果があって、
その上で、1979年の村田修三氏による日本史研究大会報告での提唱からはじまり、
千田嘉博
氏による虎口プランのモデル化と織豊系城郭の形成過程の研究や、
木島孝之氏による虎口モデル編年案、城郭跡で結論づける織豊・近世初期の学際的研究に代表される、
城郭跡の年代観(縦軸)を固める研究とモデル化等の理論的研究の進展、その上で史料として用いる具体的実践の蓄積があるからです。
そういった成果を半ば受売り的ながら自分なりに構成したのか、今回の別府大学で行った「城館史料学概論」の講義なわけです。

と言うことで、
これまで過去3回で、縄張り研究からの研究史と千田・木島両氏のモデル案の理解、実際に城郭跡を歩いて縄張りの解釈を学習した上で、
18日の4回目は、実際に歴史研究において城郭跡を活用する手法として、1つの城郭跡の調査から重要な結論を導くための着眼点と方法、
複数の城郭群を調査対象として類型論と分布論を以て結論を導くための着眼点と方法の2つをレクチャーしました。

変な理屈や理論でこねくり回すわけではないので、話してみれば実際はシンプルなものです。
城郭跡を何かで説明するのではなく、城郭跡を史料として捉えることで当時の社会を明らかにする城郭研究の手法を伝えることを目指しました。
もちろん、城郭跡のアレコレについて考察するのも研究のひとつですが、その際でも城郭跡そのものを史料として捉えた上で行うことが城館史料学の要点です。
去年に史学・文化財学では九州で代表する大学からいただいたオファーに応えるべく、ヨソにないだろう内容で進めてきましたが、
遺跡を史料としてみる姿勢や研究に対する着眼点・手法を、歴史学・考古学を専攻する学生に認識してもらえれば、この講義をやった甲斐があるというもの(^^ゞ

後は、受講してくれた院生・学生や別大城郭研究部の学生たちが見よう見まねでも実践してくれるかですね(^^ゞ

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2010年12月19日 (日)

合志市の竹迫城跡に行きました。

今日はお誘いされましたので、合志市の竹迫城跡に行ってきました。
合志郡は台地と迫地の多い特徴ある地勢条件がみられます。
竹迫はもともと竹迫氏の本貫地、その後、郡内の国衆合志氏が拠点として今日残る竹迫城を整備したようです。

ちなみに竹迫氏は肥後を去って、豊後大野郡の戸次道雪の被官となります。
そして永禄年間の道雪の北部九州出兵に同陣し、立花山城督戸次道雪・立花統虎の家中に属して柳川藩立花氏に仕えます。
どこかで聴いた名前だなあと思っていましたが、思わぬところでつながりました。

城郭跡は公園整備されていて遺構の確認が難しくありますが、ほぼ単郭規模の肥後国衆クラスの居城として典型的な事例でした。
周囲を迫地が貫入した丘陵上に、単郭構造の主郭と帯曲輪から構成されます。迫地に手を加えたとみられる空堀状地形もみられます。
一方、城下は居住域と近いこともあり、迫地の地形に、巨大な空堀と間違いやすい後世の開削による掘り抜き道や区画溝が多数みられました。
城郭類似遺構がかなり多く、要注意です。
それでも、南側を中心に寺院跡や城戸内、陣の内と呼ばれる河岸段丘の高台が点在し、当時の城下集住のあり方も窺えます。
そして、後の熊本藩時代には東側に合志手永の役所と一本街村が整備されており、戦国から近世への推移もわかる事例と言えます。

肥後の国衆は、北部では戦国期に没落した菊池氏の後を受けて、隈部氏・和仁氏や赤星氏、合志氏、小代氏などが急速に台頭します。
肥後北半部の城郭は迫地の入り込んだ台地状地形に立地するタイプが多く、おおよそ単郭構造で周囲に空堀がある場合がみられます。
竹迫城はその典型例として評価できるでしょう。

今回、地勢を含めて実見できて勉強になりました。
ご案内いただき、ありがとうございましたヽ(・∀・)ノ

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2010年12月18日 (土)

へうげもの、アニメ化。

今日は別大の集中講義第4回目。縄張り研究ベースの城館史料学での城郭跡を歴史研究で使う上での手法をレクチャーしてきました。

さて、「へうげもの」がNHKBSでアニメ化されるらしい。
NHKアニメワールド「へうげもの」

古田左助は主人公なのでもちろんとして、ヨメサンせんのお兄さん中川清秀も出るし。
中川氏を擁する方としては、かねがね「中川氏関係の全国区ネタ」としてみてきた「へうげもの」
ちょっとリッチな大人のアニメ。ですのでイメージもピッタリ。NHKタイアップ第2弾となったかも?
神戸大学中川家文書と古田家文書、関西の様々な資料群の調査と絡めて仕込んでいれば今頃……と思っております(^^ゞ。

中川氏家中では、織部の一族から創設された古田家は老職としてかなり高いステイタスを持っていました。
古田家には初代藩主のお兄さん秀政の娘が嫁いだ家ですので。
岡城近戸門近くに屋敷を構えて、以来幕末まで城内に屋敷を持ち続けた家です。
中川氏と古田氏のつき合いは、中川氏が如何に上方の文化に精通した武門の家であったかを示す一コマと言えます。

うーむ、重ね重ね、「へうげもの」に絡めないのは惜しいことしたもんだなあ(`・д・´)。と思います。
とあれ、ボク自身は中国地方の調査から豊臣政権論へとシフトしている最中ですけれども、大河ドラマ「江」と合わせて期待してます(*・。・)ノ

現在の古田屋敷跡は、こんな感じです。聖地になるかな?

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2010年12月12日 (日)

新高山城跡に登りました。

12日は三原市本郷町の新高山城跡に登ってきました。
いつも新幹線の車窓からみえる高い岩山ですが、思ったよりあっさり登れました。
豊臣政権期の小早川氏の居城にふさわしい、史料的価値の高い城郭跡でしたヽ(・∀・)ノ

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2010年12月11日 (土)

慰労会にてそずり鍋。

週末は、津山市での「山城サミット」慰労会にMさんに岡山駅から乗せてもらって参加。
ネイティブのB級ナベこと、そずり鍋を食しました。
牛肉で骨に付いた部分の肉を削いだものと豆腐やゴボウ、野菜とで甘辛く煮たお鍋。実にうまい。
ホルモンうどんに続いてPRしているものですが、ホントにオイシイヽ(・∀・)ノ

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今年はあれこれと津山市さんにはお世話になりましたので、引き続き岡山県北での調査を進めていきたいと思っています。
次の日の関西での城館史料学会総会の後で参加した城郭談話会忘年会@高槻市でも「岡山で調査ガンバレー」と言われましたように、
未だ悉皆調査が行われていないものの、岡山県下の戦国・織豊期の城郭跡の史料的価値の高さから周囲の関心は高くあります。
自分でも魅力あるフィールドで研究の幅を広げていきたいので、微力ながら応えていきたいと思います。
とあれ、遠征になりますので、岩屋城攻め陣城から荒神山城へ展開していきますが気長によろしくおねがいします(・ω・)。

Foxkeh! フォクすけ!


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