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2010年11月18日 (木)

縄張り図は主観が入りやすいと言われたもの

備忘録としてメモ。掘立柱跡の評価がこんなにあやふや、いうのはなんだかなあというお話φ(.. )

今回は、たまたま奈文研みずからが訂正申告したので「誤認」と判明しましたが、
もし申告がなかったら、「最古の大嘗宮は本当なのか?」という異議をどうやって第三者が論証できるのでしょう?
少なくとも発掘されたその部分はもはや破壊されており、しかも許可を得ないと入れないし再調査もできないので、
反論するための再検証は限りなく不可能に近いわけですから。。。
なお、発掘成果を第三者に検証してもらえばいいという向きもあるでしょうが、
そういった「選ばれた専門家」は当事者に許可を得ることのできる「関係者」であり、「第三者」ではないので要注意。
もし「第三者」が勝手に現場に入ったら、「遺物がなくなった」とかで「不法侵入で告訴もある」と言われますよ(^^ゞ


○最古の「大嘗宮」か 藤原宮跡で遺構を発見。7/1
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/410669/

……藤原宮中枢部の朝堂院広場の北東部で、当時の柱穴を多数発見。東西12メートル(5間)、南北3メートル(1間)の建物跡や、建物跡を囲う方形(東西19メートル、南北18メートル)の塀跡、藤原宮の中軸ライン上に建つ門跡などを確認した。平城宮の大嘗宮跡と類似した構造だったことも分かった。
大嘗宮は、東側の悠紀院(ゆうきいん)と西側の主基院(すきいん)の2つの斎場から成り、見つかった遺構は悠紀院の北半分にあたる。建物跡は儀式用の穀物を準備する膳屋(かしわや)にあたるという。奈文研は「石敷きを取り除き、下層を詳しく調査する」としている。
現地説明会は3日午後1時半から。小雨決行。
▼上野邦一・奈良女子大名誉教授(建築史)の話 「朝堂院にあって秩序ある建物群であり、大嘗宮と判断すべきだろう。今後、2時期の遺構が発見できれば上層が元明天皇、下層が文武天皇の大嘗宮と確定する」……

○藤原宮跡「大嘗宮」はなかった!「全面的に誤り」42の柱穴、実は1つだけ… 11/18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101118-00000637-san-soci

……発表時は後世の水田耕作による溝の断面部分の土の色の違いなどを手がかりに「柱穴」と特定したが、石敷きを外して確認しておらず、奈文研は「異なる土が複雑に混ざり合っていたことなどで確認しづらかった」と“釈明”。発表前に幹部らがチェックしたが、確認できなかった。
藤原宮では文武天皇と元明天皇が即位し、大嘗祭を営んだことが続日本紀に記されているが、考古学的には未確認で、調査の主眼は「最古の大嘗宮」の発見に置かれていた。
深沢芳樹・奈文研都城発掘調査部長は「平城宮の大嘗宮跡は念頭にはあったが、先入観で特定したわけではない。修正しておわびしたい」としている。……

要は、発掘調査で得られたデータは、もはや第三者が再検証できないため使用するに当たって制約の多い「資料」でしかないということです。
発掘する労の割には、その成果の「信頼性」は担保されないことを、我々はあらためて自覚する必要があります。
今後は、そういった制約の大きい調査法であるという点を踏まえて、文化財保護と照らし合わせて発掘調査をするかどうか判断されるべきでしょう。

ちなみに、遺構が露出している城郭跡で行う「掘らない考古学」な縄張り調査をベースとする城郭研究の場合は、
私が「この城は信長公記にある幻の何々城だ!とうとう見つけたぞ!」と先入観に引きずられて間違えた解釈で作図したとしても、
城郭跡はそのままですので、おかしいと思った第三者がそのままの遺構を再検証して作図したら「間違えているよ」と指摘できます。
という案配に、城館史料学は、誰もが訪れることの出来る城郭跡を材料に、誰もが再検証して議論を交すことができる、客観的視点に立つ一学術研究領域です。

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