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2010年11月27日 (土)

隈部館と隈府へ行きました。

土曜日は、福岡からうききさんご一行と一緒に、熊本中世史研究会の隈府巡検に参加してきました。
11時半に菊池で落ち合うとのことでしたので、その前に隣の山鹿市菊鹿町にある隈部館(永野城)に行ってきました。

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隈部館は、戦国後期の肥後国のトップクラスの有力国衆に成長した隈部親永が築いた城郭です。
木島孝之氏の熊本時代の研究「九州の織豊系城郭」で、隈部館の調査を行い縄張り技術・構造、及び築城主体の性格について評価を行っています。
その図面をもとに隈部館を歩きました。居館のプランですが、立地的にはほとんど山上の詰城です(^^ゞ
写真は神社のある主郭部の内桝形虎口です。
隈部氏は肥後北部の有力国衆。大友氏勢力が後退した天正後期に竜造寺方について隈府を落とし、肥後北部に大きく勢力を伸ばします。
豊臣秀吉の九州出兵に際してもいち早く参陣し、肥後国衆の中では大きな所領を安堵されます。
おそらく、豊臣政権参画後から佐々氏に反抗して一揆を起こす間に居城として整備したのが現在の隈部館のようです。

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隈部館の縄張りは、非豊臣系大名にも関わらず隈部親永の織豊系縄張り技術の理念習得の早さを伺わせるものとなっています。
山腹に築いた方形区画の前面には、内桝形虎口と通路、そして土塁ラインが横堀を越えて前面に押し出す織豊系の馬出しとを組合せた虎口プランで出入り口を固めます。
少し変なところもありますが、
関ヶ原以前に、織豊系縄張り技術の理念をある程度まで理解し築いた旧族大名・国衆は、大友吉統の高崎城と隈部親永の隈部館くらいです。
国分けで所領を安堵された島津氏などの大名クラスでも、本領の居城には織豊系縄張り技術をほとんど採用できていません。
それと比べると、実際にそれなりのプランをいち早く築いた隈部氏の力量を感じさせる城跡だと感服して写真撮影してきました。
下の写真は伝馬屋と呼ばれるけど、土塁を回した馬出しです。現在南中央部分に参道が入り破壊されています。通路じゃないので要注意。
本当の出入り口は塁線がかぎの手状にグルリと四方を廻り、写真手前左隅に開口部があり堀底へ出るようになっています。

現地で確認してみてね⇩

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それから下山して、隈府巡検。
熊本中世史研究会の青木勝士氏の案内で菊池市隈府を歩き回るツアー。
菊池神社のある隈府城から月見殿の尾根を歩いて正観寺へ。
そして、菊池高校の建て替えで発掘された「隈府館跡」の埋め戻した場所や周囲の方形区画などを廻りました。
迫間川を渡って玉祥寺まで足を伸ばしました。
それから車で北宮阿蘇神社と赤星の渡し、そして深川館も見て回りました。

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写真は、菊池高校前の将軍木です。
丸一日、菊池郡三昧でつかれました(^^ゞ。青木さんお世話になりました。

この後は、うききさんご一行と共に福岡へ北上。天神で前原さんと合流して呑んでの前夜祭でした。

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