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2010年11月30日 (火)

博多のお宿。

今回投宿したのは、博多区冷泉町の山本旅館
むっちゃベタベタな和風旅館というか、薬売りのオッサンが投宿しそうな雰囲気(^^ゞ

以外にこういうスタイルのリーズナブルなバックパッカーちっくなお宿ってないんですよねぇ。
福岡方面の調査に重宝できれば幸い。いいものに出会いました。
ど真ん中でリーズナブルなのはありがたい次第。
大変だろう固定資産税&都市計画税を収めていただきたいので、鳥栖の某旅館ともども調査の定宿にしたいと思います(^^ゞ

ツーリズムとは、セレブな装飾過多でも、サライなウンチクでも、田舎のお説法でもなく、
気軽に投宿できるスタイルフリーな和風旅館がベターです。

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2010年11月28日 (日)

福岡城跡を歩く勉強会しました。

28日は、マンボウのおうちのうききさんの言い出しっぺから大きくなった福岡城跡を案内するツアー、
改め、「福岡城跡を歩く勉強会」で講師をやりました。

福史連のご協力で、25名の参加者があり、盛大に開催することが出来ました。
たぶん、本格的に募ったらその倍はいくでしょうが適度な人数でゆっくりと、
午後いっぱいかけて福岡城跡を隅から隅まで歩き、福岡城跡の縄張りを理解していただきました。

基本は木島孝之さんの先行研究をベースに解説ツアーを組み立てたもの。
午前中に福岡城跡の要点を見直すために下歩きをして、昼に松ノ木坂門跡下に居るホットドッグを食べて、準備万端で13時から解説。

近世城郭を形成する織豊系縄張り技術の中で、外・内桝形虎口とくい違い虎口を持つ福岡城跡は、
基本的な虎口のモデルと見極め方をレクチャーした上で実際の遺構をみていただくと、おおよそ規則がわかるので
すぐに理解していただけるようになりました。
東御門→東二の丸→二の丸→本丸→天守曲輪→南二の丸→桐ノ坂門→松ノ木坂門下で、2時間半程度。
延長戦で広大な三の丸めぐり→下ノ橋門&上ノ橋門を廻って17時前に終了。

福岡城跡が天守と天守曲輪を起点に、出入り口に防禦の工夫を施し、前へ前へ押し出すことで城域を形成する、
織豊系縄張り技術をベースとした近世城郭であることが理解していただけたと思います。
併せて、現在の舞鶴公園である「国指定史跡、福岡城跡」には城郭遺構がかなり良好に残ること、
遺構は石垣だけでなく土塁部分もかなり多く残っていることも理解を深めていただけたと思います。
近世城郭は石造りだけでなく、土造りな部分もかなりあるということです。併せて現存する遺構を良好に保存する必要があります。
建物復元で盛り上がる福岡城跡ですが、その前に良好な遺跡を残す城跡として認識し、きちんと現存遺跡の保存策を固めてほしいものです。

この城跡を歩く勉強会が、縄張りから近世城郭を理解する一助となれば幸いです。

本コースに参加された皆さん、そして、最後まで廻られた皆さん、本当にお疲れさまでした。
コチラも勉強になりました。引き続き福岡城跡の理解を深めたいと思います(*・。・)ノ

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2010年11月27日 (土)

隈部館と隈府へ行きました。

土曜日は、福岡からうききさんご一行と一緒に、熊本中世史研究会の隈府巡検に参加してきました。
11時半に菊池で落ち合うとのことでしたので、その前に隣の山鹿市菊鹿町にある隈部館(永野城)に行ってきました。

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隈部館は、戦国後期の肥後国のトップクラスの有力国衆に成長した隈部親永が築いた城郭です。
木島孝之氏の熊本時代の研究「九州の織豊系城郭」で、隈部館の調査を行い縄張り技術・構造、及び築城主体の性格について評価を行っています。
その図面をもとに隈部館を歩きました。居館のプランですが、立地的にはほとんど山上の詰城です(^^ゞ
写真は神社のある主郭部の内桝形虎口です。
隈部氏は肥後北部の有力国衆。大友氏勢力が後退した天正後期に竜造寺方について隈府を落とし、肥後北部に大きく勢力を伸ばします。
豊臣秀吉の九州出兵に際してもいち早く参陣し、肥後国衆の中では大きな所領を安堵されます。
おそらく、豊臣政権参画後から佐々氏に反抗して一揆を起こす間に居城として整備したのが現在の隈部館のようです。

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隈部館の縄張りは、非豊臣系大名にも関わらず隈部親永の織豊系縄張り技術の理念習得の早さを伺わせるものとなっています。
山腹に築いた方形区画の前面には、内桝形虎口と通路、そして土塁ラインが横堀を越えて前面に押し出す織豊系の馬出しとを組合せた虎口プランで出入り口を固めます。
少し変なところもありますが、
関ヶ原以前に、織豊系縄張り技術の理念をある程度まで理解し築いた旧族大名・国衆は、大友吉統の高崎城と隈部親永の隈部館くらいです。
国分けで所領を安堵された島津氏などの大名クラスでも、本領の居城には織豊系縄張り技術をほとんど採用できていません。
それと比べると、実際にそれなりのプランをいち早く築いた隈部氏の力量を感じさせる城跡だと感服して写真撮影してきました。
下の写真は伝馬屋と呼ばれるけど、土塁を回した馬出しです。現在南中央部分に参道が入り破壊されています。通路じゃないので要注意。
本当の出入り口は塁線がかぎの手状にグルリと四方を廻り、写真手前左隅に開口部があり堀底へ出るようになっています。

現地で確認してみてね⇩

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それから下山して、隈府巡検。
熊本中世史研究会の青木勝士氏の案内で菊池市隈府を歩き回るツアー。
菊池神社のある隈府城から月見殿の尾根を歩いて正観寺へ。
そして、菊池高校の建て替えで発掘された「隈府館跡」の埋め戻した場所や周囲の方形区画などを廻りました。
迫間川を渡って玉祥寺まで足を伸ばしました。
それから車で北宮阿蘇神社と赤星の渡し、そして深川館も見て回りました。

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写真は、菊池高校前の将軍木です。
丸一日、菊池郡三昧でつかれました(^^ゞ。青木さんお世話になりました。

この後は、うききさんご一行と共に福岡へ北上。天神で前原さんと合流して呑んでの前夜祭でした。

2010年11月26日 (金)

安土宗論。

信長の安土城発掘シンポ、清涼殿説の攻防いかに(読売)

織田信長が築いた安土城をめぐる戦いが27日、地元の滋賀県近江八幡市で勃発しそうだ。
戦いの場は、安土城跡を1989年度から2008年度まで調査した滋賀県教委が「調査の集大成」と位置づけて主催するシンポジウム「安土 信長の城と城下町」。
基調講演とパネルディスカッションに、調査成果を批判してきた千田嘉博・奈良大教授(城郭考古学)が招かれた。
県教委は2000年、天守閣の足元にある本丸で大型の建物跡を発掘調査し、礎石の配置が京都にある御所「清涼殿」と酷似していると発表。
この発見により、天皇を自分が見下ろす場所に住まわせることで、天皇を超えようとした信長像が作り上げられ、定着してきた。
千田教授は「礎石の位置を都合よく解釈している」と清涼殿説に明確に反対してきた一人。3対1と不利なパネルディスカッションにも「議論を巻き起こしたい」と気合を入れている。

(後に見れなくなるだろうから全文引用で恐縮です。)

とのこと。
まあ、既に昭和3年の発掘調査成果において、本丸御殿西南部の礎石跡という物証について、建築史では極めて常識的な御殿の解釈から既に指摘されていること。
私が学ぶ史料学としての建築史や「城館史料学」の間では「あれを無視して復元してもなあ」と言うのが共通認識です。

千田先生、がんばってください(^^ゞ

2010年11月25日 (木)

歴史するなら、税務のハンドブック。

仕事柄?いろいろ関心があって、ようやくこの本を注文して届けてもらいました。日本史小百科の租税 (^^ゞ

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租庸調にはじまり、公事・夫役、地子・加地子、棟別銭・段銭などなどなど。。。と租税を絡めた研究が欠かせない日本史ですが、
学位を取得した者はもちろんアカデミな日本史研究者で、この分野の現場の実務なんて希有な経験する人はたぶんいないと思う(^^ゞ。
(居たら、ゴメンナサイ)
ので、オフの城郭跡からの歴史研究とは別に、仕事休みに租税史でアドバンテージを蓄えることができるかもしれません。

それにしても、税や戸籍の現場を経験することなしに、研究者は「課税台帳」な資料読解はもちろん、ヤレ収奪だ、ヤレ民衆の抵抗だとか、
そして、課税すること徴収することとは何かといった問題まで、どれだけ深めることができるのかなあと思います。

某センセイも、大人の隠れ家に通うのもいいけど、たまにはコチラで「生きた資料のある現場」を体験されてはいかがですかね?
私のようなフィールド専門のお城屋さんが味わうのでは、実にもったいない。
てなことで、日本史研究者よ、研究室で文献をひも解く前に、税と戸籍の現場を体験しよう。

2010年11月24日 (水)

富山の展覧会から二冊仕入れました。

岐阜市歴史博物館&富山市埋蔵文化財センターで開催された『城と都市』展、
富山市郷土博物館で開催された『秀吉 越中出陣ー「佐々攻め」と富山城ー』展の図録を仕入れました。
もちろん自費購入(^^ゞ。


『城と都市』展では、岐阜城・加納城の近年の調査成果と富山城跡についてリサーチ。
『秀吉 越中出陣ー「佐々攻め」と富山城ー』では、近年の秀吉権力の形成過程についてリサーチ。
前者は考古学的な図録の構成。後者は古文書たくさんの論文のような図録の体裁と対称的(^^ゞ。

とあれ、今回旅してきた濃尾地方と、敦賀・一乗谷から福井城、そしてできれば富山まで足を伸ばしたかったのですけど、
その中でも、北陸地方は戦国・織豊期を抑える上で興味深い城館の事例がたくさんあります。
そして、近年、豊臣政権統一過程の研究が若手研究者の間で盛んなようですので、その一角をしっかりリサーチしておきたいと思う次第。
これら戦国・織豊期の統一政権が形成された舞台には、歴史資料として有効な城郭跡がたくさんあります。
故あって「畑違い」の机上に身を置いている身ですが、旧帝大からいただいた学校教育法・学位規則に基づく「研究者のライセンス」に恥じぬよう(^^ゞ、
文献史学や歴史考古学の成果に触れつつ、微力ながら城館史料学の視点から「捉え直す」ことが出来るようありたいものです。

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2010年11月21日 (日)

福岡城跡の縄張りを歩く勉強会します。

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11月28日(日曜日)13時から福岡市の福岡城跡の縄張りを歩く勉強会を有志を募って開催します。
題して、『福岡城跡の縄張りを歩く勉強会』

元々は、マンボウのおうちの管理人うききさん他のリクエストで「では、福岡城跡の縄張りを案内しましょう」というのがきっかけ。
でも、どうせなら皆さんお誘いしてということになりまして、福史連(地方史ふくおか)のご協力を賜り告知していただくことになりました。
集合場所は、平和台陸上競技場側の駐車場、梅園(二の丸)へ通じる坂道の入り口(図中○のところ)です。

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11月28日13時に現地集合です。小雨決行です。
レジュメを用意しますので、資料代100円お願いします。
けっこう歩きますので、歩きやすい服装と靴をお願いします。
だいたい16時半くらいまで歩いて廻る予定をしています。

今回の企画は、
「福岡城跡は、現在残る遺構だけでもすごかけん。」ということを知らしめるのが趣旨です(^^ゞ。
福岡城跡は、主な城域が良好に残るだけでなく、石垣から櫓・城門・多聞櫓などの現存建物までかなり残りの良い城跡です。
それにも関わらず、花見の名所「舞鶴公園」という名前に埋もれて、城址公園としては余り関心を払われていないのが現状です。
そこで、城跡を実際に歩いて、城郭の平面構成である「縄張り」を理解することで、
黒田氏が築いた「今そこにある福岡城跡」の真の魅力を再確認する機会になればという企画です。

そもそも慶長期の黒田長政による福岡城の築城では、城下の枠組みの中に秀吉の直轄都市として栄えた博多部すら呑み込まれたことは、
相横矢かかりまくりの形状の「博多南堀(いわゆる房州堀)」の存在から、文献史料から何と言おうとも城郭研究では既に常識。
中世以来の博多は西隣に福岡城が築かれることで大きく再編され、「福岡城下の双子の町=福・博」へと変貌したのです。

そうした中世から近世への歴史的転換のシンボルとも言える福岡城跡。
いろんな議論のその前に、「今そこにある城跡の歴史資料としての価値を、歩いて体感しませんか?」
と言うことで、縄張りから探訪する踏査会です。
興味のある方々のご参加、お待ちしています(^^ゞ。

2010年11月20日 (土)

松濤園と「特別展、立花宗茂」見て来ました。

ということで「特別展、立花宗茂」を観に、西鉄電車で柳川の立花邸(松濤園)と御花史料館に行ってきました(^^ゞ
展示撮影OKという立花さんの粋な計らいにも関わらずデジカメ忘れる痛恨の一打。仕方ないのでiPhone4で撮影(ノ_<)。

川下りの終点沖端の手前にある立花邸(庭が名勝、松濤園)は、明治和風の邸宅と迎賓施設の西洋館がセットになった貴重な文化遺産。
立花家が管理していて、隣接してホテル「松濤館」も経営しています。

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基本的には、御花史料館は大名家所蔵の美術工芸中心。古文書・絵図関係は柳川古文書館寄託で棲分けしている様子。
なので、今回の展覧会は歴史系よりも、美術工芸テイストの図録となっています。先年福岡県美での展覧会図録も販売してました。
で、もちろん、展覧会には誾千代好きには欠かせない戸次道雪譲状写も展示。立花山城内の備品目録が書かれた文書です。
チョットだけどうぞ(^^ゞ

会期は1月10日まで。立花家好きの方々、ぜひデジカメ持参(フラッシュ厳禁)で行きましょうヽ(・∀・)ノ

2010年11月19日 (金)

『特別展、立花宗茂』@御花史料館

今、柳川市といえば、『白秋』よりも『宗茂』でしょう(^^ゞ

13日から、柳川市の旧立花邸こと「御花」にある御花史料館にて、「特別展、立花宗茂」が開催されています。
今年は立花宗茂が「宗茂」を名乗ってから400年ということなので、所蔵史料(立花家の施設ですので)を中心に展覧会が企画されたようです。
御花史料館自体のコレクションは大名家の持つ武具・美術工芸品が中心で、それ自体スゴイものですが、
これと別に、柳川古文書館に寄託している大友家文書&立花家文書は九州の中・近世を通して遺されてきたコレまたスゴイ史料群。
その中からチョイスされて「立花宗茂」の人生を紹介すると言う内容。

ですので、九州の戦国・織豊期をやっているものとしては、日頃「閲覧申請」しないと観れない史料が並んでいる(はず)なので、
要チェックで、行きますよ!(^^ゞ。
戸次道雪城督譲状や秀吉の刀狩令の文書など著名なものも展示されています。
もちろん、「立花宗茂」マニアもホンモノの宗茂とイラストの宗茂を併せてみれる機会ですので、オススメです。

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2010年11月18日 (木)

縄張り図は主観が入りやすいと言われたもの

備忘録としてメモ。掘立柱跡の評価がこんなにあやふや、いうのはなんだかなあというお話φ(.. )

今回は、たまたま奈文研みずからが訂正申告したので「誤認」と判明しましたが、
もし申告がなかったら、「最古の大嘗宮は本当なのか?」という異議をどうやって第三者が論証できるのでしょう?
少なくとも発掘されたその部分はもはや破壊されており、しかも許可を得ないと入れないし再調査もできないので、
反論するための再検証は限りなく不可能に近いわけですから。。。
なお、発掘成果を第三者に検証してもらえばいいという向きもあるでしょうが、
そういった「選ばれた専門家」は当事者に許可を得ることのできる「関係者」であり、「第三者」ではないので要注意。
もし「第三者」が勝手に現場に入ったら、「遺物がなくなった」とかで「不法侵入で告訴もある」と言われますよ(^^ゞ


○最古の「大嘗宮」か 藤原宮跡で遺構を発見。7/1
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/410669/

……藤原宮中枢部の朝堂院広場の北東部で、当時の柱穴を多数発見。東西12メートル(5間)、南北3メートル(1間)の建物跡や、建物跡を囲う方形(東西19メートル、南北18メートル)の塀跡、藤原宮の中軸ライン上に建つ門跡などを確認した。平城宮の大嘗宮跡と類似した構造だったことも分かった。
大嘗宮は、東側の悠紀院(ゆうきいん)と西側の主基院(すきいん)の2つの斎場から成り、見つかった遺構は悠紀院の北半分にあたる。建物跡は儀式用の穀物を準備する膳屋(かしわや)にあたるという。奈文研は「石敷きを取り除き、下層を詳しく調査する」としている。
現地説明会は3日午後1時半から。小雨決行。
▼上野邦一・奈良女子大名誉教授(建築史)の話 「朝堂院にあって秩序ある建物群であり、大嘗宮と判断すべきだろう。今後、2時期の遺構が発見できれば上層が元明天皇、下層が文武天皇の大嘗宮と確定する」……

○藤原宮跡「大嘗宮」はなかった!「全面的に誤り」42の柱穴、実は1つだけ… 11/18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101118-00000637-san-soci

……発表時は後世の水田耕作による溝の断面部分の土の色の違いなどを手がかりに「柱穴」と特定したが、石敷きを外して確認しておらず、奈文研は「異なる土が複雑に混ざり合っていたことなどで確認しづらかった」と“釈明”。発表前に幹部らがチェックしたが、確認できなかった。
藤原宮では文武天皇と元明天皇が即位し、大嘗祭を営んだことが続日本紀に記されているが、考古学的には未確認で、調査の主眼は「最古の大嘗宮」の発見に置かれていた。
深沢芳樹・奈文研都城発掘調査部長は「平城宮の大嘗宮跡は念頭にはあったが、先入観で特定したわけではない。修正しておわびしたい」としている。……

要は、発掘調査で得られたデータは、もはや第三者が再検証できないため使用するに当たって制約の多い「資料」でしかないということです。
発掘する労の割には、その成果の「信頼性」は担保されないことを、我々はあらためて自覚する必要があります。
今後は、そういった制約の大きい調査法であるという点を踏まえて、文化財保護と照らし合わせて発掘調査をするかどうか判断されるべきでしょう。

ちなみに、遺構が露出している城郭跡で行う「掘らない考古学」な縄張り調査をベースとする城郭研究の場合は、
私が「この城は信長公記にある幻の何々城だ!とうとう見つけたぞ!」と先入観に引きずられて間違えた解釈で作図したとしても、
城郭跡はそのままですので、おかしいと思った第三者がそのままの遺構を再検証して作図したら「間違えているよ」と指摘できます。
という案配に、城館史料学は、誰もが訪れることの出来る城郭跡を材料に、誰もが再検証して議論を交すことができる、客観的視点に立つ一学術研究領域です。

Foxkeh! フォクすけ!


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