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2010年10月12日 (火)

月山富田城の山中御殿

夏の吉川&毛利、先月の朝倉氏館に続いて、今月は尼子氏の居城だった月山富田城跡に行ってきました。
時間が限られていたので山上はパスして、山中御殿を観て来ました。
麓にしか駐車場がないので、現地に行く時は注意しましょう。山中御殿は中腹にあります。
で、現地を歩いてウロウロして縄張りを確認し、パチパチ撮影。予想よりも発掘による史跡整備の改変が大きい。

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歩いてみて、紛れもなく堀尾吉晴・忠氏が織豊系城郭の縄張り技術で大改修した居城でした。
石垣も桝形虎口も改修のやり方をみるだけでも、今の月山富田城跡が堀尾氏の城郭だとわかります(^^ゞ
二の丸・三の丸にも発掘調査の結果、虎口や石垣が検出されて整備されているようで、主要部だけなら尼子氏の痕跡を探すほうが難しいかも知れません。
ちょうど、戸次道雪らで著名な立花山城の主要部は小早川隆景が織豊系城郭として大改修しているのと似ています。
堀尾吉晴・忠氏は1600〜1607年まで月山富田城を居城としています。関ヶ原直後の7年は大築城ラッシュに相当する時期です。
ですので、出雲・隠岐の大名となった堀尾氏が、隣の中村氏が米子城を大改修したように主要部の大改修を施したようです。
その意味では、月山富田城は、尼子氏・毛利氏の城郭を大改変した築城ラッシュのすさまじさの一端を知る史跡と言えるかもしれません。

次回来る時はじっくり時間をとって、山頂曲輪群の確認と尼子氏・毛利氏時代と思われる下位曲輪の確認を可能な範囲で観たいと思います。
月山富田城関係の報告書は、島根大学さんの島根遺跡リボジトリからダウンロードできます。これで出土遺構と整備を確認できます。

☆追伸
帰宅後、整備以前に調査された縄張り図で読み直しますと、尼子・毛利時代の散漫な曲輪配置に対して、
堀尾氏が主郭への求心性を持つ織豊系城郭へ大改修した様子がわかります。
戦国期城郭を織豊系城郭に改修する際に、いろいろと工夫した様子などが随所に見えて面白いです。
おそらく、他の家臣団は、山中御殿より麓の下位曲輪に屋敷を構えたことと思います。
堀尾時代の月山富田城・城下は近世山城の戦時体制を彷彿とさせる立地です。まるで豊後岡城・城下のようです(^^ゞ

堀尾氏としては、戦国・織豊期の山中に本城と屋敷群を構えて集住した戦時体制な景観でも良かったとは思いますが、
大藩故に、広域支配に有利な立地の松江城&濠で区画した士分屋敷地へ移転したと想像します。
ほぼ新規築城の松江城は、高石垣と桝形虎口を備えた堅固な主郭部と虎口空間が肥大化した下位曲輪から成る縄張りプラン。
平野部に移転し自由に縄張りができる分、より主郭に求心性を高め軍事性を備えた完成期の近世城郭となっています。
天守もいいけど縄張りもじっくりみてほしいものです。実に楽しいです(^^ゞ

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