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2010年9月14日 (火)

西国から、豊臣の城を考える試み。

歴史群像シリーズで『決定版、豊臣の城』というのがあります。
漆黒の要塞なんですかどうかはわかりませんが、豊後岡城と中川氏について多角的に調査するに連れて、
そこからさらに手を広げて、豊臣政権について関連する勢力と城郭跡からいろいろと読み取れないかと思っています。

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竹田に来て1番のメリットは、最前線の城郭研究の視野を以て中川氏の城郭を調べることが出来たことでしょう。
江戸時代に入っても、池田氏と交友が深く、養子のもらい元も浅野氏に井伊氏に藤堂氏とそうそうたる面々。
文芸の徒ではなく清秀以来の武威で蹴散らすような武門の家という印象が強くあります。
その岡城は、近世城郭の中に織豊系城郭の古い様相をパッケージするように残す興味深い事例であることは既に発表済。
文献史料では、神戸大学の中川家文書が豊臣政権期を研究する上では全国的にも貴重な史料であるのと同じく、
摂津の国衆連合体を内包する中川氏の城郭は、統一政権に参画した織豊取立大名の特色がわかる貴重な事例であることがわかりました。
いずれ、豊後岡城と中川氏から織豊取立大名と豊臣政権論まで斬り込むことも可能です。

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既に、九州の織豊系城郭については、K氏が立花山城に続いて文禄・慶長期の豊臣大名の居城から成果を出されるとのこと。
なので、こちらは豊後岡城と中川氏の調査研究から得られた豊臣系大名としての特徴や知見を手がかりに、
さらに他の地域へ足を運び、豊臣政権に近い大名の事例を再検証しようと思っています。
もちろん、九州の国衆論からも検証することは見込めますが、視野を広げるためにも本城を攻めてみたいというのも本音。

ひとつは、岡山県における宇喜多氏の城郭。もちろん池田氏など後世の改修が多いのでそれを如何に除いて押えるかが鍵。
そして、豊臣期毛利氏の城郭について、どれだけの手を加えているのかいないのか等の確認。この辺はぜひともやりたい。
さらに、秀吉領形成期の但馬から播磨界隈の城郭群。

もうひとつは、小谷城から賎ヶ嶽陣城群にみられる近江北部と、秀吉が重視した若狭・越前南部の城郭群。
これは、豊臣政権成立期を考えると無視できない。
その北側には、金沢城、七尾城を含む北陸の前田氏関係の城郭群まで視野に入れるとかなり興味深い。
おそらく、中川氏のような勢力の巨大版とも言える織豊系大名の好例。

小牧・長久手から関ヶ原戦、初期藩体制まで視野に入れた岐阜から愛知、三重などの城郭群。
もちろん豊臣政権のお膝元、紀伊・摂河泉界隈も無視できない。
また、東側に目を向ければ、東海から甲斐・関東の豊臣系大名の城郭の様相。
さらに、越後の上杉氏→堀氏と、会津界隈の蒲生氏の本城・支城群。

どこからでも足を運ぶことで、現地の城郭跡から見通しを立てて、豊臣政権の一端を押えてみたい。
いずれも、史料編纂所で閲覧申請しなくても調べられる「一級史料」(^^ゞ
現実的には西からでしょうが、関西周辺部の豊臣政権形成期の関連城郭を可能な限り再検証し、
新たな視点を提供する試みができないものかと思案するところです。

これまでの城郭研究の流れと先行研究をおさらいしながら蓄えに勤しむ秋の陣です。

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